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参 ─さん─

夕方頃、琥珀が目を覚ますと、当然隣に枯森はいなかった。 「……」 寂しいような、ほっとしたような感覚に琥珀がぼんやりとしていると、天井を見ていた視界に影が落ちる。 「琥珀、よく寝ていたねぇ。おはよう」 「……。……ッ!?」 琥珀が飛び起きると、枯森に頭突きを食らわせた。故意ではない、事故だ。 「てて……いたいなぁ……。君の頭は硬いなぁ……。大人の僕が負けてしまうとは……」 額をさすりながら、枯森は琥珀を見る。みるみるうちに眉間に皺がより、目尻が釣り上がるのを感じながら、琥珀が吠える。 「なんっで、まだいるんだよお前っっ!?」 「なんでって……。琥珀の寝顔が可愛いのが悪いと思うよ。眺めていたらこの時間だったんだ」 「何時間見てんだ馬鹿かよ!!」 「そうだねぇ、親馬鹿という言葉もあるというし、僕は君の客馬鹿というやつかもしれないねぇ」 そう迷いなく言い放った枯森の頭を叩くと、いい音がした。これはいい木魚ではなかろうか。琥珀はじっと枯森の頭を見ながら言う。 「……おはよう」 琥珀の視線から頭を隠しつつも、枯森は笑った。 「ああ、おはよう。じゃあ僕は帰るとするよ。お仕事頑張っておくれ。ああ、いや、今日は非番だったね」 「そうだけど、っておい、どこから……っ」 どこから帰るつもりだ、と琥珀が聞き終わる前に強い風が窓から吹き、それに怯んで目を閉じる。そして風が落ち着いたと思って顔を上げると、枯森の姿は跡形もなく消えていた。 神の御業と言われても納得してしまう消え方に、琥珀の胸がざわついた。 この店の他の陰間は非番の時は大抵昼から起きて町へ降りたりするものだが、琥珀はもっぱら室内で読書や趣味の範疇を出ないが書き物をするのが好きである。 「こいつ、枯森に似ているな……」 枯葉色の長い髪を簡単にまとめて、飄々と笑う物語の登場人物が琥珀の厄介な元客と重なった。その人物の一文を撫でながら、琥珀は大鳥から聞かされた身請け話のことを考える。そして同時に、大鳥は死相がでているからやめなさいと忠告した枯森の言葉も思い出した。 「死相が出てる……か。その死は回避出来るもんなのかな」 「う〜ん、それは、出来ないだろうねぇ……」 「うわっっ!!??」 また急に現れて耳元で呟く声に驚きながら横に目を向けて睨む。 「帰ったんじゃなかったのかよ?」 「帰ったよ。でもまた琥珀の顔が見たくて」 「じゃあもういいだろ、帰れ。毎度毎度なんでこう、人が悩んでる時に……。そもそもお前、どこから入ってきてるんだ」 「ん〜……ひ・み・つ♡」 「気色悪い」 唇の前に人差し指を立てて笑う枯森の顔が妖しくも美しく見えて、琥珀は照れ隠しのように悪態をついた。 「それで? やっぱり君は例のお客に身請けしてもらうのかい?」 「……」 「おや、無視かい。悲しいなぁ僕、泣いてしまうよ」 「勝手に泣け。……まだ、考えてる」 何故か枯森の顔が見ていられない。後ろめたさがあるように感じるのは、気のせいであって欲しいと琥珀は思う。 「何度も言うよ。彼はやめた方がいい」 「……死相があるからか?」 「そうだよ。彼は誰かを巻き込んで死ぬだろう。その巻き込まれる誰かは、きっと琥珀だ」 「でも……俺、あの人が」 「好きだと? それは本当かい? 優しくされてそう思い込んでいるだけではないのかい。だったら、君に優しくしている私のことも君は好きだと言うのかい?」 責め立てるような声色に、逸らした目を戻すことが出来ない。琥珀は分かっているのだ、これは自分を死なせない為だと。自分を守ろうとしているだけだと。 「けど……、死相云々以前に、俺はあの人が放っておけない。理由は正直わかんないけど……」 「私はその答えの予想がついているよ。琥珀が気づいていないだけだ」 「え、なんで……」 「思い出してみるといいよ。心当たりを」 そう言った枯森は琥珀の頭を軽く撫で、ふんわりと存在が消えていくように気配を消す。琥珀が恐る恐る枯森がいた方に目を向けると、やはりあの男は姿を消していた。 その日、眠りに落ちた琥珀は夢を見た。 また昔の、売られる前の夢だ。 優しい父と美人な母に育てられ、琥珀自身も上の兄達も下の弟妹達も笑っていた。 両親は兄達や琥珀の手を借りながら、必死に働いて、家族を養い貧しいながらも満たされていたと思う。しかしそんな折、村にまた税を上げると、領主から命令が下った。一家が暮らしていた村はもともと土地が貧しく、田も畑も作物は多くは育ちにくく、村人は貧しくなりながら日々の税を納めていたのだ。 (皆がそれでも笑っていたのは、家族が一緒だったからだろうな) 「おい!! 数が足らんぞ! 領主様を騙すつもりか!! 米がないなら代わりに金でも出さないか!!」 「そんな……! もう家には何も……っ」 父は役人に毎度取り立てられ、もう家にあった米どころか金も全て奪われていたのに、役人は税を納めろと言うばかりだった。 そんな日々が続けば両親が家で唯一の娘である妹を……と考えるのも必然。人買いに子を売れば、金が手に入るのだ。それが身を売る吉原ならもっと貰えるかもしれない。 その頃の両親の顔は今でも忘れられないくらい危うく、やつれきっていた。 「俺が行くよ、父ちゃん母ちゃん」 「え……?」 「男でも、俺は母ちゃん譲りの顔してるから、何とかなるかもだろ。まだ小さいあの子を売るくらいなら、俺が行くよ」 その晩、両親は涙を流しながら琥珀を人買いに売った。両親同様泣きながら、しかし決意したような目をしていた兄弟達に笑って、自分の名前を捨てた琥珀は吉原に売られてきたのだ。 そこで目が覚め、琥珀は見慣れた天井をぼんやりと眺める。 「久しぶりに顔を見れた……。元気かな……会いたいな」 しかし、この店に売られたのは幸運だったと琥珀は思う。自分が稼いだ金の半分は女将の計らいで家族に送られているらしいし、ちゃんと衣食住は保証されている。 (でも、そろそろ俺もこの仕事を引退しなきゃいけない年齢なんだよな……) そう思うと、危うくとも大鳥に身請けされた方がいいのではないだろうか。 (大鳥様なら、きっと俺の家族の生活も保証してくれる) 優しいがしかし、死相が出ているらしい危うい男に怯んでいるのか、琥珀は胸に靄がかかったような心地だった。

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