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第10話 優しい雨
セオドアが出ていくと静寂が訪れる。
ドキドキというオルビスの緊張を訴える心音が国王に聞こえはしないだろうか。そんなことはあり得ないのだが不安に押しつぶされそうだった。
「オルビス」
「っ! は、はい!」
国王の声にオルビスは肩を揺らした。
「そんなに緊張するでない。ちょっと話を聞いてほしくてな。……君はセオドアのことをどう思っている?」
「……はい、恐れながら私もセオドア殿下には好意を寄せています。この国難に対して毎日真摯に向き合われ、身を粉にして対策を考えられていました。図書館でお話をさせたいただく機会もあったのですが、とてもお優しく、身分の低い私にも気さくに声を掛けてくださいました。……それから、私の趣味をご覧になり、心からの賛辞をいただきました。今までそのように言ってもらえた経験もありませんでしたので、驚くと同時に嬉しく思いました。それと……私はセオドア殿下の笑顔が好きなのです。失礼なことと承知しておりますが、私がもっと殿下の笑顔を引き出したい、殿下が心穏やかに過ごせる時間を作れたら……と、そう思っております」
セオドアに対しての想いをできるだけ伝わる様に話したつもりだ。どこかで国王陛下の怒りをかわないと冷や汗をかいたが、嘘偽りはない。
これで不敬だとお叱りを受けるのならそれはそれで仕方のないことだ。
首を刎ねられないよう祈るしかない。
「ありがとう」
思いがけず感謝の言葉が聞こえ、オルビスは面食らった。
ぽかんと口を開けた様はさぞ滑稽に映っただろう。
「セオドアは幼い頃からまじめな子だった。長男ということもあり、後継はセオドアにと、周りからのプレッシャーも多かったのだ。セオドアはそんな期待に応えようとずっと必死に頑張ってきた。だが……だからか、成長と共に物や人への執着もなくなり、自分の欲求に対しても諦めるようになった。そんなセオドアが君を離したくないという。余は嬉しかった。子どもが父に強請ってくれたようで」
国王の表情はとても穏やかで、何かを懐かしむような優しい顔をしていた。小さく笑ったその顔はセオドアによく似ていた。
「君が躊躇っているのは世継ぎだとか性別だとかそういったことだろう? 確かに簡単に解決できる問題ではない。だが、一人の父親として息子の幸せは奪いたくない。……オルビス、セオドアと一緒にいてやってくれないか。……余は応援したいと思っておる」
そう言って笑った国王は、外に待機させておいた衛兵に声を掛け、オルビスをセオドアの部屋に案内するよう指示した。
「オルビス! 父上はなんと? 嫌なことは言われなかったかい?」
部屋に入るなり、ものすごい剣幕のセオドア。
本気で心配してくれたのがわかり、嬉しくて浮足立つ。
「ふふ、大丈夫ですよ。陛下はとても素晴らしい方ですね」
「そうか。よかった……。それで、なんと?」
「えーっと、セオドア殿下をよろしく。と」
「!!」
驚いたセオドアは瞳が零れ落ちるんじゃないかと心配になるほど目を見開いた。
そんな素直な表情が可愛く感じ、オルビスも自然と笑顔になる。
王太子殿下に可愛いだなんて失礼だろうか、といつも思うのだが実際可愛いのは事実だから仕方がない。
「あの、本当に隣の部屋を使ってもいいんですか?」
「ああ、もちろんだ。なんなら私と同じ部屋でもいいんだぞ?」
そう言いながらセオドアはオルビスの腰を片手で抱き寄せた。
急に近づいた距離に、オルビスは慌てる。
「オルビスはこうして私と触れ合うのは嫌?」
なんとも卑怯だと思う。
バルコニーでも同じようなことを訊かれたし、その捨てられた仔犬のように瞳を潤ませ小首を傾げるのはやめてほしい。
仔犬というよりもサイズは大型犬だが。
そのうち本当に「可愛い」と口にしてしまいそうだ。
「嫌ではありません。……ただ、慣れないので恥ずかしいです」
「そうか、では慣れるように毎日こうやって触れ合おう」
「えっ……、いや、その……」
ぎゅうぎゅう抱きしめてくるセオドアに、オルビスはどうしていいのかわからない。そのままオロオロと視線だけが彷徨い、身体は固まってしまう。
そんなオルビスにセオドアは、ふっと微笑み、頬に唇を寄せる。
何度も啄むように降る口づけは擽ったいのに心地よかった。
「オルビス。私はもう君を手放せそうにないよ」
「殿下……」
「その『殿下』ってやめてくれないかな……オルビスには名前で呼んでほしい」
「せ、セオドア様?」
「セオドアと」
王太子殿下を呼び捨てるなど、不敬極まりない。
でもセオドア本人が望んでいる。
期待に満ちた眼差しを向けられオルビスは動揺する。
「セ、セオドア……(殿下)」
心の中で敬称を付けることで気持ちに折り合いをつける。
名前を呼ばれたセオドアは、嬉しそうにはにかんだ。
こんな珍しい表情を見られるのなら悪くはない。そう思ってしまう自分も相当にセオドアに懸想しているのだと思う。
「っ……」
そんなことを考えていると、また口づけの雨が降ってきた。
それは、柔らかくどこまでもあたたかかった。
柔らかく温かな雨。
ふと窓の外に目をやると、激しく打ち付けていた雨はいつしか大地を優しく潤していた。
キラキラと輝く霧雨は太陽に照らされ、大きな虹をつくる。
それはまるでオルビスの心を映しているようだった。
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