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ユンファさんは今度こそケグリの子どもを妊娠させられるかもしれない――その男に避妊薬を渡されないかもしれない――と危惧をし、それくらいならば、せめて今夜多少なりとも恋心をいだいた俺の子どもを産みたい、いや、そのほうがまだマシだ、という消去法的理由で、俺に「抱いてください、孕ませて」と言ってきた。
……俺が彼のそれになんと返答したか?
「おやおや…ええ勿論。是非 喜んで……」
俺の答えは無論YESである。
……ただし、俺はこう続けたのだった。
「あぁ…や っ と 俺 と 結 婚 し て く だ さ る 決 心 が 固 ま ら れ た のですね、ユンファさん…――んふふ…俺、とっても嬉しいな……」
「……、…へ……?」
俺のうなじに抱きついているままのユンファさんが、な ぜ か 俺の返答に驚いている。――俺は腕を立てて彼を見下ろした。俺を丸くなった両目で見上げてくる彼は、やはりきょとんとした顔をしている。
しかし俺のほうこそなぜそうきょとんとされるのやら、不思議でたまらない――と小首をかしげる。
「……? ユンファさんはこの機に、俺の子どもを妊娠してくださるのでしょう……?」
「…え、ええ…、えっと…はい…あの、まあそのつもり、ではあります、が……」
と言うユンファさんは困惑し、その黒い眉の端を下げている。――何をそう困惑されているのやら!
俺は再びおもむろに頭を下げてゆき…彼の高い鼻先に自分の鼻先をちょんと触れさせ、す…とこの両目を細めながら、その人の困惑に小きざみに揺れる濃い紫の瞳をじっとみつめる。
「そうでしょう。んふふふ…あぁ嬉しいです、本当に…――まさか俺への愛が抑えきれず、そのような非常に情熱的な形で俺との結婚をご快諾くださるとはね…。いやはや…実に思いもよらないことでした……んふ、とってもロマンチック。」
「…え、…えぇ…? ぁ、あのっいえ、そ、そういうことじゃ…」
「それは何故…?」
いいや…なぜといえ、俺はユンファさんが俺と結婚をする、というのを前提に「妊娠させて」と言ったわけではないことはもとより、今性奴隷となってしまった彼の価値観上では、俺が全く「あり得ないこと」を言っているように思われてならないその理由、理屈もまた理解してはいる。――それだから俺は彼の返答を待たずして、また彼に口を挟ませないよう、すぐさまこのようにつづけた。
「クク…随分とおかしなことを仰言 られるのですね…、貴方のお腹に宿る子は俺の子でもあるのです。――それでどうして二人が結婚をしないという理屈になるのですか。…いえまあしかし…あえてその子をお一人で産み育てたい、という今の新時代的な価値観や確固たる信念あってのことなのであれば、それはなかなか先鋭的で見上げるものがあるようにも思われますけれど、…といって俺はそれを望んでおりません…。何故と申せ、俺は是非貴方の夫になりたいし、是非貴方との子のdaddy になりたいからです。…そして…そもそも俺の方もそれを承服した上でなければ、その先鋭的スタイルでの妊娠・出産は成立し得ないものかと……」
「…あ、あの、いえそうじゃn…」
「なおかつ俺は、それに関してはこれでも未 だ世間一般の価値観に近しいものを持っている男ですから…、しかしここで一応断っておきますと、もとより所謂 〝デキ婚〟という結婚のスタイルには偏見などありません…。きっかけというのが何であれ…結局のところ、二人が愛し合ってさえいれば何ら問題などないのですよ…。社会的に決め付けられた正しい順序など、そう…愛し合う二人には些末な問題に違いありません…――まあいずれにせよ、貴方が俺の子を妊娠してくださるというのなら…その場合俺はその子の父親として、また愛するユンファさんの最愛のパートナーとして…――貴方と、そして貴方のお腹に宿ったその子の人生の責任を取るべき立場にある…と、俺は世間一般の価値観同様、そのように貴方への愛と誠実性を以 て考えています。すなわち…」
俺はここで微笑みながらユンファさんの片手を取り、自分の心臓に押しあてた。
「喜んで。是非俺の子を産んでください――結婚しましょう。」
「……、…、…」
俺が滔々 と並べたてた言論に圧倒されていたユンファさんが、「あ…あの…」とやっと、困惑の表情のまま恐る恐る口をひらく。
「け…結婚、なんて、…な、なさらなくて、結構です…。もしこれで僕が妊娠をして…仮にその子を産むことになったとしても、あ、貴方に、責任を取れなどと迫ることは…あ、ありません…――絶対にそういうご迷惑はお掛けしないと、お約束しま…」
「いいえ」――俺は微笑しながらさえぎる。
「そうではありません。俺は寧 ろ貴方と結婚がしたいのです。――言ってしまえば子供など二の次ですから。もとより貴方との子供の父親になることは決して吝 かではありませんけれど…結局のところ、結婚するにおいて貴方が妊娠していようがいまいが関係ありません。――俺と結婚してください、ユンファさん。」
「……、…」
ユンファさんは困りきってその黒い長いまつ毛を伏せ、「で…でも……」
「あの…僕…今日、本当に危険日なんです…。今日は、本当にオメガ排卵期が近い日で…――つ、つまり、その…僕を孕ませられるかも、という楽しみ、のようなものは、今日でも…ぁ…あります、一応……」
「はあなるほど…? つまり、ユンファさんと築く幸せな家庭を思い描きながら、愛しい貴方を抱くという楽しみg…」
「っいや、そうじゃなくて…!」
いささか声を張ってそう断じたユンファさんは、話が通じない俺に少々もどかしい思いをしているようだ。――だが話が通じていないのではない。
恐れ多くも、この件で間違っているのは明確に彼のほうである。
……しかしユンファさんはその長い黒いまつ毛を伏せたまま、眉尻を下げ、諦めきったようなほのかな微笑をその美しい顔にうかべる。
「僕が言いたいのは、そういうことではないんです…――どうぞ…僕のような穢 れた性奴隷の体でもよろしければ、是非カナイさんの性欲処理にお役立てください…。この暗闇の中であれば…きっと、薄汚い不細工な性奴隷を抱いているということも、少しはお忘れいただけることかと思いますし…――そして…その性欲処理のついでに、僕のなかに出して…結婚ですとかそんな真面目なことは考えず、僕なんかのことは無責任に孕ませてください…、と…僕はそう……」
「僭越ながら、貴方は間違っている。」――俺は固い声でそうさえぎった。
「え……?」とユンファさんが傷ついたような目をして俺を見上げる。しかし俺は毅然とした態度で彼を見下ろしたまま、こう続ける。
「貴方は明確に間違っています、ユンファさん。――貴方の大切なお体は、そうした性欲処理だなんぞに使ってよい玩具ではありません。そして、貴方のお腹に宿るかもしれないその子供もまた玩具ではない。――尤 も貴方は今、そのあたりの価値観が些 か麻痺してしまっているだけのことなのでしょうけれど……」
「……、…」
ユンファさんは何かハッとした顔をしているが、といって同時に表情を曇らせ、この俺の言葉すべてを承服しきれないでいる。
それは当然だろう。今あの奸悪 なケグリの元で性奴隷として扱われている彼にとっては、――まして俺が今ここで何を言ったところでその現実は変わらない以上、――このような言葉は綺麗事としか聞こえない。
……しかしそれだって、彼が今夜のうちにも俺のもとへ来てくれると決心さえしてくれれば――そして、あわよくばそのまま俺と結婚してくれれば――たちまち変わる現実である。いや、彼のそれは今夜にだって一変というほど逆転するべき現実なのである。
俺はその願いあって信念を込め、こうつづけた。
「貴方の体は使い捨ての道具などではないのです。ましてや妊娠というのを享楽的な目的でさせるなどというのは、…有り体に言って最低です。…また俺は断固としてこう思っています。貴方は誰ぞの玩具相応の性奴隷やら何やらではない、とね…――ユンファさんはあくまでも一人の人であり、そして、生まれくるかもしれないその子もまた一人の人です。」
「……、…」
ユンファさんはまた目を伏せた。
――『僕を…ひとりの…人…? 性奴隷の僕を…そんな、人……いる…の…か……』
「貴方もその子も、大切にされるべき人です。愛されるべき人なのです。自他共に…――したがって…貴方はお腹に愛されるべき子を宿す前に、まずは大切に愛されなければならない。この俺に…、ね……」
「…………」
ユンファさんのその長いまつ毛の下に隠れた黒紫の瞳には、もう思考や感情というものが映っていない。うつろだ。もはや到底受け入れられないのである。――俺のこの言葉を受け入れてしまえば、両親のために、あのケグリの性奴隷でいられなくなってしまうからだ。
しかし…――俺はなぜかここで決心が固まった。
「ユンファさん…、ところでお願いがあるのです。…どうか俺に……――。」
×××
さて、俺たちはまたあの荘厳なるイエス・キリストや大天使等がえがかれたステンドグラスの近く、その悠々とした二人掛けのソファ――こげ茶の革張りのソファ――に並んで座っている。
「…………」
「…………」
しかし先ほど二人でこうしてここにかけたときとは、いささか二人の間にただよう雰囲気が違っていた。
その理由は大まかにいって二つある。
まず一つに、俺はこの広々とした壮麗なスイートルームの照明を消した。――そしてこの部屋の中央に置かれたプラネタリウムを点じた、ということ。
するとこのうすぼんやりとした暗闇のなかでは、俺たちの目の前にあるローテーブルの中央、そのガラス柵のなかで横一線に燃えさかる焚き火のぼんやりと揺らぐ灯りが、なお美しく引きたち――また俺たちの隣、その五枚横に並んだそれぞれ二メートル超ものステンドグラスの冴え冴えとした光はより神々しく、そしてそのステンドグラス下の、水がまんべんなく流れている蓮華やキャンドルのかざられた三段の石段はなお鮮やかに、そのイエス・キリストたちの色彩を揺れながら映している。
そしてこの部屋の壁のところどころ、ほとんど等間隔に設けられたガス灯のような優しい灯りをともした華美なランタン…――ステンドグラス下の石段に点々と置かれたキャンドルライトの小さな灯火…――その石段下の、壁の一辺ほどもある、かなり長大な横長の鉢(金魚たちが優雅に尾びれをはためかせながら泳いでいる鉢)のその底からこみあげるネオンブルーの照明、その幻想的な水影の揺らぎ…――それからステンドグラス横の小滝の流れる石壁、その組み合わされた岩のすき間からもれ伝う青い明滅するネオン……。
しかし何よりも特筆すべきはこの、高い勾配 天井いっぱいに広がった夜空――無数の星々がきらめきながらゆっくり…極ゆっくりと回転している宇宙のその運命的な動きを見上げているだけで、俺はロマンチックな気持ちで胸がいっぱいになる……だけれど、
見呆けていないで、そろそろユンファさんをリードなければ……スマートに…――。
ということで…俺は焚き火の美しいローテーブルの、そのガラス柵の前に置かれた二つのカクテルグラス――それにはそれぞれ、俺の瞳の色のカクテルとユンファさんの瞳の色のカクテルが満たされている――と、小袋入りのミックスナッツ、そしてフルーツの盛り合わせ――また、チェイサーにと頼んだ水は太った水色のガラスピッチャーにたっぷりと、それにはもちろん二つのコップも添えられて、……それらを見わたして満足してから、薄紫色のカクテルが満たされたグラスの柄をつまみ、もち上げる。
「――さあ、乾杯しましょうか…?」
そして隣でうつむいているユンファさんにそう微笑みかけた――が、もっとも俺は今また仮面をこの顔にかぶせて、隠している――。
……しかし彼はどこか不服そうにうつむいたまま、ちらりとこのカクテルと同じ色の瞳で俺を見、
「……、…、…――ぁぁ、…」
何かを言いたげにその豊艶 な桃色の唇を開閉するも、結局なにを言ったらよいかわからないで、あぁ、などとほとんどうなり、また目を伏せる。
「…あ、あの…僕、その、……」
「……ええ…?」
「あっあの、…あの、どうして……」
とユンファさんは俺を見ないままその黒い秀眉をひそめた。どうも理解できないというのである。
「…どうしてって…――あぁ、俺が先ほど貴方に言ったあ れ のことですか……?」
「…そうです…、あの、ぼ、僕、…せ、性奴隷…ですし、というかそれ以前に、その…――どうして…、ど、どうしてそんな……」
「…………」
俺たちのあいだに漂う雰囲気が先ほどと変わった理由、そのふたつ目――それもそれこそが一番の原因――それは、俺のある発言のせいであったのだ。
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