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第17話 プライド
体育倉庫をあとにした刀子朱利 は、痛 む体を黙 らせながら、校舎裏 へと向かった。
「……っ!?」
教職員用出入口 わきの壁 にもたれかかって、氷潟夕真 が待っていた。
彼女が近づくと、彼はスッと目を開 け、鋭 い視線 を送った。
「ふん、ぜんぶ『観察 』してたってわけだね」
「……」
状態を維持 したまま、氷潟夕真は黙 っている。
「何よ? 何か言いたいことがあるんでしょ?」
「……」
相変わらず彼は沈黙 している。
「ああ、もう。こっちはヘトヘトだってのに、ああイラつく……まったく、もう少しで雅 のやつをぶっ殺せたってのにさ。毒虫 のウツロ……あいつさえ邪魔 に入 らなかったらね……」
刀子朱利は正直な胸中 を、幼 なじみの前で吐露 した。
「……敗者 の弁 、か」
氷潟夕真は静かに、しかしはっきりとそう言った。
「てめえ、夕真、口のきき方に気をつけろよ? もういっぺん言ってみろ、八 つ裂 きにしてやる……!」
「……吠 えるな、負 け犬 がよ」
その言葉に、彼女は怒髪天 に達した。
「てめえ、ぶっ殺してや……」
セリフをしゃべり終える前に、氷潟夕真の大きな手が、刀子朱利の首に食らいついていた。
「んぐ、んんん……!」
首根 っこを引っつかまれたまま中空 へと持ち上げられ、彼女は激 しく嗚咽 した。
「……こういうことだ、朱利。お前は詰 めが甘 すぎる……だから勝てないんだぜ、雅 ごとき にな……」
淡々 とした口調 で、彼は吐 き捨 てた。
だが刀子朱利の耳には、ほとんど入 っていない。
呼吸が困難なあまり、体をバタつかせ、苦悶 の表情を浮 かべている。
「ぶはっ……!?」
灸 を据 えたと思ったタイミングで、氷潟夕真はスッと手を放 した。
「げほっ、げほ……」
刀子朱利は酸素を取 り戻 そうと必死になっている。
そんな彼女を、金髪の少年は冷 ややかな目線 で見下 ろした。
「夕真……げほっ、げほ……なにすん、だよ……」
刀子朱利は地面に伏 した状態で、彼を見上 げた。
その目からは苦痛 の涙 が垂 れている。
「……朱利、お前は頭が悪いんじゃない、学習能力がなさすぎるんだ……それを伝えたかったんだよ……」
氷潟夕真は冷 い表情を変えず、そう言 い放 った。
「何を、生意気 な……」
ようやく呼吸が落ち着いてきたが、幼なじみからの通達 が悔 しくてしかたなかった。
それが図星 であることを、彼女はわかっていたからだ。
決して認めたくはなかったが。
「……屈辱 だろ? それでいい……その屈辱で、今度こそ雅 を殺せばいい……」
屈折 してはいるが、これが彼なりの、幼なじみへの応対 だった。
彼は踵 を返すと、歩き出した。
「ふん……」
刀子朱利はやっと立ち上がり、氷潟夕真の遠ざかっていく背中をにらんだ。
「わかってるし、そんなこと。次こそ雅 をぶち殺す……それは確定してるんだからね?」
歩きながら彼は、心の中でため息をついた。
「……やっぱりお前、バカだよな……」
刀子朱利はギリギリと歯軋 りをした。
「……ああ、そうだ……」
「な、何よ……」
氷潟夕真は突然立ち止まって、なにやら切り出した。
「……万城目日和 」
「……!?」
「……ウツロと接触 したようだ。お前たちが倉庫でドンパチやってるのを、わざわざ教えてやったみたいだぜ……」
刀子朱利は驚愕 した。
万城目日和 ――
かつてウツロの父・似嵐鏡月 が殺害した政治家・万城目優作 のひとり娘 。
実は似嵐鏡月に保護 されており、ウツロと同様、暗殺のイロハを叩 き込 まれた。
特定生活対策室 のデータベースから『失敬 した』情報には、確かにそうあった。
「万城目日和、ついに動いたんだね……何が目的? ウツロやわたしたちを、かく乱 したいってこと……?」
刀子朱利はのどを詰 まらせながら、氷潟夕真に問いただした。
「……さあな、そこまではわからない。だが確実にいえるのは、俺たちも油断はできない ってことだ……」
「ぐ……」
彼は再 び歩き出した。
「待ちなさいよ、話はまだ……」
「俺の話は終わった。少なくともな……」
「く……」
大きな背中がどんどん遠ざかっていく。
「はん、どうせまた、あの南柾樹 と仲良くケンカでもしようってんでしょ!? いいよねえ、かまってくれるお友達がいてさ!」
氷潟夕真は何も答えない。
彼の姿はついに、校舎 の陰 へと消えた。
「う……」
刀子朱利は拳 を握 った。
強さのあまり、血がにじんでくる。
それほどの屈辱だったのだ。
仇敵 である星川雅 に敗北した挙句 、幼なじみの氷潟夕真にまで虚仮 にされた――
「ぐ、うう……」
彼女は涙を流した。
今度は苦痛からではない。
そのプライドを、強すぎる自身のプライドを、ずたずたに引 き裂 かれたことによるものだった。
「ちく、しょう……」
全身を震 わせ、刀子朱利は咆哮 した。
「ちっく、しょおおおおおおおおおおっ……!」
その声はただ、氷潟夕真の耳にだけ届 いていた。
それ以外は人気 のない放課後の黄昏 に、溶 け込 むように消えていったのだった――
(『第18話 保健室の鼎談 』へ続く)
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