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「貴方は…――。」
とささやくような――どこか夢見がちな――声で切りだしたユンファさんはしかし、やはり固く目をつむったまま、その凛々しい黒い眉をこわばらせたままである。
「まるで…夢のよう、なんです…――どこか…その…、失礼かもしれませんが、…どこか…貴方には、現実味がない……」
「……、…」
悔しさのあまり、俺の上下の唇には自然力がこもった。
しかし俺のそれなど知るよしもないユンファさんは、小さく震えているその桃色の肉厚な唇の端をわずかに上げ、さらには眉尻を下げて、しかしまぶたは閉ざしたままに、困ったように微笑した。
そして彼はきわめてゆっくりと、このように言葉をつむぐ。
「それはきっと…、貴方が、あまりにも完璧で、素敵すぎるから…――神様のようにどこまでも優しくて…童話の中の王子様のように、とてもロマンチックな人だから…――貴方はご自分のことを、〝悪い魔法使い〟だとおっしゃられるが…、僕にしてみれば貴方は…、…貴方は、王子様です…」
しかしユンファさんは眉尻を下げたまま眉をひそめ、見ている俺がいたわしくなる微笑をうつむかせる。
「でも…僕は…、その一方で僕は、本当は…――まさか…、王子様ではありません…。例えであっても、冗談であったとしても…、僕は本当は、貴方の王子様などではなくて…――本当は……」
「違う。」
俺は固い声で彼の言わんとしていることを否定した。否定せずにはいられなかった。
しかしユンファさんは「いいえ」と、目をつむったまま――あたかも自分には現実が見えている、だからそれの見えていない俺にその現実をやさしく言い聞かせねば、というふうに――、その伏せられた美貌にうかべている困り笑顔を深めた。
「僕は性奴隷なんです、どうしたって…何があろうとも…――貴方という王子様とは到底結ばれようもない、性奴隷なんです…」
「ユンファさんは性奴隷なんかじゃない。貴方は…」
「僕…」――ユンファさんが俺の言葉をさえぎりながら、自分の首に巻かれた赤い首輪の南京錠に、ちょんと震えた指先で触れる。
「…いいえ、僕は惨 めで薄汚い性奴隷です…。とても貴方には釣り合わない…――でも…、正直……」
「……、…」
当然ふたたび否定したい気持ちは俺の喉もとまでせり上がり、それは喉を焼くようではあったが、しかし俺はあえて何も言わず、ユンファさんの言葉を待った。
するとつらそうに、泣き出しそうに、申し訳なさそうにその麗しい眉目に悲痛をにじませた彼は、何度かその肉厚な唇をせまく開閉した。――そしてややあってから、どこか思いきったようにこう言うのだ。
「僕はきっと貴方に…恋を、してしまいました、…ごめんなさい、――烏滸がましいことは重々わかっているつもりです、…でも、……」
俺はユンファさんのことを強く抱きしめた。
は、と彼が息を呑み、しかし俺の腕の中で小さくなる。まるで俺がこの腕の中に、彼のからだを閉じ込めやすくしたかのように。
「でも…、何です…?」
と俺がユンファさんの耳に甘くささやくと、彼はするりと俺の肩甲骨を両方やさしくなで上げながら、高まる鼓動に息苦しそうな震えた声でこうこたえる。
「で…でも…、…僕…――せ…せめて…その…、その…――今夜…、貴方に、抱かれたいんです……」
「それならば…」俺は焦らすようなのんびりとした手つきで、ユンファさんのカッターシャツの背中の中腹から腰の裏へ、すー…と片手をすべらせる。
「どうぞ…せめて俺の恋人になってください…」
「……、…、…」
ひく、と彼の腰がかすかに官能の反応をしめし、彼は震えながらもぎゅうっと俺の背中を抱き寄せ、自分の上半身を密着させてくる。
「で、でも、あの…あっ貴方は、その…僕のような性奴隷でも、恋人にしたいと…、本当にそう、思われますか……」
「……、俺は…」少し考えた――今ユンファさんから前向きな何かを感じ取ったからである――が、彼の耳もと、低いささやき声で、真心をこめてこう答える。
「間違っても貴方が性奴隷である、とは露 ほども思っていません。だけれど…」
だけれど…――俺はそっと離れざま、ユンファさんの片手をそっと取り、お互いの胸板の前、その手を両手でやさしく包み込む。
少し緊張をしたような伏せ気味のユンファさんの美貌は、やはりその黒い長いまつ毛を伏せきったままである。
模造された陽光に照らされてなお真っ白なユンファさんの顔の半分、俺の顔半分――紺とオレンジのダイヤ模様の床に長く伸びる二人の影が、おもむろに額同士を近寄せる。
「貴方ご自身や他の誰か…たとえば貴方のご主人様らが、貴方のことを性奴隷だ…と言い張ったとしても…――それでも俺は、貴方の恋人になりたい。」
「……、…」
真横のステンドグラスから射し込む陽光が、震えているユンファさんの長い黒いまつ毛に宿って、チラチラとまたたいている。
俺は照れくさく微笑しながら、やわらかな明るい声でこうつづけた。
「俺にとっては、貴方が何者であるかなど全く問題ではないのです。…貴方が性奴隷であれ王子様であれ、また俺が悪い魔法使いであれ王子様であれ…――愛しています。ユンファさんは俺の好きな人なのです。――俺にとって貴方は今もなお高嶺の華、叶うならば恋人になりたい人…――立場だとか肩書きだとか、はたまた他の誰かであるとか、そういった些末なものは結局のところ、俺の目には見えていません。――ユンファさん…、貴方の美しさしか、貴方の清らかな心優しさしか、貴方のことしか…――俺のこの目には見えていないのです。」
「……、…」
ユンファさんの美しい顔が、まるで幸せな夢を見ている人の寝顔のように、ほんのりと微笑する。
「ですからユンファさん…――もしよろしければどうか、俺の恋人になってくださいませんか。」
「……、…」
……ふと、
ふと…――うつむいているユンファさんの、その黒く長いまつ毛がそっと上がり…、彼は美しい伏し目になる。
そしてユンファさんは、あえかな吐息でこう答えた。
「……はい…――。」
「……っ、…」
にわかに俺の両目が見開かれる。
すさまじい勢いで渦まく竜巻を我が胸の中に、いいや、もはやそれがろっ骨という檻のなかにかろうじておさめられているのを感じる。
「ほ、本当に…っ?」と俺は動揺も隠しきれず確かめた。
するとユンファさんはその目を上げて俺の顔を見るでもないが、しかし伏し目のままやわらかく――あまりにも美しく――微笑し、こくんとうなずく。
「ぼ、僕なんかで…よろし、ければ……」
「……、…」
なる、ほど…――俺の肩が下がる。
ユンファさんのその長いまつ毛の下で小刻みに揺れている、その片方は薄紫、もう片方は碧 の瞳はたしかに、――今度は嘘やごまかしで交際に応じてくださったわけではないことを、しかと映し出している。
ので……俺はこう答える。ひとまずは。
「〝なんか〟だなんてとんでもない…――俺はユンファさんだからこそ、貴方と〝本当の恋人〟になりたい…、いえ、なりたかったのです。――ふふ…、どうぞよろしくお願いいたします。…これよりは設定や嘘、まやかしなどではない、正真正銘〝本当の恋人〟として…ね…。……」
つまりユンファさんは、いよいよ俺の「本当の恋人」になってくださったのである。
ただし…――今 夜 だ け 。
……初恋の美男子が正真正銘、俺の恋人になってくださったことこそ欣幸 のいたりには相違ないものの――その彼にとっての安全圏を出ない制約があるからと、まさか糠 喜びとまではいえやしないものの――、それにしても狡 い。
それだからユンファさんは、案の定こう付け加えるのである。
「はい…。ただ、その……僕たちが〝本当の恋人〟になるのは…今夜、だけ……」
「…今夜だけ、ね…、俺はそうした〝一夜の夢〟では到底満足など出来ません。――つまり…今夜だけでは嫌。」
と俺はいささか意地悪な子どもっぽい調子で言い切った。――するとユンファさんは長いまつ毛を伏せたまま、困って眉尻を下げる。
「ですが…もうお会い出来ることもないでしょうし……」
「それは一体どうして。…恋人関係ともなれば、当然再び相 見 えるべき間柄といえるはずでしょう。」
「……でも…、……」とユンファさんは、その伏し目に悲しそうな憂いを帯びさせる。
「僕は先ほど貴方に…自分のことはもう二度と指名しないでほしい、と…――そして、貴方もまた…」
「あぁ」――俺は鷹揚な声をあげる。
「なるほど。…しかし、先ほど俺が〝もう二度と貴方を指名しない〟と言ったのは、そうすれば貴方にご迷惑が掛かってしまうのだろう…と憂惧 したからに過ぎません。――そもそも俺は、あのときも〝だからといって貴方を諦めるわけではない〟と申しました。つまり、〝貴方とはもう二度と会わない〟といった意味であれを言ったのではなく、あくまでも〝もう二度と指名はしない〟という意味合いに限定してそう言ったのです。」
するとユンファさんはその伏し目に、希望のような美しいきらめきを宿し、声も幾分か明るませてこう言う。
「それ…じゃあ…、あの、また…――また…叶うならまた、お会い、出来ますか……?」
「ええ、勿論。」
俺は両手で包みこんでいるユンファさんの片手、そのゆるやかに曲がった白く長い指の背にちゅ、と口づけたのち、彼の伏せられた長いまつ毛を見つめながら、
「是非、また必ずお会いしましょう。」
と欣 びに多少明るい、しかし確固たる意志のこもった固い声でそう答えた。
ただし…――ユンファさんには言わないが――俺はもう二度と彼のことを指名する気はない。
いずれにせよ俺とユンファさんとは、また必ず再会することにはなるのだが、今度こそ俺は「夢」ではなく現実の姿、嘘偽りのない自分――九条 ・玉 ・松樹 として、月下 ・夜伽 ・曇華 に会いにゆくと決めているからである。
まあいずれにしても……。
「んっふふ…俺たちは恋人同士になったのですから、〝次〟があるのはあくまでも当然のことでしょう…? ――まして、俺は絶対に〝今夜だけ〟というのは嫌なのです。…断固そうしないためにも、必ずや。ね…?」
「……、…」
すると、ユンファさんは幸福にひたるようにそっと目を閉ざしながら、頬を紅潮させてにっこりと微笑する。――そして彼はドキドキと胸を高鳴らせながら、ふと俺を見上げるように顔を上げた。ただし彼の目は開いていない。
「…あの、それなら…ごめんなさい、――次で…いいでしょうか…」
彼の両手が盲目の人のような手つきで、ちょん、ちょんと俺の胸板を上がり、俺の首にちょんちょんとふれ、そして――震えながらこの両頬を包みこむ。
「…もし…もし本当に、貴方がまた僕に会いに来てくださるのなら…――その時には僕、必ずこの目を開けます…。貴方からはもう、目を背けません…――お約束します…。」
そしてユンファさんは、固い決意の声でこう言った。
「次にお会い出来たその時には必ず…――必ず僕は貴方の顔を、貴方の目をまっすぐに見る、と……お約束します。」
「……、…」
敵わない。と俺の口がややへの字に曲がる。
そう言われてしまったら、これ以上食い下がることもできない。そもそもどう食い下がっても、今夜ユンファさんの目が俺の顔を見ることはなかろうが。
仕方がない…――俺は彼の額に、こつんと自分の額をやさしくぶつけた。
「では俺の方も――また必ずや恋人のユンファさんに会いに来ると、お約束します。」
「……ふふ…、…は、はい……」
「……ふ…、……」
まあ…いいか。と笑う俺だが、そして…――。
「…貴方は本当に綺麗だ、ユンファ……」
あの日にキスをしたときよりはいくらかやつれている。
その顔の造形がより浮きぼりになるほど痩せ、やつれた頬、肌は赤みが差してもなお青白いほど、唇の赤色は失せて青ざめ、今は青みのある桃色となって――しかし彼は、それでもあの日と同じ月の美男子だ。
こんなに美しい人は初めて見た。
そう――貴方は誰よりも美しい、俺の蒼い月だ。
俺はユンファさんの美しい顔を眺めながら、彼の両頬にそっと触れ…――まぶたを伏せながら顔を傾け、ゆっくりとその美しい顔に、肉厚な形の良い桃色の唇に、顔を、この薄く開いた唇を、寄せてゆく。
「……っ、…」
「……、…――。」
あの日よりは――温度が低く、弾力のある柔らかさだ。
あの日のように無反応ではなく、ピクリと動いた。
ユンファさんは、ちゃんと生きている。
――俺の熱いくらいの温度によって生き返った…そう言ってもいいのかもしれない。
だが、依然ユンファさんの中での「今夜だけは本当の恋人」という制約は取り払われていない。「次」があろうとも、である。
華は折りたし梢 は高し……とはいえ、少なくとも俺は初恋の美男子の恋人になることはできた。
それもきちんと想い合った上で、である。
やはり我々は「運命のつがい」か…、それこそ今のユンファさんを縛り付けている――彼にとっての――現実、という呪縛さえなければ現状、およそ彼は今度の俺の交際の申し出も欣諾 したに違いなかろう、というところまでの段階にはいたれている。
これは先ほどにも思うことだが、今夜はとにかくこの愛をより深く確固たるものにしてゆくこと、それが先決、かつ今後の勝利をより盤石 なものとする選択にちがいない。
今夜に欲張って虻 蜂 取らず…では元も子もないこと。
さあ…そろそろ仮面を着けようか。
そのほうがまだ、今夜のユンファさんは俺に目を塞がない。
まだそのほうが、今夜の彼は俺のことを見てくれるからである。
ここまでくればもういっそとことんまで、もっと貴方を砂糖漬けの美しいお菓子にしてあげる…――。
「…………、ふふ……」
俺はしばらく唇を押し付けたあと――おもむろに離れた。
リップクリームで保湿されたお互いの唇の表面同士が吸いつき合い、ゆっくり…じっくりと剥がれてゆく唇の表面同士――離れがたいというような速度で唇を離すさいにも、俺は唇にかすかに甘い、初恋の擽 ったさを感じた。
あの日と同じような、唇同士をただ合わせるだけのキス――しかしあの日のユンファさんの唇よりも、今日の彼の唇はややかさついていた。
リップクリームは塗っているようだが、それでも補い切れない彼自身の唇の乾燥は、もはや内側からして潤いを失っているのであろうと思われる。それでもいくらか荒れて、皮が擦れているようなのである。
日々ユンファさんはこの唇を酷使しているのだろう。――俺は眉間をくもらせた。が、
「あの…」とユンファさんが目をつむったまま、緊張した顔をして、またかつドキドキと鼓動を荒立たせながら切り出した。が、彼は直後にゴクンと喉を鳴らす。
「…はい…、んふふ、どうかなさいました…?」
と俺は伏し目で、可愛いなぁと彼のその緊張にややこわばっている顔――それもみるみるとうす赤く染まってゆく顔――をながめながら、優しくその言葉の先をうながす。
するとユンファさんは、おそるおそるのか細い声でこう俺に提案してきた。
「そろそろい、一緒に…その、お風呂…入りませんか……? へへ……」
「……、…、…」
それはいけない。大変。――鼻血が。
×××
(昨日更新の鍵にも同様の文面を掲載しておりますため、そちらでお読みいただいた方は以下のお知らせは読まなくて大丈夫です!)
お久しぶりです…!
皆さま、いつも本当にありがとうございますm(_ _)m
さて、Xやブルスカでも「突然引っ越すことになっちゃったので、更新がまばらになるかも〜〜」などと抜かしておりました鹿ですが、思いのほか引っ越してのちにやることが死ぬほどあり、更新がまばらになるどころか、しばらく全く小説が書けねぇ日々がつづいてしまっておりました(白目)。
以前言っていたことと違う感じになってしまい、本当に申し訳ありませんm(_ _;)m 正直引っ越しっつーもんを舐めていました。引っ越しは人生二度目です。学べ。
ほいで、ひとまずはあら方片付き、今日からやっと復帰!という感じなのですが、ちょいちょいまだやることが残っていたりなんだりするので、今度こそ……本当に……多分……更新がまばらになるかも〜〜! でもなるべく(執筆に詰まったりしなければ…)三日ごと更新できる期間もあるはず〜〜! なフェーズに入れたはず! もうこれ以上ふわふわしたこと言うなあ!! すみません……。
※あとめちゃくちゃ久しぶりに小説書いたせいで、案の定すっかり書き方忘れてました。誰か助けてくれ。
そ、そんなわけで…ひとまずはただいま…!
マジですんませんでした…今後ともぜひよろしくお願い申し上げます。
🫎藤月 こじか 春雷🦌
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