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第69話 毒虫

「ウツロくん……」  変貌(へんぼう)が止まったとき、真田龍子(さなだ りょうこ)絶句(ぜっく)した。  ウツロの姿は(みにく)い、おぞましい、異形(いぎょう)毒虫(どくむし)(へん)じていた――  ダンゴムシのような見た目だが、甲殻類(こうかくるい)のようでもあり、軟体動物(なんたいどうぶつ)のようでもある。  それはすなわち、ウツロが持っているトラウマの結晶なのだ。 「なんてこと……」 「おい、ウツロ! 落ち着け! しっかりしろ!」  星川雅(ほしかわ みやび)南柾樹(みなみ まさき)は事態に驚きつつも、変わり果てていくウツロを、何とかしなければと考えた。  しかし先ほどの戦いで大きなダメージを()った体は、ほとんどいうことを聞いてはくれない。 「ははっ、これはケッサクだ! 見ろ、アクタ! ウツロのあのおぞましい姿を! 本当に毒虫になってしまいおったぞ!」  似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)はあろうことか、苦しみ(もだ)える「わが子」を嘲笑(ちょうしょう)した。 「ウツロ、よかったな! 悲願が(かな)ったではないか! お前は正真正銘(しょうしんしょうめい)、毒虫になれたんだぞ!?」  牙をカチカチ鳴らしながら下品に笑う。  事の異様さに、皮一枚のところで生存していたアクタが、その重いまぶたを()けた。 「……ウツ、ロ……」  指を動かすのもやっとだ。  が、何とかしなければ――  ウツロがあんなに、苦しんでいるんだ。  俺が何とか、しなければ――  だがほとんど虫の息の彼には、満足に体を動かすことはかなわなかった。 「ウツロくん……」  真田龍子は思案していた。  この状況でウツロを救えるのは、自分しかいない。  でも、いったい、どうやって―― 「あ……が……あ……」  ウツロの体は少しずつ、だが確実に(ふく)らんでいく。  周囲の土や、草や、あるいは桜の木を取り込むように、どんどん増殖(ぞうしょく)していく。 「ああ、ウツロくん……わたし、いったい、どうすれば……」  真田龍子は(あせ)った。  こんな状態のウツロを、どうすれば止められるというのか? 「……ねえ、さん……」 「こ、虎太郎(こたろう)……!」  目を覚ました真田虎太郎(さなだ こたろう)が、姉に語りかけた。 「……ウツロさんを、助けてください……」 「でも、どうやって……」 「……ウツロさんの、心を……取り戻すのです……僕が、援護(えんご)します……」 「――っ!?」  真田龍子の体が、柔らかい緑色の光に包まれた。  真田虎太郎がアルトラ「イージス」を発動させたのだ。  だが満身創痍(まんしんそうい)によるそれは、姉の体の上に薄い(まく)を張るのが精一杯だった。 「だめ、虎太郎っ! そんな体で、力を使ったら――」 「早く……長くは、持ちません……どうか、ウツロさんを……」 「……」  やるしかない。  わたしが、やるしかない――  彼女は意を決して、毒虫と化したウツロのほうへ、足を踏み出した。 「龍子っ、だめよ! いまウツロに近づいたら――」  星川雅は真田龍子を制止しようとした。 「雅、ありがとう。でも、わたしが……わたしに、やらせて……!」  このときすでに、彼女の覚悟は決まっていた。 「龍子っ、だめだ、龍子っ!」  南柾樹も同様に制止を試みる。 「柾樹、大丈夫。わたしがきっと……ウツロくんを、助け出す……!」  何ができるかなんて、わからない。  だが、何もしないよりは、ずっといい。 「ふん、真田龍子。いったいお前ごときに、何ができるというのだ?」  似嵐鏡月は嘲笑する。  だが真田龍子の心に、もはやくもりは消えていた。 「似嵐さん、覚悟してなさい。ウツロくんが目を覚ましたとき、あなたはきっと、息子の手によって倒される――!」 「……」  なぜそう言い放ったのか、真田龍子自身にもわからなかった。  だがそんな気が、そんな予兆(よちょう)を感じたのだ。  もちそん、それがかなうかは、自分の手にゆだねられている――  彼女は強く、(こぶし)(にぎ)った。 「……真田さん、ウツロを……ウツロを……」  息も絶え絶えのアクタは、真田龍子を心配していた。  だが、彼女ならきっとできる――  漠然(ばくぜん)とだが、そう信じていた。 「ウツロくん」  ドロドロと(うごめ)異形(いぎょう)となったウツロの前に、真田龍子は立った。 「さあ」  大きく手を広げ、ほほえむ。  その姿はウツロのすべてを受け入れる――  そう言っているかのようだった。 「あ……があああああっ!」  毒虫は咆哮(ほうこう)して、目の前の少女をのみ込んだ。 「龍子おおおおおっ!」  桜の森に、星川雅の絶叫がこだました―― (『第70話 鉄格子(てつごうし)の中のおたけび』へ続く)

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