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第34話 怪物の呻き

(おれ)も、孤児(こじ)なんだよ……」 「……!」  ウツロは愕然(がくぜん)とした。  その衝撃(しょうげき)は、水に落ちた巨石(きょせき)がじわじわと波紋(はもん)形成(けいせい)するように、その心を(むしば)んだ。  南柾樹(みなみ まさき)幽鬼(ゆうき)のような表情に薄い()みを()かべた。  それがウツロには得体(えたい)の知れない恐怖となって、戦慄(せんりつ)を禁じえなかった。 「……ゴミ捨て場の、生ゴミの山の中に、捨てられてたんだとよ。それを物好(ものず)きなホームレスのじいさんに拾われて、育てられたのさ」  のどが()まったように感じた。  言葉どころか呼吸すらおぼつかない。  南柾樹の両目から、ほほを切り裂くような涙が落ちる。 「ケンカ、盗み、変態の相手……生きるためなら、なんでもやったさ。人殺しだってな……」  もはや思考すらあやふやになってくる。  俺はなんてことをしでかしたんだ。  この男の触れてはならない部分に、触れてしまったのだ。  気が遠くなる中、南柾樹は矢継早(やつぎばや)に口を動かす。  はじめはまだ冷静だったが、話しているうちに自分の過去が(よみがえ)ってくる。  こうなったらもう、制御(せいぎょ)はきかない。 「あるときそのじいさんが、その辺の不良どもにフクロにされてな。当然、俺は切れて、そいつらをぶっ殺してやるって、ケンカをしかけたのさ」  すでに彼は自動的にしゃべっているようだ。  決壊(けっかい)したダムから、ためにためた貯水(ちょすい)が、ダダ()れになるように。 「だけど多勢(たぜい)無勢(ぶぜい)で、逆にフクロにされかかった。さすがの俺も逃げたよ。必死に走って、気がついたら、あの魔王桜(まおうざくら)の原にいた」  魔王桜――  彼も出会っていたのか。  いや、アルトラ使いだと示唆(しさ)していたから、それは当然といえば当然なのだろうが。 「俺はアルトラ使いになった。で、最初に何をしたと思う?」  ヘラヘラと薄笑いは激しくなる。  ウツロは目の前にいる少年が、異様(いよう)な存在、まるで「怪物」でも見ているかのように映った。 「俺を襲ったその連中を、八つ裂きにしたのさ……アルトラの力でな。頭も腕も(あし)も、全部引きちぎってやった。快感だったよ。俺を見下(みくだ)してた連中が、必死こいて命乞(いのちご)いしてくるんだぜ? もちろん、聞くわけねえけどな」  彼はやにわに口を()め、口角(こうかく)を収縮させながら、また落涙(らくるい)した。 「でもな、肉の(かたまり)になったそいつらを見たとき、泣いちまったんだよ。俺はもう、人間じゃねえんだ。本当の、本物のバケモノになっちまったんだってな。心まで怪物になったんだ」  南柾樹はしばらく、小刻みに震えていたが、少し落ち着いて、やっと一呼吸(ひとこきゅう)ついた。 「そのゴミ捨て場ってのがな、朽木市(くちきし)の南、坊松区(ぼうのまつく)(まさき)の木のそばにあったんだと。だから南柾樹(みなみ まさき)。ははっ、ギャグだろ?」  彼は体を()らしながら、くつくつと笑った。 「ま、そんな過去があるわけ。だからな――」  涙をぬぐって、ウツロを見た。 「おまえみたいなやつを見てると、ムカつくんだよ。世界で一番、自分がかわいそうだなんて思ってるやつ。そういうやつって、ほんとは自分がかわいくて、しかたねえんだ」  何も言い返せなかった。  南柾樹は(たましい)の抜けた目つきで、ウツロに呪いの言葉を()き続ける。 「わかる? てめえなんかに(・・・・・・・)? 髪の毛をひっつかまれて、便器にこびりついたクソのカスをなめさせられる気分が?」  彼はにわかに両手を()ばし、ウツロの(かた)(にぎ)ると、布団(ふとん)の上へ押し(たお)した。  そのまま馬乗りになって、その首を締め上げる。  眼光(がんこう)はすでに、おぼろげになっていた。 「苦しい……苦しい……俺は、呪われてる……バケモノだ、俺は……」  ウツロは激しく後悔(こうかい)した。  真田龍子(さなだ りょうこ)のことも(ふく)めてだ。  自分のひとりよがりで、俺はいったい、何人の人間を傷つけてきたのだろう?  (もう)(わけ)なかった、柾樹。  そんなつもりじゃなかったんだ。  でも、俺にそんなことを言う資格など、ない。  ごめん、ごめん……  真田さん、柾樹…… 「なんで、泣くんだよ……?」  ウツロがその悲痛な表情で流した涙に、南柾樹はわれに返って、両手の力を抜いた。 「バカにしやがって、あわれんでるだろ?」  ウツロは本心(ほんしん)から落涙しているし、南柾樹もそれはわかっている。  しかし(だん)じて、それを認めたくなかった。  こんなやつにわかってたまるか、俺の苦しみが―― 「そんな目で、俺を、見るなよ……」  あまりにも不器用(ぶきよう)、それしか言えない。  南柾樹は自分の言動(げんどう)が、その加虐衝動(かぎゃくしょうどう)が、本質的(ほんしつてき)にウツロと同じ、奴隷道徳(どれいどうとく)であることを、(いや)というというほどわかっている。  だからこそウツロを否定することは、ほかならない、自分自身を否定してしまうことになる。  その事実が彼には()えられなかったのだ。  ゆっくりと、その手を放す。 「……わりい」  ウツロの(ひとみ)に映るその顔は、鏡を見ているようで、自分自身の投影(とうえい)であるかのように錯覚(さっかく)した。  南柾樹も同様だ。  等価(とうか)であるがゆえに、傷つけあう。  二人は言葉にこそ出さないけれど、お(たが)いの考えていることを共有した。  皮肉(ひにく)にも、であるが。 「これでわかっただろ? 俺は、おまえが思ってるとおりの存在さ。俺の存在は、間違ってるんだ」  南柾樹はよろよろと立ち上がって、おぼつかない足取(あしど)りで、部屋を(あと)にした。  間違った存在――  彼は自分を()して言ったのだけれど、それは同時に、ウツロのことも指している。  わかっている、南柾樹はわかっている、が――  それは名状(めいじょう)しがたい事実であるという強烈な自己否定に、彼は(とら)われているのだ。  鏡に映したような二人の少年。  互いに憎み合い、傷つけ合わずにはいられない。  それはむしろ、互いのことを理解しすぎているがゆえの宿命だった。  滑稽(こっけい)なピエロ。  人生なんてサーカスだ。  きっと見えないところで、誰かが誰かをゲラゲラと、嘲笑(ちょうしょう)しているのだろう。  そんなものだ、人間なんて――  ウツロはそんなことを考えながら、なんだかばかばかしくなって、道化師(どうけし)のような顔で落涙しながら、そのまま深い眠りに落ちた―― (『第35話 予兆(よちょう)』へ続く)

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