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第14話 番外編3
「絵具は決まった?」
オルビスが数種類の絵具を購入し会計を済ませた頃、ちょうどセオドアが戻ってきた。
「ええ、新色が入ったと店主が教えてくださったのでそれを。セオドアは?」
「ああ、私はちょっとな。それよりそろそろお腹が空いただろう。昼食にしよう」
二人で並んで街を歩き、適当な店で昼食を食べる。素朴だが美味しい食事に会話が弾む。
何という楽しい時間なのだろう。
幸せすぎて恐い。もしこれが夢だったら。目が覚めてまた司書室の硬いベッドの上だったら。以前の誰とも話すことのない毎日だったら……。
オルビスは、もうあの生活に戻れる気はしなかった。
二人が店を出ると、少し陽が傾き始めていた。
夕日が二人の背中を朱く照らし、昼間より少し冷たくなった風が吹き抜ける。
今日という一日はあっという間だった。
セオドアと二人で並んで歩き、店をめぐり、たくさん話もした。
なんだかこれで楽しい一日が終わるのかと思うと少々寂しく思えてしまう。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「ああ、私も楽しかった。……ねえ、オルビス」
「何ですか?」
セオドアはどこか緊張した面持ちだった。
どうしたのかと首を傾げるとセオドアが口を開く。
「いや、その……実は宿を取っているんだ。明日は遅くの出勤で構わない。……どうだろう。一泊していかないかい?」
「え? 宿ですか? ……あ、えっと……同じ部屋ということですか……?」
「ああ。……オルビスは嫌? 嫌なら別にもう一つ部屋を取るけど……」
オルビスは予想だにしなかった提案に心臓が早鐘を打つ。
恋仲になって半年経ったが、実のところ今まで寝室を共にしたことはなかった。
オルビスとて成人した男である。今までそういった行為を意識しなかったわけではない。だが、相手は王太子。オルビスからそういうことを強請るのも憚られるし、何より人との交流を避けていたオルビスにそのような経験があるはずもなく単純に恥ずかしかった。
「あ……、い、嫌じゃないです! 一緒の部屋でお願いします!」
セオドアの表情が曇っていることに気づいたオルビスは慌てて答えた。焦りからなんとも幼稚な返答になってしまったが、セオドアはそんなことを気にする様子もなく、安堵の溜息をもらす。
「よかった。では行こう。宿は貴族街にあるから。馬車に乗ろうか」
「はい。僕、外泊なんて初めてなので楽しみです」
「そうか。ご両親と旅行などはしなかったのか?」
「ええ。以前も言ったかもしれませんが、私は貴族孤児院からの養子でしたので。実子が生まれてからは三人でどこかへ旅行にも行っていたようですが。僕は魔力も少ない養子です。血のつながった子が生まれれば、そちらが優先になるのは当然のことでしょう」
「そうだったか。嫌なことを思い出させてしまったな。だが、オルビスが龍神だと知ったら、その養父母は驚くだろうなぁ」
「ええ、それはもう。権力や金には敏感な方ですからね。まあ、仮にコンタクトがあったとしても、私はもう他人だと思っているので」
もう養父母に対して思うところはない。
今までは育ててもらった恩義を少なからず感じていたが、セオドアに出会って、養父母は自分に対し愛情などもっていないことに気が付いた。
愛情をもってくれているセオドアの纏う空気はとても温かい。触れる肌も声も表情も。どれも温かくて、人とはこんなにも温かいものなのだと知った。
それに比べて、養父母はどうであったか。
オルビスに向ける蔑んだ瞳、笑顔の一つも記憶にない。絵を描くというささやかな趣味でさえ嘲笑し、くだらないと𠮟りつけた。
毎日心のどこかに穴が開いて、冷たい風が吹いているようだった。
養父母は何故僕を引き取ったのか。恐らく跡取りを絶やさないためだけだろう。だから実子が生まれればお払い箱というわけだ。
思わず冷めた笑いが込み上げる。
「珍しいな。オルビスがそんな表情をするなんて。よほど酷い環境だったのだな」
「ああ、すみません。彼らのことはもういいんです。過ぎたことですから」
「いや、しかしこんなに可愛らしいオルビスを蔑ろにするとは、腹立たしい」
本気で嫌悪の表情を浮かべるセオドア。
オルビスはそんなセオドアに笑いかける。
「ふふ、ありがとうございます。僕のために怒ってくれるのはセオドアくらいなもんですよ」
「そうか? みんなオルビスの魅力に気が付いてないんだなあ。まあ、私だけが知っていればいいことだ。独り占めできるからね」
本当にこの人は……。
なんて気遣いのできる人なんだろうか。
僕の心が荒んだと思えば優しく微笑みかけて、軽い口調と冗談でそれを吹き飛ばす。
無意識にやっているのかもしれないが、本当に心根の優しい人だ……。
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