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137 ※微

                 あの夢を見たその夜のうちに、俺はその夢のこと、「彼」のことをてきとうなノートに書き記した。そのノートは俺が眠る前に必ず見返している学習用のノートだった。  学校や塾で習ったことを眠る間際までそのノートを用いて自主的に反復学習し、ベッドに入ってからもその日の学習内容を見返してから眠りにつく。そうしたルーティーンを行っていた十二歳の俺の枕もとにはいつもそのノートがあった。    なお勉強の際に書き込む場合、俺はそのノートに当然文字を文字として書いていた。  筆記の際には文字を崩すこともしないどころか、むしろ過ぎるほど丁寧な綺麗な文字で書きしたためる。しばしば親や教育係にそのノートをチェックされたためである。  ……しかしあの夢の内容は例の、俺が思いついたことをメモする際に用いるミミズ文字、他人が見ればにょろにょろとしたミミズのような曲線がただ(いたず)らに白い紙に這っているだけの、あたかも子どもの落書きのようなそれで記した。    そうしたにょろにょろとした「文字」を記す際には、俺はメモしておきたいことをボソボソと呟いている。…俺はそれによって「メモ」しているのである。  ――そのミミズの曲線の僅少(きんしょう)な差、それをあらためて見たとき、俺の「映像記憶」ができる脳は、たちまちその部分に記録した内容を「録音した呟き」とともに思い出すことができる。要するにこれは「暗号化されたメモ」だということである。  なお、実際俺がこのメモの取り方をはじめたきっかけというのも、親や教育係や家の使用人など、他人にそれの内容を読み取らせないためだった。俺はしばしばそのメモにそいつらへの怨言(えんげん)を書きつらねていた。いつか復讐を果たすためにである。――つまり俺はまさしく「暗号化」を目的としてその方法を思いついたのだ。    そして俺のそれは大成功した。  あるとき俺は念のため、ある使用人の一人を試してみた。…その使用人が俺の自室を掃除する担当の日、俺はわざとその暗号化された大量のメモを机の上に放置した。――そしてそのメモを見た使用人はのちほど、同僚の使用人の幾人か相手に、あいついよいよ気が触れたみたいだよ、大量のメモ用紙にびっちりよくわからん線引いてやんの、もうあれは気狂(きちが)いだわ、などと(わら)っていた。  ……まさかそのメモには、自分へのありとあらゆる罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)が記されているとも知らずに…ね。使用人のその嘲罵(ちょうば)を聞いた俺はむしろ内心ほくそ笑んでいた。――何にしても俺のメモの暗号化は大成功だった。    さて…俺はそのように暗号化した形であの夢の内容をノートに書き記し、そしてそのページをちぎり取った。ちぎり取ったページを見返していた俺には、まだこうした半信半疑な思いがあった。  ……信じてもいいんだろうか。「彼」が僕と交わしてくれたあの「約束」を、僕は信じてもいいの?    俺の半信半疑は当然である。  誰が眠っているときに見た夢の中の人とした「約束」を、現実においても信じきれることだろう。  ただ、現実における俺も間違いなく再び「彼」と会いたかった。まさかそのときには現実で出会えることを願っていたわけではないが、少なくとも夢の中でまた会いたかった。「ニゲラ」という花がある。  ……その花を枕元に置いて眠ると、何でも好きな人が夢の中に出てくるとか…――俺はあのちぎり取ったページとともにその花を枕元において、そうして少し夢見がちなそのおまじないを試してみたが、しかし俺が眠ったときに見る夢のほとんどはやはり普段通りの悪夢であった。  とはいえ、そのおまじないの効力が全くなかったかというとそうでもなく――「彼」はまれに俺の夢の中でまた俺に会いに来てくれるときもあった。    “夢見の恋人”――。    そういえば…そうだった。  ――思えば俺は「彼」と初めて出逢ったとき、その美少年に交際を応じてもらえたばかりか、「彼」とは結婚の約束までしたのである。    それこそ十一年前のあの日、一目惚れをしたユンファさんに対して気が()いた十三歳の俺は、つい彼に「付き合っ…結婚してください」となかば訂正がちに言ってしまった。しかしあのときの俺はいけないいけない、夢では交際こそ応じてもらえたが、結婚までは……などと若干後悔していたが、むしろ夢のほうでは「彼」に結婚にも応じてもらえていた。  すると、むしろ夢の中では応じてもらえていたからこそ、俺の潜在意識にその「結婚の約束」が根づいていて、あの日の俺はそう口走ったのではないか?    まあいずれにしても――俺とユンファさんとの初めての出逢い、そして彼への初恋の一目惚れ、それの真実というのは十二歳の俺の夢の中でのことである。  ……とはいえそれを現実的にいうなれば、その初めての出逢いと初恋の一目惚れ、というのは――十一年前の秋の日の「あの日」のことだ。    しかし何と言おうか?  ……かといって俺は、仮に今のユンファさんと初めて出逢ったにしても、彼に初恋の一目惚れをしたと確信をもって思うのである。…十一年前のあの日があったから彼を愛している、というのは事実ではあれども、といってあの日がなかったとしても俺は彼を愛したことだろう。    月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)の美貌は本物である。  もはや彼のその美貌との比較に耐えられる人など存在しない。    それこそ俺が初めて見留めたその類まれなる美男子の姿が、たとえば今のその悲愴(ひそう)な性奴隷の姿であったとしても――またたとえば俺たちの出逢いの場が、あの息の詰まりそうな不穏で猥雑(わいざつ)な『KAWA's』やら『AWAit』やらであり、俺がその店の客、そして彼がその店の性奴隷というような悲劇の出逢い方であったとしても――俺は畢竟(ひっきょう)月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)という美男子に熱狂的な一目惚れをし、はてには人目もはばからずその美貌の前に喜んでかしずき、そして、その人の美しい足の甲に終生の愛の服従を誓ったと断言できる。    それは疑いようもないことである。決して疑いようもないことである。俺は胸を張って忌憚(きたん)なくそう言い切れる。何ら恥じることもない。    何ならユンファさんはその類まれな美貌のせいでケグリに目をつけられ、あの下衆(げす)男の性奴隷とされたのである。…とはいえ、もちろん俺が彼に惚れた所以(ゆえん)とはその人の美貌ばかりの話でもないが――それで言ってよいのなら、彼は今もなお心やさしく誠実で聡明だ。今もなお彼の魂は銀狼(ぎんろう)の気高さを帯びている。その点で言ってよいのならばなお、俺が彼に惚れるという宿運は疑いようもない――、しかし性奴隷とされてしまっていてもなお彼は世にも美しい。    過去の偉大な芸術家のおおくは好んで美人の悲劇を、不幸を、その哀艶(あいえん)の姿を好んで(えが)いてきた。それはなぜかといえば、美人の憂鬱(ゆううつ)は美人をより美しく色っぽく()せるからである。  ……(あわ)れな不幸の翳りをおびた月下美人の花びらは、それだからこそなお心惹かれる魅力をたたえている。たとえばのっぺりとした単なる純白だったならそれは花びらとは見えない。その純白の花びらに差した仄白(ほのしろ)い憂鬱な影があるからこそ、人の目はその華麗な造形をもつ純白の花びらをそれとして可視できる。――純白の月下美人にはその見事な美しい花の形を(ふち)どる影があるからこそ、その澄みわたる純白や見事な花びらの造形がなお映えて何ともなまめかしく美しく見えるのである。    また踏みにじられてもなお月下美人は美しく、むしろよりその甘い芳香を濃く(かお)らせる。  その悲境の切ない憐れさがまた何とも愛おしい。    それも憐れな見目麗しきその性奴隷――彼のその悲愴の姿にはしかし、貫くべき信念、誇り、意志、それら誇り高き騎士のような美々(びび)しい悲壮(ひそう)もまた垣間見える。  ……美しい。俺はそもそも根底的なサーニニズム(肉欲肯定思想)に共感を覚えている。とはいえ、性にまつわる全ての奔放は許されるべきというほどの淫奔(いんぽん)主義とまでは俺はいかないが、しかし事実性奴隷とされてしまったユンファさんのその悲愴、いや、悲壮なる憐れな姿には、インモラル的かつエロティックなそそられる美しさが認められる。    背徳を描いた官能的な芸術作品、妖しくも悲しげな魅力をたたえた月下美人――たとえば月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)がケグリなんぞの性奴隷とされなかったとしても俺は彼にアガペーを捧げたが、あの醜男(しこお)の性奴隷とされてしまった今の彼に対してもなお、俺はなんら迷うこともなくその人にアガペーを捧げられる。    たとえどのような背景に浮かぼうともその美しさはよく映え、たとえどのような姿であろうとも、月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)のその美しさは俺の目に眩しいほど唯一無二のものと映る。  ……俺は確信している。たとえ俺が初めて見たユンファさんが、今のこの憐れな性奴隷とされている彼であったとしても、俺は疑いようもなく彼に初恋の一目惚れをした。――彼が性奴隷であろうがなかろうが、そんなことは一切関係がないのである。俺のこの真実の愛が、俺の人生において一体どんな汚点になるというのだろう?  俺はどうであれ月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)との誠実な結婚を望んだに違いなく、もちろん今においても、その真実の愛の結実を切望している。    しかしひょっとすると俺は、今のユンファさんに初恋の一目惚れをしたほうがよかったのかもしれない。  ……そうなら俺が過去という不可逆的なものに悔恨の念を抱くこともなく、また過去の彼の姿と今の彼の姿を重ね合わせて悲しむようなこともなかったろう。    いいや、といって忘れることなどとてもできない。この初恋の記憶を失えば、俺は俺ではなくなってしまう。――初恋の記憶を亡くした俺などもはや俺ではない。この初恋の記憶を失ったとき、俺はそれと共に死ぬのだ。    あの日ユンファさんに出逢っていなければ、俺はここまで生きてはこられなかった。  あの日さえ無ければ……俺は自我を持つことさえもなく、ただ人形として人形に与えられるだけの幸せで満足できていた。あのまま死んでさえいれば…――。    俺はこれほど無我夢中で幸せを追いかけることなどしなかった。  しかし、俺のあの日から今に至るまでの全ての道のりには、月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)の月明かりの道標があった。    これはある意味でのLunaticである。  俺はやっと愛する俺の蒼い月のもとまでたどり着けたのだ。――『The moon will guide you through the night with his brightness,but he will always dwell in the darkness,in order to be seen.(月はその輝きで夜通しあなたを導くが、しかし()はいつでも宵闇の中に住んでいる。あなたが自分()の光を見失わないように。/シャノン・L・オルダー)』――(なおこれは意訳だ。またオルダーは本来月のことを「彼(he)」ではなく「彼女(she)」と表現している。)    月の光は宵闇のなかでこそひと際目映(まばゆ)いものである。    その満月はいつでも俺が望む幸せの光を投影して目映く輝いていた。――ところが俺は少し昼間に身を置きすぎたらしい。    俺の住んでいた昼間はあまりにも明るすぎた。  目が潰れたよ。そのせいで俺は貴方を見失ってしまった。俺は己れの全てをつぶさに照らし明らかにする強い光に狂い、自分の狂気という灼熱に苦しめられた。――俺は目を閉ざした。  ……すると虚構の盲目という暗闇のなかに貴方が見えた。…俺の瞳の中に住んでいる、俺の目映い蒼い月が見えたのである。    昼間の月は見失えど、誰もが宵闇の中で輝く月を見失うことはない。    絶望という宵闇の中でこそ気が付ける光というものがある。俺は宵闇の中、やわらかく透明な光に照らされている自分の手のひらにはたと気が付いた。    あれからもう十年以上も経ってしまった。  いつの間にか俺の手は大きくなっていた。しかしその震えている手首から下は全く傷だらけであった。  ――月は「僕を忘れてしまったの?」と俺のその傷を照らして俺のことを責めているのかと思ったが、そうではない。むしろその優しい月光は俺の傷を優しく愛撫していた。俺は月のその白い手を、その白い腕を目で追った。この目で優しい白い光をたどって見上げると、その漆黒には蒼い月が輝いていた。    貴方は今もなお美しく清廉(せいれん)に、しかし華々しく光り輝いていた。  しかし貴方の光はかかった(きり)朧月(おぼろづき)と弱々しくなっていた。貴方は宵闇の(とばり)に閉じ込められていた。その美しい両目には涙も浮かんでいない。貴方の唇は何も物を言わない。月は黙ってそのやさしい光で人を照らし続けていた。()は人は助けるが、しかし()を助ける人はいない。  ……宵闇の中でこそあえかな光に気が付ける。静寂に満ちた深い暗闇のなか、俺の瞳の中には、貴方の唯一無二の月華があまりにもたやすく入りこんできた。      ――ゆめゆめ酔生(すいせい)夢死(むし)に甘んずるな。      なぜこの運命の出逢いを悔めようか?    俺はもう貴方を見失うことはない。  貴方は「救いの夜明け」を俺に望むべきだ。  ――俺が貴方に「救いの夕方」を望んでいるように。    夢だったのです。  ――貴方はずっと俺の憧憬(しょうけい)たる夢でした。    貴方は今も昔もずっと綺麗だ。  貴方は初めから今もなおずっと――俺の綺麗な初恋の夢だ。    俺たちの初めての出逢いはそう――。    貴方が――高校生だった頃、  貴方がまだ――性奴隷ではなかった頃、      ……いや、本当は……――。     「……俺の夢…」    と俺は目を伏せたまま呟くように言った。   「俺とユンファさんが初めて出逢ったのは、俺の夢の中でのことでした…。貴方は十二歳の俺の夢の中に出てきたのです…、そして俺は、夢の中に出てきた美しい貴方に初恋の一目惚れをした…、……」    ユンファさんが「え…?」と疑わしげな低い声で聞き返す。――俺はその声を聞いたのちすぐに、   「…ふふふ、なんてね…? ……」    と目を伏せたまま、あたかもその真実をつまらない冗談と見せかける。俺は側頭部をあずける枕へ二つの瞳を向けた。  ――俺の持ちうる「真実」、十二歳の頃から見ていた「彼」の夢、そして十一年前の「あの日」のこと――それらとは間違いなく真実である。  しかしそれらが全くの純然たる真実であるにしても、それというのは今のユンファさんが信じられる真実ではない。    今のユンファさんは「盲目的リアリスト」である。  今の彼はすっかりケグリが創り出した虚構の現実をあたかも現実だと、あの男が演出している悪夢の真実こそあたかも真実だと思い込んでいる。  言うなれば、今のユンファさんにとっての「真実」はあのノダガワ・ケグリなのである。間違っても俺ではない。むしろ俺は「嘘」だ。よく言っても「夢」である。  ……今の彼は、あのケグリに則さない事柄には酷く懐疑的な警戒心を抱くようになっている。ましてや彼は今強いられて性奴隷としての陰惨な日々を送り、ひたすらに虐げられ、救われたかと思えば騙されて、要するに今のユンファさんは人を、ひいては人の言葉を簡単に信じることが難しくもなっているのである。    ――十二歳の俺の夢の中で出逢った?  十一年前、十六歳の彼と十三歳の俺が出逢った?    俺がその十二年、あるいは十一年越しに彼とのその「初めての出逢い」を追いかけて、こうしてユンファさんに会いに来た――。    今のユンファさんがそのおとぎ話のような真実を信じられるはずがない。今の彼の真実に則していない夢か(うつつ)かも判別できないような過去の話、それではまず俺の夢見がちな創作()話だと思われて終わりだろう。――俺の過去の真実をそれとして証明する術は、今の彼という盲目的リアリストの世界には存在していないのである。    信じてもらえない真実など所詮は嘘にも成り下がるものだ。――ここで俺の真実を打ち明けてしまえば、ともすると彼の不信感をさえ買ってしまうかもわからない。   「……、そうですね…うぅん…――真面目な話、貴方とは何処(どこ)で出逢ったのだったか……」    と俺は側頭部をあずけている枕へ二つの瞳を向けたままに言う。俺は嘘をつこうとしている。   「……いや。…申し訳無いのですが…初めて貴方と出逢ったときの記憶は今も尚鮮明にあるのですが、その場所というのにおいては、その実よくは覚えていないのです…。というのも、俺がユンファさんと初めてお逢いしたそのとき…――俺は貴方に、“一目惚れをした”と言ったでしょう…?」   「…ぇ、ええ……」    ユンファさんはやはりその「一目惚れをした」というところから懐疑的だが、ひとまずは困惑しつつもそのような相づちを打つ。俺は枕のほうへ目を寄せたままこう静かに続ける。   「…世間一般でもしばしば言いますように…一目惚れという衝撃的な恋をした人は、ある意味での“恋は盲目”という状態に陥るものです…――要するに、まるで稲妻に打たれたかのような衝撃的な一目惚れをすると…そうして恋に落ちたその瞬間には、あたかもその人しか目に映らなくなってしまう……」    ここで俺は枕へ寄せていた両目をゆっくりと真下へ向けながら、更に流ちょうになかばの真実を(かた)る。   「…俺もそうでした…。初めてユンファさんとお逢いしたとき、俺は貴方のその類まれなる美貌に、あまりにも衝撃的な一目惚れをしたものですから…――あのときはその実、俺の目には貴方しか見えていなかったのです…。――したがって…“何処で出逢ったか”というご質問には、大変申し訳無いのですが…俺は正直、それに関してはよく覚えてはいません、としか……」    そして俺はす…と青白い光をはなつ己れの瞳をおもむろに上げ、いま真っ正面にあるユンファさんの顔へ戻した。彼は困惑に表情を曇らせながらも俺を眺めていた。…俺は彼の黒紫の瞳を見つめながら、この両目を微笑にほそめる。   「だけれど…例えいつ何処で、どのように俺たちが出逢っていたとしても…――俺は必ず…ユンファさん、貴方に一目で恋に落ちたことでしょう。…つまり何処で…ですとか、いつ…ですとか、そんなことはきっと、どうでもよいことなのです。――そんなことより、何よりも大切な真実というのは、俺が貴方に運命的な一目惚れをしたということ……」   「……、…」    ふと目を伏せたユンファさんの眉間が疑わしげに曇る。しかし俺は彼のその黒い長いまつ毛の下で揺らいでいる黒い瞳を眺めながら、優雅な微笑を声にまでふくませてこう続ける。   「その真実は…如何(いか)なる状況においても、一番に大切な真実として…それこそ永遠の時を()ってしても決して移り変わることのない、不動の真実なのです。」    そう…出逢いの真実というのが俺の夢の中であれ、また十一年前のあの日であれ――そればかりは変わることのない、月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)という美男子に俺がした初恋の一目惚れというその真実ばかりは、俺という人の永遠の真実で間違いない。   「……、…で、でも……」    とユンファさんが目を伏せたまま更に表情を曇らせる。   「あ、貴方は…そう、だったとしても……じゃあどうして…僕は、その……」   「……あぁ…、……」    なるほどユンファさんは、つまりこう言いたい。  ――ひとまずのところは、俺が自分との初対面の場所を「(衝撃的な一目惚れをしたので)覚えていない」ということは飲みこむにしても、しかし、だからと言って自分のほうにまで俺との出逢いの記憶がない、というのは何かおかしい。  ……ましてや、いくら日に何十人という客を相手取っている自分であっても、俺のような人――長身の自分がそれと意識するほど背が高く、ヤマト人にしては珍しい金髪(といっても染髪しているのかもしれないが、と彼は思ってもいる)、また何よりも特徴的な水色の瞳をもっているような人――との初対面を、いうなれば、これほど特徴的な容姿をもっている人との初対面の記憶を、いくら近ごろは忘れっぽくなっている自分でも、そう簡単に忘れてしまうとはとてもじゃないが思えない。  かといって「夢の中で出逢った」なんておとぎ話のような話はもっと信じられはしないが、――     「……、…、…」    ユンファさんは目を伏せてある妄想をしている。  ――『でも、もしか、すると…僕……』と、彼は伏せているその黒紫の下部に赤紫の三日月の炎を揺らめかせる。――『既に…彼と、…せ、セックス、して……?』  ……ユンファさんの鼓動がドキドキと速まる。   『綺麗だよ、ユンファさん…』と彼の妄想の中の俺が、ケグリの店の薄暗い別室――灰色のコンクリート打ちっぱなしの壁に手をついて立っている彼の背中に上体をそわせ、その人の耳もとでささやく。(彼の妄想の中で)俺はその人の膣内に勃起を挿入しており、彼の上体を後ろから抱きしめながら、ぬちゅ…ぬちゅ…と彼のなかをゆっくりと行き来する。   『…ん…♡』となまめかしい鼻声をもらした彼は、俺の勃起にこつんと子宮口を突かれたなり、『ぁ、♡』とおもわず甘い声をもらした。彼は俺のそれにコツコツと優しく奥を突かれる。   『…ん、ん…♡ あぁ…♡ はぁ…♡ ぁ…♡ ぁ…♡ ぁ…そこ、好き…♡ 気持ちいい…です……』   『……ふふ…可愛い…。ユンファさんは、(ここ)がお好きなんですか…?』    と彼の妄想の中の俺はやさしい声で彼の耳にささやき、彼がはにかみながらコク…と頷くなり、()さってその人の体の奥に快感を与えつづけ――とそこでハッと我に返った現実のユンファさんは、   「……、…、…」    この甘い妄想にほんのりと両頬を薄桃に染めながらもきゅっと目をつむり、密かなわずかな動きでふるっと顔を横に振る。それによって自分のみだらな妄想を振り切ろうとしたのにもくわえ、ユンファさんは自分のそのまぶたで、その情欲の赤紫の小火(しょうか)を消火したのだ。  ……なるほどユンファさんは子宮口のあたりも性感帯なのか。いや、確かにあらゆる映像においてそれらしい兆候は幾たびも見られたが、彼が自覚するほどにそこは彼の確かなる快楽の泉であるらしい。     「……ふふ…ユンファさん…?」    と俺がニヤけながら彼に声をかけるなり、後ろめたいところのある彼はあわててパッと目を開けて俺を見ると、「はっはい、…はい、…」とあきらかに動揺したやけに威勢のよい返事をする。   「……申し訳無い…、本当に記憶が曖昧なのです…。もしかすると貴方のご主人様のお店でお逢いしたのかもしれませんし…はたまた違うところだったか、しかしいずれにしても俺は…――ふふふ…貴方があまりにもお美し過ぎてね……」  俺はユンファさんの小刻みに揺らいでいる赤紫の瞳を見つめながら、彼の上になった頬にかかる黒い横髪を、その人の耳にやさしくかけてゆく。   「……俺が初めて貴方とお逢いしたとき…俺は貴方のその美貌に圧倒されていたものですから、正直そのときには…貴方のことを遠巻きに眺めることしか出来なかったのです……」    そして俺は彼に微笑みかけながら、「どうも緊張してしまって、とてもじゃないが貴方の近くには行けなかった……」と甘い声で付け加えた。――すると純粋なユンファさんは「あぁ」と納得してうなずき、ふとまた目を伏せた。  ユンファさんはじっくりと口の中でこう呟く。   「…そっか…そう、だったんですね…、……」    ユンファさんは「うぅん」と低くうなりながら眉をひそめ、顎を引き、顔をうす赤く染めながら渋面(しぶつら)を浮かべる。  ……彼は先ほどの自分の可愛いみだらな妄想が、要するに単なる自分の妄想であったと――「遠巻きに眺めるしかできなかった」ということは、俺は実際には彼に指一本触れてはいなかったと――わかったので、いま自分のそれを羞恥心をもって強く戒めている最中である。    しかしはたとユンファさんは思い出す。  そして、   「でも……じゃあ、あ、あの…貴方は……」    と彼は目を伏せたまま恐る恐る言うが、   「……、…」    ……そっとその肉厚な唇を閉ざした。   「……ふふ…、……――。」    ユンファさんが今何を言いたかったか、もちろんそれは俺のこの目に見えている。      

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