55 / 244

第54話 姉と弟

 凄惨(せいさん)な過去を話したあと、山犬(やまいぬ)の姿の似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)は、その目から赤い涙を流した。  その場に立ち会うウツロたちは、息の詰まる感覚に、呼吸すら忘れてしまいそうだった。 「あとでわかったことだがな、アクタを殺せなどとは、親父は命じていなかったのだ……あれはわが姉・皐月(さつき)が、すなわち(みやび)、お前の母の独断でのことだった……だからあえて、わしを逃がしたのだ……黒彼岸(くろひがん)も、姉貴が勝手に持ち出していたのだ……それをすべて、わしが似嵐(にがらし)の家をのっとろうと画策(かくさく)してのこと、そう誘導したのだ……」  星川雅(ほしかわ みやび)胸中(きょうちゅう)は複雑だった。  彼女は母の性格をよく知っている。  だからこそ、やりかねない――  そう思ったからだ。 「なんで、お姉さんは、そんなことを……自分の、弟なのに……」  真田龍子(さなだ りょうこ)が語りかけた。  星川雅に(たす)(ぶね)を出す意味もあるが、なにより姉と弟という関係。  なぜ星川皐月という人は、この弟にそんな仕打ちをしたのか?  それが気にかかってしかたがなかった。  そして彼女はあえて、「お姉さん」と表現した。  「雅のお母さん」と言ってしまえば、その心痛(しんつう)は計り知れないだろうという配慮からだった。 「さあな、自分が似嵐の家をのっとりたかったのか、あるいは単に、わしが憎かったのか……もう、どうでもいいさ、どうでもな……」  同時にこのとき、もう一つ引っかかってしかたがないことがあった。  自分もそうなのではないのか?  かつて自分は弟を、虎太郎(こたろう)を追いつめ、最悪の事態を招く寸前にまで(おちい)らせた。  同じなのではないか?  自分もその、似嵐皐月(にがらし さつき)と――  いつか自分も、彼女が弟にしたように、虎太郎にまた(わざわ)いをもたらすのではないか?  そんな思いに締めつけられた。 「ふふっ」  山犬が笑っている。  牙の生えた口もとを(とつ)にゆがめて。 「お嬢ちゃん、お前さんの考えていることがわかるぞ、手に取るようにな」  悟られている――  しかし、虎太郎のことなど、この男は知らないはずだ。  彼女は言いしれない不安に()られた。 「断片的ではあるが、スズメに(ほどこ)した『口寄せ』……その『目』をとおして見ていたぞ……お前が弟、虎太郎といったか……なにをしたかをな」 「……っ!」  こいつはいま、おそろしいことを考えている。  今度は星川雅が、真田龍子を助けなければと思った。 「やめて、叔父様(おじさま)っ!」 「黙れ雅。お前はその娘を、人形にして遊んでいたのだろう? その、真田龍子を。母がするようにもてあそんで、楽しんでいたくせに。助ける義理などあろうはずもない、そうだろう?」  思わず(くちびる)()んだ。  言い返せなかった。  山犬・鏡月は追い打ちをかける。 「真田龍子よ、どう思うかね? お前も弟に、いつか同じことをするのではないか、そう葛藤(かっとう)しているのだろう? 雅の言うとおり、それは偽善なのだ。慈悲だとか慈愛だとか、そんなものは存在しない。すべてまやかしなのだよ。はっ、そんなものがあるのなら、なぜあんなことに? なぜだ? なぜアクタは、あんな仕打ちを? まるで、ゴミのように……」  似嵐鏡月は矢継早(やつぎばや)憎悪(ぞうお)の言葉を吐いた。 「真田龍子、お前はいつか、弟を不幸に陥れるだろうよ」 「お師匠様あっ!」  ウツロが叫んだ。  もう耐えられなかった。  侮辱(ぶじょく)されることに。  それは彼の、真田龍子への気持ちの発露(はつろ)だった。 「なんだ、いたのか毒虫。何か言いたいことでもあるのか、あーん?」  興ざめした似嵐鏡月は、ひどくつまらなそうな顔をした。 「……これ以上の暴挙(ぼうきょ)は、許されることでは、ありません……!」  ウツロは勇気をふりしぼって、山犬に反論した。  しかし、聞く耳など持つはずがない。 「ははっ、暴挙だと? よくもわしにそんな口が利けたな。それで、暴挙だったらどうだというのだ?」 「いますぐ、こんなことは、どうか、おやめください……」 「バカか貴様? せっかく楽しくなってきたというのに。いまさらやめられるわけないだろう?」 「こんなことは、人の道に外れております……」 「なにが人の道だ、毒虫の分際(ぶんざい)で。ああ、吐き気がする、お前を見ているとな」  呪いの言葉をたたみかけ、「わが子」を(ののし)る。  ウツロは苦しかった。  否定されることに。  だが、守りたい。  もう守られっぱなしは、嫌だ―― 「お願いです、お師匠様、どうか、どうか……」  もはや、呼吸すら満足にできない。  だが、何としても止めなければ。  彼女の心を踏みにじることだけは―― 「なんだ、もう限界か? カスめが。虫ケラのお前に、わしに逆らうことなどでき――」 「おい、おっさん」  南柾樹(みなみ まさき)――  つぶさに静観(せいかん)していた彼が、口を(はさ)んだ。 「ああ、なんだ? すっこんでいろ、ガキが」 「ひとつ、教えてくれねえかな?」 「はあ、いったい何をだ?」 「なんでそんなに、ウツロを、アクタを嫌うんだ? あんたの息子なんだろ?」  山犬は少しだけ退屈が()えたという顔になった。 「ふん、冥土(めいど)土産(みやげ)に教えてやるか……まあ、話の流れでおおよそ、見当(けんとう)はついているだろうがな」  彼は再び遠い目をして、淡々(たんたん)と語り出した。 「アクタとウツロ、その名の由来につながることだ……つまり、わしが似嵐の家を飛び出したあとの話よ……」 (『第55話 ウツロなアクタ』へ続く)

ともだちにシェアしよう!