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 ケグリとの通話がようやっと終わった――。  最中は非常に苦痛も苦痛であったが、とはいえ、俺より誰よりそうであったのはユンファさんに違いない。…だが俺は、少なくともある達成感から――今組みしいている格好の――ユンファさんを抱きしめたまま、 「――はぁーー……」  と深々としたため息をついた。  ともかく…少なくともこれならば、恐らく、ノダガワの家に戻ったユンファさんが虐待(お仕置き)をされてしまうようなことはあるまい。  しかし、それだって残念ながら「可能性は限りなくゼロに近づいた」という以上のことではないのだが、…というのもあのケグリは、すべては己れの虫の居所しだいで、たとえ彼に非がなくとも――もっとも彼はいつだって何も悪くないのだが――(むち)を打つような男だからである。  であっても、可能性がゼロに近しくなったというだけで今は良しとする他にない。  そう…――あんなの嘘だよ。  もちろん全部嘘。全部俺たちの真っ赤な嘘である。  すべてはユンファさんがノダガワの家に戻ったとき、ケグリから理不尽なお仕置き――という名の虐待――をうけないための「お芝居」である。  すなわち本当は…――。  ――俺たちはセックスなどしていない。  となればもちろん衣服とて一枚も脱いでいない。  俺は全身黒ずくめスウェット素材のパーカとパンツ、ユンファさんも立て襟の白いカッターシャツと黒スラックスを身に着けたままである。――もっともユンファさんは途中、ご自分のカッターシャツのボタンを全て外してはいたが、それは彼がそのとき臨機応変に、この「計画」にそれが必要だと考えたからであった。  俺はケグリからあの電話がくる前、ユンファさんとある約束をしていたろう。  ……それは「(お仕置きなどされないよう)命令はきちんと遂行し、また今宵はケグリの理想通りの展開になった」という嘘をケグリにつく、との約束である。  というのも…ケグリが激しい嫉妬と、あわやユンファさんを盗られてしまうかもしれないという危惧から、俺という客の――ユンファさんが惚れる可能性の高い、容姿にしろ社会的地位や能力にしろ、何もかもが完璧というほどステータスが高いとされるアルファ男の――激昂や失望をわざわざ買うように、また、俺と彼とがくれぐれも甘いロマンチックな「恋人プレイ」など行わないように、かえって暴行を働かれるように、などと策をこうじた上で、彼にそうした命令もしていたためだ。  ところがケグリはその危惧の思いの強さからか、今ユンファさんが仕事中にもかかわらず、ああして電話をかけてきた。  それは自分の命令、その(たくら)みがうまくいっているのかどうかが心配でたまらなかったのであろうし――何より愛する美しいユンファさんと、推定こちらも美しいアルファ男が二人きり、という状況にも不安になってたまらなかったのであろうし――、また仮にそれがうまくいっていなかったとて、その電話で釘を刺しておこうと思ってのことでもあったろうか。  まあしかし、あえてケグリの電話に応じない、という選択肢が思い浮かばなかったでもない。――それこそ(俺に)犯されていて電話に出る暇もなかった、とでも言えば、一応整合性のある理由付けにはなるからである。  だがこれは案の定俺の推察どおりでもあったのだが、たとえユンファさんにそうした電話に出られない正当な事情があろうが、あの男は彼が自分の電話に出ない、というのだけでああして不機嫌になっていた。  つまりケグリの電話に応答しないという選択は、その男の性格を踏まえてみるとあきらかな悪手であった。  なるほど、これはピンチだ。  チャンスという名のピンチだ。  ならばせっかくだ、逆手に取ってやろう。  それならばそう…――「真っ只中(ただなか)」といういかにもそれらしい状況証拠的な通話、それが一番あのケグリをだまくらかすにはふさわしい――ひいてはその通話は、ユンファさんがノダガワの家に戻ったときにつく嘘、それの信ぴょう性を高める効果もあるのではないか。  ……といったわけで、俺はあのバカ男の通話をはじめる前、急ごしらえではあったが、ユンファさんとこうしたすり合わせをしておいた。  なおもちろん俺たちが演じていたのは「ケグリの思惑通りの展開」――すなわちケグリの命令を遂行したユンファさんを、彼に失望した俺が無理やり、怒りのまま乱暴に犯している場面である。  俺はユンファさんにその演目を告げた上でこう言った。――貴方はご主人様(ケグリ)の命令に従った、そしてその通りの展開になっているということを、(ケグリに)大げさにならない程度に強調して伝えてほしい。  またあくまでもセックスをしているふり――俺が彼を犯しているふり――をするから、俺が股間をお尻に打ちつけたなり喘ぎ声をあげてほしい(俺はベッドをギシギシときしませてサポートする。本来セックス中はパンパンやぐちゅぐちゅといった音も鳴るものだが、電話越しならその(きし)む音だけでも十分だろう)。  ただおそらくケグリは貴方の声を聞きなれているから、なるべく最中の声を思い出しながら再現してほしい――するとユンファさんはそれを思い出しての再現ばかりか、俺に自分を愛撫するように頼んで、その声をよりなまめかしい「本物」に近づけていた――。  また電話に出られなかった理由は、一つは犯されている最中であったから。そしてもう一つは、「恥ずかしくて自分の感じている声をケグリに聞かれたくなかったから」――結局ユンファさんに惚れているケグリは、この美男子にそうしおらしく恥じらわれるだけで()い気になるだろうと思ったのだ――が、ちなみに俺はそうとしか指定していない。  つまりユンファさんがああしてケグリに対し、あたかも本当はその男を愛しているかのような媚態(びたい)を演じていたのは、すべて彼のアドリブだったということである。――またオメガ排卵期中はケグリのことをしか考えられない、というのも彼のアドリブであった。  さて、…では逆に、それでいてユンファさんはなぜケグリの電話に応えたか。――それはユンファさんが「ご主人様の声を聞きたいと思った」から……ではなく、忠誠を誓っているご主人様の電話には、何がなんでも出なければならないと思ったから…――というのを当初俺は提案していたのだが、彼はそれよりかもっと効果的な「(愛する)ケグリの声が聞きたかったから」というのを、説明ではなく、より説得力のあるもっともらしい態度でその男に示してくれていた。  さらに俺はユンファさんにこう断っておいた。  ――俺は激昂し、貴方を無理やり犯している男を演じる以上、貴方のご主人様を納得させるために、思ってもいない酷い言葉を貴方に言ってしまうことでしょう。だが無論それは俺の本心ではなく、それを言うのもまた決して俺の本意ではありません。そして場合によっては、いささかいやらしいことを貴方にしてしまうかもしれない。それにおいても俺の本意ではありません。どうか今度ばかりは大目に見てください。  以上――こうした「共謀」の(くわだ)てがあった上で俺たちは、ああしてあたかもセックス中であるかのように演技をし、この「作戦」を成功させた。  そしてそれは全てケグリの機嫌を損ねないため…、ひいては、ノダガワの家でケグリにユンファさんがお仕置きをされないため――。  しかしあの様子であれば、あくまでも現段階においては…という話ではある――何かしらがあってケグリが不機嫌にならなければ、という話にはなってくる――ものの、この件でユンファさんがケグリにお仕置きをされてしまうことはないはずである。  少なくとも電話口でのケグリは、ユンファさんが自分の命令に従っていることも、また自分の望み通りの展開――憤怒した客の俺がユンファさんに失望し、彼のことなど恋愛対象からすっかり外して、その上で彼を手酷く強姦しているという展開――になっているということも、それ自体はなんら疑っているようではなかった(ただしユンファさんの恋心においては幾度か疑っていたが、それも巧妙な彼の手練(てれん)手管(てくだ)によって丸くおさめられていたろう)。  ましてや先ほどの通話は、彼が従順な性奴隷としてケグリの命令に(そむ)かず、またそれを(ある意味では)成功させた……という()()()()()()()()を、ケグリに示すものとなったはずである。――そして、その上でさらに念押し例の「約束の嘘」もついてもらえれば、いよいよその件で彼がケグリにお仕置きされる可能性は極めて低くなったはずだ。  いや…そもそも俺は、ケグリがまずそれを疑わないだろうことを見越していた。――それはなぜか?  ケグリがこう思い込んでいるからである。  まさかユンファが主人である自分を裏切るはずがない、とね。  数々の映像にもあったとおり、ユンファさんはその男に対しての絶対服従の姿勢を決してくずさない。  それはマインド・コントロールのせいもあれ、また虐待的なお仕置きを恐れているせいもあれ、しかし何より、彼にはそうするだけの、それができるだけの、そうするべきという信念があるためである。――それは、愛する両親のためだ、彼らのためならばどのようなみじめな思いも扱いも、自分はどんなことにだって耐えられる…という騎士のような崇高な信念である。  そしてユンファさんは実際に耐えてきた。  ときには内心不承不承のああした媚態をも晒してまで、ただ愛する両親のためだけに、何とか必死に生きのびながら…――彼は自分がここで死ねば、両親も死を選んでしまうかもしれないと思っている――そして彼は両親のためだけにケグリに媚び、ケグリという主人から下されるどのような命令をも、実直に、ともすれば愚直なまでに、文句のひとつも言わずに必ず遂行してきた。  するとケグリは夢にも思っていないのだ。  自分が従順な犬として飼い馴らしてやったこの(ぎん)(ろう)が、まさか主人の自分を裏切るはずがない――自分がまさかユンファなんぞに手を()まれるなどまずあり得ない。  ケグリは思い上がっている。  自分の「調教」があまりにも巧みであるから、この首輪の着けられた美しい銀狼は、身も心も自分に完全に服従しているのだ、とね…――ところが…どれほど血だらけ傷だらけであろうが、ユンファさんの魂の銀狼は誇りを失いきってはいないのである。…なぜならその魂の誇りを、その気高き信念を根底のものとして、彼はケグリに服従している…いや、()()()()()()()からである。  恋敵のアルファ男の俺に、そして、誇り高き銀狼たるユンファさんにあたかも勝利してやったと思い上がっているのだろうケグリは、よほどトロイアの戦士よりも愚かな男だ。  ましてやユンファさんは途中で機転を利かせ、かえってケグリの機嫌を良くしてくれていた。  それこそ、先ほどにおいてよほど彼の手のひらの上で転がされていたのは、案外あのバカケグリのほうであった――普段からやっているのだろう、その経験則に元来の聡明さも手伝って、彼は俺が思っていたよりもうんとケグリの機嫌取りに熟達していた――。  するとまんまとおだてられたあのクソキモガエル、ユンファさんの媚態にやたらと上機嫌もそれが最高潮となっては、(ユンファさんだけならばまあ、それでもキモいがまだしものこと)俺という存在をもはばからずシコシコぬちゃくちゃ、果てには射精までしていたではないか。  何なら終わりごろには一応ご主人様ヅラをしてはいたものの、結局は「帰ったら…忘れるな」だのと念を押していたあたり、すっかり安心をしたのもあってかあのイボガエルは今ごろ、およそ「花嫁ランジェリー」を身につけた可憐な(俺の)ユンファとのいちゃいちゃあまあまラブラブえっちに想いを馳せ、また一人部屋でヌキにヌキまくっているやもわからな、 「……、…、…」  ッムカつく、…俺も可憐な花嫁ランジェリーを着た美しい(俺の)ユンファとラブラ…いや――しかし今はそんな呑気(のんき)を言っている場合でもない。  というのも――ユンファさんのあの媚態というのは、その実諸刃(もろは)(つるぎ)なのであった。  どうして好きでもない、…いや、それどころかあれほど最低な男、彼に憎まれて当然のあのケグリを、どうしてユンファさんが本当に愛せよう?  もはやあれでは情すらも湧きようがない。…もはや変態だの気色悪いだの虫唾(むしず)が走るだの、あれにはそんな暴言すらなまやさしい。  しかしユンファさんは、「お仕置き」よりかはそのほうがまだマシだというのである。――ケグリを愛しているふりをするほうが、ケグリとそれこそ「恋人プレイ」をするほうが、まだマシなのだという。  それも単なるそれではない。あのケグリの異常な嗜好を満たしてやるような、汚辱の、恥辱の行為がそれのなかに含まれている。――いや…もはやあの男に体に触れられるだけ、舐められるだけ、体を見られるだけで、その脂汗のにじむような嫌悪感のともなう(はずかし)めの思いをするに違いない。  それでもユンファさんは、そのほうがまだマシなのだというのだ。――さなかには死をも彷彿とさせる苛烈な虐待されるよりか、たとえそれによって自分の精神が殺されても、あの男に媚びるほうがまだマシなのだと。  だが彼はそれでいて、先ほどふと怯えながら懸念していた。  それによってケグリのあの馬鹿らしい身のほど知らずの思い違いが、あわやある確信とまで行き着いてしまえば…――自分はいよいよその男に避妊薬をもらえず、そのままその男に妊娠させられ、そして…――ケグリと、  ケグリと…結婚しなければならなくなるかもしれない。  しかし…そうなろうがそれは自業自得だ。  それは全て自分がそうした態度を取ったせいなのだから…、それを喜んでいるようなふりをした自分が悪いのだから…――ましてや…そのほうがお仕置きもされにくくなるだろうし…、するとまだマシ、かもしれないし……そうなったら、そのときはもう……、  ……諦めて…、…受け入れるしか…――。  だが俺が考えるに、仮に、万が一、ケグリとユンファさんとが結婚するということになったとしても――彼はおそらくそのとき、その男の子どもを妊娠してはいないことだろう。  それはなぜか――

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