35 / 244
第34話 怪物の呻き
「俺 も、孤児 なんだよ……」
「……!」
ウツロは愕然 とした。
その衝撃 は、水に落ちた巨石 がじわじわと波紋 を形成 するように、その心を蝕 んだ。
南柾樹 は幽鬼 のような表情に薄い笑 みを浮 かべた。
それがウツロには得体 の知れない恐怖となって、戦慄 を禁じえなかった。
「……ゴミ捨て場の、生ゴミの山の中に、捨てられてたんだとよ。それを物好 きなホームレスのじいさんに拾われて、育てられたのさ」
のどが詰 まったように感じた。
言葉どころか呼吸すらおぼつかない。
南柾樹の両目から、ほほを切り裂くような涙が落ちる。
「ケンカ、盗み、変態の相手……生きるためなら、なんでもやったさ。人殺しだってな……」
もはや思考すらあやふやになってくる。
俺はなんてことをしでかしたんだ。
この男の触れてはならない部分に、触れてしまったのだ。
気が遠くなる中、南柾樹は矢継早 に口を動かす。
はじめはまだ冷静だったが、話しているうちに自分の過去が蘇 ってくる。
こうなったらもう、制御 はきかない。
「あるときそのじいさんが、その辺の不良どもにフクロにされてな。当然、俺は切れて、そいつらをぶっ殺してやるって、ケンカをしかけたのさ」
すでに彼は自動的にしゃべっているようだ。
決壊 したダムから、ためにためた貯水 が、ダダ漏 れになるように。
「だけど多勢 に無勢 で、逆にフクロにされかかった。さすがの俺も逃げたよ。必死に走って、気がついたら、あの魔王桜 の原にいた」
魔王桜――
彼も出会っていたのか。
いや、アルトラ使いだと示唆 していたから、それは当然といえば当然なのだろうが。
「俺はアルトラ使いになった。で、最初に何をしたと思う?」
ヘラヘラと薄笑いは激しくなる。
ウツロは目の前にいる少年が、異様 な存在、まるで「怪物」でも見ているかのように映った。
「俺を襲ったその連中を、八つ裂きにしたのさ……アルトラの力でな。頭も腕も脚 も、全部引きちぎってやった。快感だったよ。俺を見下 してた連中が、必死こいて命乞 いしてくるんだぜ? もちろん、聞くわけねえけどな」
彼はやにわに口を締 め、口角 を収縮させながら、また落涙 した。
「でもな、肉の塊 になったそいつらを見たとき、泣いちまったんだよ。俺はもう、人間じゃねえんだ。本当の、本物のバケモノになっちまったんだってな。心まで怪物になったんだ」
南柾樹はしばらく、小刻みに震えていたが、少し落ち着いて、やっと一呼吸 ついた。
「そのゴミ捨て場ってのがな、朽木市 の南、坊松区 の柾 の木のそばにあったんだと。だから南柾樹 。ははっ、ギャグだろ?」
彼は体を揺 らしながら、くつくつと笑った。
「ま、そんな過去があるわけ。だからな――」
涙をぬぐって、ウツロを見た。
「おまえみたいなやつを見てると、ムカつくんだよ。世界で一番、自分がかわいそうだなんて思ってるやつ。そういうやつって、ほんとは自分がかわいくて、しかたねえんだ」
何も言い返せなかった。
南柾樹は魂 の抜けた目つきで、ウツロに呪いの言葉を吐 き続ける。
「わかる? てめえなんかに ? 髪の毛をひっつかまれて、便器にこびりついたクソのカスをなめさせられる気分が?」
彼はにわかに両手を伸 ばし、ウツロの肩 を握 ると、布団 の上へ押し倒 した。
そのまま馬乗りになって、その首を締め上げる。
眼光 はすでに、おぼろげになっていた。
「苦しい……苦しい……俺は、呪われてる……バケモノだ、俺は……」
ウツロは激しく後悔 した。
真田龍子 のことも含 めてだ。
自分のひとりよがりで、俺はいったい、何人の人間を傷つけてきたのだろう?
申 し訳 なかった、柾樹。
そんなつもりじゃなかったんだ。
でも、俺にそんなことを言う資格など、ない。
ごめん、ごめん……
真田さん、柾樹……
「なんで、泣くんだよ……?」
ウツロがその悲痛な表情で流した涙に、南柾樹はわれに返って、両手の力を抜いた。
「バカにしやがって、あわれんでるだろ?」
ウツロは本心 から落涙しているし、南柾樹もそれはわかっている。
しかし断 じて、それを認めたくなかった。
こんなやつにわかってたまるか、俺の苦しみが――
「そんな目で、俺を、見るなよ……」
あまりにも不器用 、それしか言えない。
南柾樹は自分の言動 が、その加虐衝動 が、本質的 にウツロと同じ、奴隷道徳 であることを、嫌 というというほどわかっている。
だからこそウツロを否定することは、ほかならない、自分自身を否定してしまうことになる。
その事実が彼には耐 えられなかったのだ。
ゆっくりと、その手を放す。
「……わりい」
ウツロの瞳 に映るその顔は、鏡を見ているようで、自分自身の投影 であるかのように錯覚 した。
南柾樹も同様だ。
等価 であるがゆえに、傷つけあう。
二人は言葉にこそ出さないけれど、お互 いの考えていることを共有した。
皮肉 にも、であるが。
「これでわかっただろ? 俺は、おまえが思ってるとおりの存在さ。俺の存在は、間違ってるんだ」
南柾樹はよろよろと立ち上がって、おぼつかない足取 りで、部屋を後 にした。
間違った存在――
彼は自分を指 して言ったのだけれど、それは同時に、ウツロのことも指している。
わかっている、南柾樹はわかっている、が――
それは名状 しがたい事実であるという強烈な自己否定に、彼は囚 われているのだ。
鏡に映したような二人の少年。
互いに憎み合い、傷つけ合わずにはいられない。
それはむしろ、互いのことを理解しすぎているがゆえの宿命だった。
滑稽 なピエロ。
人生なんてサーカスだ。
きっと見えないところで、誰かが誰かをゲラゲラと、嘲笑 しているのだろう。
そんなものだ、人間なんて――
ウツロはそんなことを考えながら、なんだかばかばかしくなって、道化師 のような顔で落涙しながら、そのまま深い眠りに落ちた――
(『第35話 予兆 』へ続く)
ともだちにシェアしよう!

