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第80話 夜明け

 桜の森の夜が白々(しらじら)と明けてきた。  死亡した似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)とアクタを除き、真田龍子(さなだ りょうこ)治癒(ちゆ)の能力で、残る4名の応急処置をしていた。 「姉さん、僕は大丈夫ですから、ウツロさんたちを、どうか……」  弟・虎太郎(こたろう)は、自分も傷つきながら周りを気づかう彼女を心配した。 「姉さんのアルトラ『パルジファル』は、かなりの精神力を使うはずです……本当に、僕は平気ですから……」 「いや、なんか、わたしだけ何もしてないしね……ちょっとくらい、いいかっこさせてよ、虎太郎」 「……」  真田虎太郎は姉のやさしさに、やはり姉からひどい仕打ちを受けたという、似嵐鏡月のことを思い出していた。  真田龍子も同様に、なぜ姉である似嵐皐月(にがらし さつき)、イコール(みやび)の母・星川皐月(ほしかわ さつき)が、あれほど自分や虎太郎へ親身(しんみ)に接してくる精神科医がそのような蛮行(ばんこう)を、あるいはそれが、(おだ)やかな名医の本性(ほんしょう)なのかもしれないが、弟・鏡月へ向けたのか、頭に引っかかってしかたがなかった。  両者とも、「あのやさしい皐月先生が、まさか」「何かの間違いではないか」と考えるいっぽう、真田虎太郎は「自分の姉は違う」と、真田龍子は「自分もいつか、同じことをするのではないか」という、似嵐鏡月の言葉を思い起こした。  ウツロは並べて寝かせた父・鏡月と兄・アクタの(むくろ)の前に正座し、じっと目を閉じていた。  星川雅(ほしかわ みやび)は何かの器械を取り出して、何者かと連絡を取り合っている。  すなわち、彼らを管理・監督する組織、特定生活対策室(とくていせいかつたいさくしつ)朽木支部(くちきしぶ)とだ。 「第三課の救護班(きゅうごはん)は、どれくらいで来れそうだって?」  (かたわ)らに腰かけている南柾樹(みなみ まさき)がたずねた。 「盗聴器が(ひろ)った内容はどうせ筒抜(つつぬ)けだろうから、そんなにはかからないはずだよ」 「何だかな……」 「あと、処理班(しょりはん)もちゃんとお願いしたおいたからね」 「処理班……ここで起こったことの痕跡(こんせき)を、消しておくってことだな?」 「そうだね。あと、叔父様(おじさま)とアクタの、遺体の始末もね」  その言い方に南柾樹は(いきどお)った。 「『始末』だと? てめえ、言葉の選び方に気をつけろよ? ウツロの親父と兄貴なんだぞ!?」 「なによ? アクタはともかく、あんたをさんざんコケにしたクズにまで、感情移入しちゃったの?」 「てめえ、雅――!」  南柾樹は星川雅に(なぐ)りかかりそうな勢いだ。 「柾樹、いいんだ」 「ウツロ……」 「父さんが最終的に改心したとしても、やったことはやったことだ。これから俺は、父さんの手にかかって奪われた人たちへの、(つぐな)いをしていきたいと思う」 「ウツロ、おめえがそんなこと考える必要はねえって。アクタや親父の分まで生きる、それだけでいいじゃねえか」 「ありがとう、柾樹。でもきっと、父さんに傷つけられた者たち、万城目日和(まきめ ひより)も含めて、俺に何かをしてくるかもしれない。でもそのときは、しっかり向き合いたいんだ。もちろん、父さんから(うけたまわ)った言葉……どんなときだろうと、自分を見失ってはならない……それを、決して忘れないようにね」 「ウツロ……」  南柾樹は複雑な気持ちだった。  ウツロは自分と初めて会ったときに比べ、別人のように成長した。  それ自体はうれしい。  だがいっぽうで、それによって背負わなくてもよいものまで、背負ってしまうのではないか、と。 「ウツロ」  星川雅が正座しているウツロの背後へ(あゆ)()った。 「黒彼岸(くろひがん)を渡してくれる? それは本来、似嵐家(にがらしけ)の所有物であって、叔父様の手で長い間、失われていたもの。返してほしいんだ」 「雅、てめえ、いい加減に――」 「柾樹――っ!」  星川雅の態度に激昂(げきこう)する南柾樹を、ウツロは制した。 「それは事実だから、雅の主張は的を()ているんだ。わかってる、雅。でも、もう少し……その救護班とやらが来るまでの間でいいんだ。もう少しだけ、父さんと一緒にいさせてやってほしいんだ……」 「……」  星川雅も心境は複雑だった。  自分の母である星川皐月、その弟である叔父・鏡月が故人となったいまこの場では、彼女のことを知るのは自分だけだ。  星川雅は知っている。  彼女の母・皐月は、自分以外のすべての存在が、自分の人形のように振る舞わなければ気が済まない、傀儡師(かいらいし)の精神を持っていることを。  そして母が、あらゆる存在を自身の人形に作り変えてしまう、おそるべきアルトラ使いであることを。  それを考えると体が震えてきて、母が自分を支配するための()(いと)が、()けて見えてくるかのようだった。  彼女は必死で全身がこわばるのを(おさ)()んだ。 「雅さん、柾樹さん」 「うわ――っ!?」  対立するかのような構図になっていた二人の間に、真田虎太郎がいきなり、にゅっと顔を出した。 「び、びっくりした……」 「な、なんだよ、虎太郎……?」  真田虎太郎は丸い目を充血させてほほ()んでいる。 「救護班のみなさんが来たかどうか、三人で(・・・)確認しにいきましょう!」  出し抜けに、そう申し出た。 「さすがにまだ来ないって、虎太郎く――」  目で後ろへ合図を送る彼に、星川雅は察しがついた。 「おほん。確かに、虎太郎くんの言うとおりだね。場所がわからなかったら困るし。さ、柾樹、三人で(・・・)行きましょう」 「な、なんだよ雅……お前まで……」  星川雅も真田虎太郎と一緒に、「空気を読め」という顔をした。  これにはさすがに南柾樹も、理解のおよぶところだった。 「あ、ああ、そうだな……はは、また魔王桜(まおうざくら)のヤロウが襲ってこねえともかぎらねえしな……固まって動いたほうが、いいだろうなあ……」  彼らの不思議なやり取りに気づいたウツロが、そちらに顔を向けた。 「おい、ウツロ。俺ら三人は(・・・)、救護班が来たときのために、ちょっと近くに行ってくるから。りょ、龍子を頼むぜ」 「え? ばらばらになるのは、逆に危険じゃないかな?」 「心配ねえって、この中じゃウツロ、おめえがいちばん頼りになるから。それじゃちょっと、行ってくるからな」 「え、あ? うん、わかったよ。気をつけてね、三人とも」  このようにして、真田虎太郎、南柾樹に星川雅は、そそくさと桜の森の出口のほうへと退場した。 「なんだかヘンテコだな。ねえ、龍子――」  すぐそこには、真田龍子が座っていた。 「龍子……?」  彼女はウツロを抱きしめた。 「……」  ウツロも彼女を抱きしめた。 「龍子、ありがとう……ぜんぶ、君のおかげだ」  真田龍子は首を横に振った。 「さっきの答え、俺……まだ、言ってなかったね……」  二人は見つめ合った。 「愛してる、龍子。俺も、君のことが、好きだ」  吸い寄せられるように(くちびる)(かさ)なる。  桜の森に朝がやってきた。  その輝きは、二人をまばゆいばかりに(つつ)()んだ―― (『最終話 桜の朽木に虫の這うこと』へ続く)

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