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第33話 奴隷道徳

 どれくらい時間が()っただろうか。  ドアをノックする音に、ウツロはもたげていた首を、そちらへと向けた。 「うぃー、いるかー?」 「柾樹(まさき)……」 「入ってもいいか? (ひま)だから話でもしようぜ」 「どうぞ……」  入室した南柾樹(みなみ まさき)はウツロの様子を一瞥(いちべつ)して、一抹(いちまつ)の不安に()られた。 「どうした? うずくまって。またなんか、考えてたのか?」 「うん、ちょっとね……」  真田龍子(さなだ りょうこ)の名前を挙げることはしなかった。  それは彼女への配慮でもあり、南柾樹への配慮でもある。  南柾樹自身は、「何かあったのでは?」と考えつつ、やはりウツロに配慮して、触れることはしなかった。 「邪魔するぜ」  彼はのっそりと中に入ってきて、敷布団(しきぶとん)の上にうずくまっているウツロの(となり)に腰かけた。  気の重さが肉体的な動きに出てしまっているが、今回ばかりはウツロに(さと)る余裕はなかった。  視線を合わせようとしない彼を横目に、どう切り出そうかと、南柾樹は少し念慮(ねんりょ)した。 「柾樹の料理、すごくうまかったよ」 「おお、気に入ってくれてうれしいぜ」  ウツロは気を使って先に声をかけたが、無理をしているので機械的な口調(くちょう)になっている。  南柾樹は合わせたものの、これでは身を案じるなというほうが難しい。  どうしたものかとためらっていると、またウツロがおせっかいで先に声をかけた。 「いいネギだったね」 「朽木市(くちきし)名産(めいさん)のブランド『朽木ねぎ』だ。ネギ、好きなのか、お前?」 「俺がいた(かく)(ざと)でも、ネギを栽培していたんだ。アクタと一緒に種から育てて、収穫して、料理や薬味(やくみ)に使っていた」 「アクタってやつのことになると饒舌(じょうぜつ)になるんだな。お前のダチなんだっけ?」 「アクタとは物心(ものごころ)つく前から、ともにお師匠様(ししょうさま)に育てていただき、切磋琢磨(せっさたくま)し合った仲なんだ。兄弟同然だと思っている」 「そう、か……」  物思(ものおも)いに(ふけ)っている彼に、南柾樹は一瞬、毒づきかけたけれど、自前の料理を評価してもらったこともあり、刺激するのは一応、()けることにした。  ウツロはといえば、アクタの話題を切り出したのがきっかけで、自分たちの()()ちを思い出し、先ほどの真田龍子の件も忘れて、くだんの自己否定が発動した。 「アクタも俺も、肉親に捨てられた。俺は憎い、俺を捨てた親が、俺を廃棄した世界が」 「……」  彼は正直な気持ちを吐露(とろ)した。  しかし話には続きがある――  そう感じた南柾樹は、ウツロの思いのたけを聞いてやろうと思い、あえて口は(はさ)まなかった。 「だけど、ここに来てから……柾樹、お前や、真田さんたちに出会ってから……うまく言えないけれど、()らいできているんだ。俺は人間とは、総じて悪い存在だとばかり思っていた。でも、ここで……お前たちと出会ってから……自分の考えていたことは、その……間違っていたんじゃないかって……」 「……」  ウツロは丸くした体をさらに()めつけるように、自身の葛藤(かっとう)を伝えた。  彼は身悶(みもだ)えるのを必死に(おさ)えている。 「頭が混乱するんだ、わからなくて……人間とはいったい、何なのか……それを考えていると……」  苦しみを()き出したウツロ。  南柾樹は、すぐ隣で震える同世代の少年に、最大限の配慮を(こころ)みようとした。 「……俺、頭わりいから、うまく言えねえけど……そんな、難しく考えなくても、いいんじゃねえか? なんつーか、同じ考えるなら、これまでのことより、これからのことをさ」  この言葉にウツロはカチンときた。  もちろん、南柾樹に悪意はない。  それどころか、直情的(ちょくじょうてき)な性格を押して、彼としては言葉を選んだのだ。  しかし認識の不一致(ふいっち)とはおそろしいもので、ウツロは自分のことを、自分の人生を、あるいは存在そのものを、否定されたような気がしたのだ。  彼は隣に座る少年に、憎悪(ぞうお)眼差(まなざ)しを向けた。 「……何がわかる、お前に……俺は捨てられた、廃棄された……この世にいらない、必要ない存在なんだ……この苦しみがわかるか? お前なんかに(・・・・・・)……俺はきっと、生きている限り、この苦しみと、戦っていかなくちゃならないんだぞ!?」  この態度に、今度は南柾樹が切れた。  しかし今回ばかりは、彼のほうがまだ冷静だった。  この「ガキ」にものを教えてやる――  そう決意した。 「俺だってそうさ」 「……?」  何を言っているんだ?  いったいどういう意味だ?  ウツロは南柾樹の口走(くちばし)った文言(もんごん)の意味を理解しかねた。  南柾樹は大柄(おおがら)体躯(たいく)を少しウツロのほうへ寄せて、重く口を開いた。 「俺も、孤児(こじ)なんだよ……」 (『第34話 怪物(かいぶつ)(うめ)き』へ続く)

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