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第4話 ウツロにまつわる略奪宣言

「わたしも佐伯(さえき)くんが、好き」  刀子朱利(かたなご しゅり)はウツロの(くちびる)(うば)った。 「――っ!?」  はち切れそうな制服の谷間(たにま)が、彼の(うで)にこすりつけられる。  ウツロは反射的に後ろへ跳躍(ちょうやく)した。 「……」  口を手で(おお)う。  衆目(しゅうもく)()での大胆(だいたん)きわまる行動に、彼は困惑(こんわく)した。 「……ば、朱利っ! なにやってんだよ!?」 「うるさいなー、瑞希(みずき)。中学の同級生じゃなきゃ、ぶっ殺してるとこだよ?」 「な……」  長谷川瑞希(はせがわ みずき)がとがめたが、刀子朱利はそれをおそろしい言い回しで(はじ)(かえ)した。  にらんでくる顔に不敵(ふてき)()みで返礼(へんれい)する。 「刀子さん」  日下部百合香(くさかべ ゆりか)が前に出た。  彼女は腕を組んで、冷静な眼差(まなざ)しを送っている。 「あなたが何を思い、どう行動するかは、あなたの自由だけれど、こういう公共(こうきょう)の場で、あまり『やんちゃ』は、よろしくなくてよ?」 「ふん……」  先輩(せんぱい)からの静かな威圧(いあつ)に、刀子朱利は「気に食わない」という顔をした。 「はーい、すみませんでした、日下部せんぱーい。でも」 「――?」  わざとらしく両手を挙げ、「参りました」というしぐさをしたが、 「あんまりわたしを(おこ)らせると、先輩の弱みとか、(にぎ)っちゃうかも、ね?」 「……」  実質的(じっしつてき)脅迫(きょうはく)する言葉を()いた。  ひらりと後ろに手を組みなおして、前のめりの姿勢(しせい)から、日下部百合香の顔を見上げ、なめるようにニヤニヤとのぞきこむ。  狂気(きょうき)をチラつかせられたことに、心中(しんちゅう)こそ(おだ)やかではなかった。  だが日下部百合香は、負けじと眼下(がんか)不気味(ぶきみ)な少女に、(いまし)めの視線を送りつづけた。 「ぷっ! やだなー、冗談(じょうだん)ですよー! そんなこわい顔しないで。ああ、みんなもさー! あ、そうそう、授業が始まっちゃうー。さ、さ、みんな、急がなきゃねー」  刀子朱利は(かた)()らせてケラケラと笑った。 「じゃ、お先にー。あ、そうだ、真田(さなだ)さん」 「……」  彼女は真田龍子(さなだ りょうこ)を見て、 「佐伯くんは、わたしがもらうからね?」  そう言ってもう一度、不敵にほほえんだ。  顔は笑っているが、その目は明らかに、真田龍子を見下(みくだ)していた。 「わーい、(おく)れうっ」  そのまま何事(なにごと)もなかったように体を(ひるがえ)して、その場をあとにした。  ウツロは遠ざかっていく彼女の背中を見つめた。  刀子朱利……  もしかして俺を、『値踏(ねぶ)み』したのか……?  彼は気づいていた。  あの赤毛(あかげ)の少女が自分に接触(せっしょく)するとき、ほんの一瞬だけ見せた(するど)殺気(さっき)に。  あれは常人(じょうじん)のものではない。  人間を殺傷(さっしょう)すること、それが体に()みついている者だけが(はな)つことのできるものだ……  刀子朱利……  いったい彼女は、何者なんだ……?  ウツロは先ほど受けた(はずかし)めよりも、それが気になってしかたがなかった。  いっぽう、真田龍子は沈黙(ちんもく)していた。  ウツロにキスを……  わたしのウツロに(・・・・・・・・)……  こんな侮辱(ぶじょく)があるだろうか?  しかもあの女はそれを()じることもなく、むしろ(ぎゃく)に『宣戦布告(せんせんふこく)』をした。  わたしのウツロを(・・・・・・・・)わたしから奪う(・・・・・・・)――  そう『宣言(せんげん)』したんだ……  刀子朱利、許さない……  わたしのウツロを(・・・・・・・・)よくも(・・・)よくも(・・・)……  このように真田龍子は彼女にしては(めずら)しく、嫉妬(しっと)(ほのお)をメラメラと燃えたぎらせたのだった。 「なんなの、あいつ、頭おかしいんじゃない? あ、龍子、あんなやつのこと、気にしなくていいから……」 「いや、瑞希、わたしは平気だから……でも、ありがとう……」  真田龍子は人格を(うたが)われまいと、必死で気丈(きじょう)にふるまった。 「ったく、昔からああいうとこあるんだよね。ネジがぶっ飛んでるっていうかさ。きっと母親が現役の防衛大臣なのを、鼻にかけてるんだよ」  長谷川瑞希は気を使って、真田龍子の気持ちを落ち着かせようと、口を動かした。 「刀子さんのお母さん……防衛大臣って、甍田美吉良(いらかだ よしきら)大臣のこと?」 「ああ、そうなんです。『刀子』は母方(ははかた)(せい)らしくて……なんでそれを名乗ってるのかは、わからないけど……あ、でも……なんでも、古流武術だかなんだかを、継承(けいしょう)してるって家らしくて……」  彼女は流されるまま、なじみの少女の素性(すじょう)を話した。 「そういえばあなたたちのクラスに、もうひとり閣僚(かくりょう)官僚(かんりょう)のお子さんがいなかったかしら?」 「ああ、夕真(ゆうま)のことですね? 確か彼の父親は、えーと……内閣官房室長? だかをやってる人で……」 「氷潟夕慶(ひがた ゆうけい)でしょ? 名前が似てるから、もしかしたらと思っていたんだけれど。とんでもないサラブレッドなのね」 「二人とも(おさな)なじみらしいですね。わたしは中学校でいっしょで、そこからしか知らないけど、あんまり仲いいって感じでもなかったですよ」  会話はいつの()にか、刀子朱利と氷潟夕真の話題へとシフトしていた。 「おほん、諸君(しょくん)」 「うわっ!?」  音楽教師・古河登志彦(ふるかわ としひこ)咳払(せきばら)いに、一同(いちどう)はびっくりしてわれに返った。 「うわっ、じゃないよ。なんだか先生、傷つくなー。ほらほら、授業が始まっちゃうよ? 今日も一日(いちにち)、勉学にいそしみたまえ。さあ、行った行った」  彼は残った者たちへ音楽室からの退室を(うなが)した。 「真田、行こう」 「あ、うん、佐伯……」  ウツロは真田龍子の手を(つか)んだ。 「……」  その手は小刻(こきざ)みに(ふる)えていた。 「長谷川さん、わたしたちも行きましょう?」 「え、あ、はい、先輩……」  四人は連れ立つように、音楽室をあとにした。 (『第5話 校舎裏(こうしゃうら)の会話』へ続く)

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