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「ど…どうでも、って……」
いよいよユンファさんは呆然としている。
「で、でも…っこ、この部屋、正直さ、三桁…とか、いやごめんなさい、――あ、あのっ…どうでもいいだなんて、そんなこと……」
「いえ、俺にとっては至極どうでもよいことなのです。申し訳ないけれど…、まあとはいえ…――では、こういうことにしておきましょうか……?」
俺はくるんくるんとカクテルグラスの中で回りながら波立つ、薄紫色のカクテルを眺め上げながら…このようなことをうっとりと口ずさむように言う。
「俺が今夜買わせていただいたものは、やはり憧れの貴方とデートが出来ているこの素敵な時間…、その貴方の人生における貴重な時間…――そして次に、貴方から先ほど頂いた〝チャンス〟です。…貴方の〝YES〟を頂けるかどうかのチャンス…――まあ尤も、貴方ほど素晴らしい人に対してでは、あれくらいじゃあまりにも叩き売りのレベルですけれど……」
諸々の明細を見たときは思わず勃起してしまったけれど、俺はまだ甘かった…未熟だった、青二才だった、…加えて月下 ・夜伽 ・曇華 を得るチャンス、いうなればユンファさんの「人生」を得られるかもしれないチャンス、それを買ったにしては、このスイートルーム代にせよあの程度の指名料・サービス料にせよ、いよいよ出血大サービス…といったところ…――まあこれはあ る 種 の 借 金 ということにしておけばよいか。これからいくらでも貢げばよいのだよ……もちろんユンファさんに……一生。
「…んふふ……」
あぁ大変…そう思うとまた勃起してきt…――。
「は…っ? なっなんてことを仰 っしゃるんですか、そんなっ…叩き売り、? あ、あのっ僕、のうのうと何もせずにだとかそんな、…とても出来ません、申し訳がなくて……っ!」
「……なるほど…、では、そこまで俺に抱かれねばならないと強く思われてらっしゃるようなら…――どうぞ、さっさと俺のプロポーズに〝YES〟を下さい。…まあ…最悪、…恋人でも構いませんけれど……」
俺はまたチラリと横目にユンファさんをうかがい見た。
彼はぎょっとした顔をしているが、この薄暗い部屋のなかであるとなお、その美貌がミステリアスな色気を帯びて見える。――やっぱり…俺のユンファはとっても美しい。
「あ、あの……ぼ、僕…そんな…、…そんな……ど、どうして…、あっあのじゃあ、まさかこういうことですか、――僕がその……そのい、イエス…? を今夜中に言わなかったら、…あ、貴方は…僕と何もしないまま、そのまま…わ、別れるというか……ほ、本当に、それでいいんですか、…いやっいいわけないで……」
「ええ勿論。流石貴方って賢い人、そう大正解です。俺はそのつもりですよ。ええそう…そうならそれで一向構いません。俺はね……」
まあ千載 一遇 のチャンスとはいえ、よしんばこれを逃 したところでも絶対逃 がしやしないし…――必ず訪れるだろう次なるチャンスも、月下 ・夜伽 ・曇華 も。
「……、…、…」
ユンファさんは目を見張り、唖然とした。
それもショックのあまり真っ赤になってゆく……あとそのふっくらした唇の端にのぞいている尖った真っ白な犬歯が可愛い…――キスしながら舐め回したい。
「ぁ、で、でも、…っあの…あ、あの、…あの……」
「あぁやはりその額 ではご不満ですか。それは全くごもっとも…、では一千万…――それとも一億…? 二億…? あぁ……三億でどうでs…」
「は…っ? はあぁ……っ!?」
ユンファさんはその真っ赤な驚き顔を険しくして、なかば俺を睨みつけてくる。
「か、っからかうのはやめてください、」
「いえ、からかってなどいません。俺は本気で…」
「あ、あのっ…!」
ユンファさんは泣きそうな顔をして目を伏せる。
俺はここまで横目に見ていたところ、ふとユンファさんへなかば顔を向けた。
「……あ、あの…、魅力がないのは…わ、わかっています、…よ、要するに、だ…抱けないと、…僕なんかはとても抱けないと、そういうことでしょう、」
「いいえ。そうではなく…」
「でも、さ、さっき…――か、硬く…その…、だから、…ご、ごめんなさい……」
ユンファさんの長いまつ毛の下でゆらぐその潤んだ群青色の瞳は、その「ごめんなさい」と意味を宿している。――『期待…してしまった…』というのだ。
――『抱いて…いただけるかと、あのまま…、ご主人様との通話中に…硬くしてくださって、…嬉しかった…、…だからあのまま…烏滸がましいが、……あのまま…どうか抱いてほしかった……だが、……無理…だよな、…僕なんかじゃ……』
「あの…」――ユンファさんはうつろな伏し目を更に潤沢にうるませ、小さな声でこう言う。
「スマホをお持ちでしたら、お好きなコンテンツをご覧になっていてください…――僕は布団の中で舐めたり、その…オナホにしてください、…絶対に声は出しません…、せめて…あ、穴だけは…お使いいただければ……それなら……」
「どうしてそのような勿体ないことをしなければならないのです。――そもそも俺は貴方を抱きたくて堪 らない。…だが、」
俺はカクテルグラスをそっとローテーブルの上にもどし、それを眺めおろす。
「俺が欲しいのは貴方の〝全て〟なのです。再三ですがね…――俺はこれでもかなり我慢しているのですよ、ユンファさん……」
「でも……僕……、……」
……ユンファさんはソファに座る俺の太ももの上に、おもむろにまたがってきた。――そして俺の首すじにちゅ…と軽く、その人のふくよかなあたたかい唇が吸いついてくる。
「…僕には…体しかないんです…――先ほどは…その、…ありがとうございました……」
「いいえ。俺は貴方からお礼を言っていただけるだけの働きは……」
できていない。事実ケグリとのあの通話を巧くまとめあげたのは、ユンファさんである。彼の功績があまりにも大きい。というよりか、俺はほとんど何もできなかった。
……しかしユンファさんは俺の首もとでこうささやき声で言いながら、パーカの上から俺の胸をゆっくりと撫でまわしてくる。
「そんなこと…ありません…、僕がどれだけ救われた気持ちだったか…――とても心強くて…、本当に感謝しているんです…。だから…お願いします…、…お礼といってはあまりにも烏滸がましいですが……僕にご奉仕、させてください……」
そう言って彼は俺の首すじをぺろ…と控えめに舐めてくる。――ああ、それは…さすがに……。
「…ご奉仕、ですか……」
ドキドキしてきた……。
俺はぐっとユンファさんの背中を強く抱き寄せた。
彼はビクッと怯えたように体をはねさせ、じっと固まる。そしてこう震えながらまくし立てる。
「あ、あの、ごめんなさい、ごめんなさい、…お礼にならないことは重々わかっているつもりです、そもそもお代を頂いている以上、これほど烏滸がましい話もないですが、…でも…僕、せ、せめて…せめてお使いください、…僕のオメガの体を、好きに使ってください、他のオメガの方には到底及びませんが、ゆるくて、ブスだし、ず、図体ばかりデカくて、のろまで、汚くて、臭い、…で、でもっ…――でも何でもします、本当に何でも、…どのようなご命令であっても僕、…そ、それこそよろしければ本当に、本当に今夜一晩ずっと全身を舐めます、舐めさせてください、どこでも、貴方のお気の済むまで……」
「……何でも…?」と俺はユンファさんの耳に囁く。
「本当に……?」
「…は…はい…」
「そう…――。」
俺は自分の首もとにあるユンファさんの顔、その両頬を包み込みながら、俺の顔に向かい合わせにさせる。
「それでは…命令だ、ユンファ…――。」
「……はい…」
ユンファさんはうつろな目をして微笑した。
およそ「命令」と耳にしたなりほとんど自動的に、彼はすべてに対して諦観し、もう自分は痛みなど、屈辱など、羞恥など感じない――自分はもう何も感じないのだと、彼は必死にそうした無感情に自分を沈めるようになっている。…そうして自分を守っているのだ。であるからユンファさんのその虚ろな微笑は、また美しい人形のように凍り付いている。
「…貴方様のご命令とあらば、何でもいたします…」
「……、…」
しかし…そうして儚く微笑むユンファさんの群青色の瞳のなかで、悲しげな淫魔が蒼い炎の姿で咽 び泣き、しかし笑いながらなまめかしくその細腰をくねらせ、艶冶 に踊り狂っている。
――人型の炎…いや、荒淫 の炎に全身を包まれて焼かれている淫魔、むしろその炎に強いられて「命令していただけて嬉しいです、ありがとうございます、どうぞお気の済むまで僕をいじめてください」と踊ることをやめられずにいる、泣き笑いの美しい淫魔だ。
しかしその二つの潤んだ瞳は恍惚ととろめき、エクスタシーを迎えているようですらある。
なるほどね…どうやら彼の中には淫魔が棲み着いているらしい。――しかしこれもまたユンファさんが有する、官能的な魅力の一つである。
要するに俺は、何としてでもこの淫魔の新しい主人になる必要がある。
なぜならユンファさんの中に棲まうこの淫魔は、主人無くして生きてはゆけない存在だからである。
例えばこの淫魔の首に着けられた首輪を外すとき、彼は主人を失うという酷い恐怖心と苛烈な不安、また主人の命令に背いてしまうという命懸けの罪悪感から、ともするとパニックに陥ってさえしまうかもしれない。
つまり――新しい首輪が必要だ。
「…ふふふ……」
この淫魔を殺してしまえなどとは、俺にはとても思えない。
死にゆく自由よりも…生きるための束縛をあえて望むのならば、俺が新しい首輪を与えてさしあげましょう。――この淫魔をも含めて欲しい…、これもまた俺の愛おしいユンファさんの大切な一部なのだから。
殺せやしないよ――この淫魔を飼い馴らすための首輪と新しい調教は必要だろうが、それはそれとして俺は楽しめるに違いない。むしろそ う い う の 、俺も大好き。
だから…用意しておいてあげる…――。
さて…では早速命 令 をしようか?
俺はユンファさんの、その美しいうつろな群青色の瞳をじっと見つめる。――そして俺はそれらしい低く脅すような声で、彼にこう命じた。
「命令だユンファ…――さあ、お舐めなさい……」
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