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肆 ─し─

翌日の晩、やはり大鳥は店に来た。 いつもの通り琥珀を指名して、呼ばれた琥珀が下へ降りると、いつにも増して蕩けるような表情で目を細める。 (毒みたいに甘い目だ) 作り笑顔で笑い返しながら部屋へと案内するも、そこに辿り着くまでがとても長く、足もいつもより重い気がして、ずっと向けられている毒のように内側を溶かされてしまいそうな甘い視線が、琥珀はどこか恐ろしかった。 「琥珀、今晩は名を呼んではくれないのか?」 行為が終わると、前のように大鳥は名を呼ぶようにと琥珀に言う。行為中も何故か名は呼びたくなかった琥珀は、意識して呼ばないよう鳴いたのだ。 「清治、様……」 「あぁ……!」 嬉しそうに笑う今の大鳥に危うさは感じず、少しだけ肩の力を抜く。 そして意を決して琥珀は口を開いた。 「あの、清治様……。この前のお話なんですけど、ひとつ聞きたい事があるのです……」 「なんだ? 言ってみなさい」 「俺の家族の生活も保証して貰えますか」 「なに?」 「俺がここにいるのは、故郷にいる家族が貧しいけど食べていける程度でも普通の生活を送れるように、なので……」 尋ねた瞬間に変わった雰囲気に恐怖が湧き上がる。たかが引退が近い男娼の為に、身請け分どころか家族の生活までをどこの金持ちが保証するというのだ。 (大鳥様は優しいから、もしかして……なんて) 夢幻の類いだ。 そう思った瞬間、無意識に正座していた足の上の手を強く握る。 「ごめんなさい、忘れてください……」 「……」 「清治様……?」 無言の大鳥に琥珀は恐る恐る視線を向ける。その表情に琥珀が衝撃を受けたのは言うまでもなかった。 (な、泣いてる……? な、なんでだ……?) 「そうだったのか……。お前はどれほど清いんだ……」 呟くように言って、大鳥は琥珀の腕を掴む。強い力に顔を顰めるも、大鳥は目に入っていないかのように続けた。 「こんな場所にいて、お前はその綺麗な翡翠の瞳に諦念と寂しさを浮かべていた。それでも私に笑顔を向けてくれて、私がどれほど救われたか……っ!!」 「え……」 「初めてお前を抱いた時、溶ける顔が色っぽいのに慣れきっていない身体がどれほど愛おしかったか分かるか?」 「あの……」 「嗚呼、私の琥珀……。この場所に来たのが家族のためだったと……? お前はどれほど清いのか。手に入れれば私だけのものになるのかと思うと、堪らない……」 毒のように甘い視線と声色で琥珀に訴えながら琥珀の腕を離して顔の輪郭をゆっくりと撫でる。残ったもう片方で腰を抱き、迫られた。 「清治様……、あの……」 「琥珀、琥珀。私の琥珀……」 「……」 甘く甘く、毒沼に引きずり込むように琥珀の名を繰り返す男の目や声にはもう、危うさしか残っていないように感じられた。 「琥珀……琥珀……。大丈夫、君の家族も一緒に暮らそう」 「え……」 「大丈夫。一緒にいこう。女将さんには私があとから説明しておくから」 「で、でも……」 大鳥は琥珀の輪郭をずっと撫でていた手を、おもむろに懐へ入れ、何かを取り出す。紙のようだが、何かを包んであるようだった。 「ほら、口を開けて」 「ぁぐっ……!?」 広げた紙を持ちながら無理矢琥珀の口を舌で開かせる。抵抗しようとしても腰をしっかりと捕まれ、身動きが取れなかった。少し開いた口に紙ごと致死量の毒であろう粉末のなにかを押し込まれ、その瞬間に琥珀は突然思い出す。 (あれ、もしかして……俺は) 少し前に夢で見た、妹を売り払おうと思いついたらしい時の両親の危うい目と顔。今の大鳥もその時と同じ目をしているのだ。そして同時に、大鳥の目の形が薄くなっていた父の記憶と似ていることに気がつく。 (この人を放っておけないと感じていたのは、父ちゃんに似てたからなんだ) もう会うことが出来ない父の目に似たこの男は、琥珀に愛を向けて、その琥珀を手にかけることで自分のモノとして愛を成し遂げようとしているらしい。 薄れゆく意識の中で、もう会えない家族との思い出が脳を巡り、最後に巡ってきたのはよりにもよって、あの厄介な出禁客だった。 (俺……アイツのこと好きだったのか……?) 性癖と一物が厄介で出禁にした、神出鬼没で飄々としているあの元客は、自分が死んだらどうなるんだろうと思うと琥珀は笑えた。 『だから言ったのに。彼だけはやめときなって。駄目だよ琥珀、僕を置いていくなんて』 (うるさいな、死んじまうんだからしょうがないだろ) 『仕方がなくなんてない。……私は許さない』 横抱きにされているのはかろうじて分かるものの、意識が朦朧としていた琥珀は、上から降ってきた枯森の優しげな声から、急に声色が変わった気がして、少しだけ瞼を開ける。 『お前は私の花嫁と決まっている』 「なんで……」 琥珀を静かに見つめる顔は間違いなく枯森のものなのに、色が違う。銀よりは白に近い白銀の髪を纏め、琥珀色の瞳だった。 (あれ、どこかで……) 自分の本来の名を捨て、琥珀にしようと思ったきっかけ。それは昔今より幼く、弟妹がまだ産まれていない頃に出会った男の目の色。 「おにいさん……?」 『ああ、あの時はそう呼ばれたな。あの時の私はあと少しで堕ちるところだった。お前の清い心と優しさで助けられたんだ、感謝している』 「そう……なんだ。そっか、よかった。また、会えた」 毒のせいなのか眠くて仕方がなかった。死とはこんなに穏やかなものだろうか。そんな事を思いながら、琥珀は目を閉じた。

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