141 / 244

第59話 リザード

「アルトラ、リザード……!」  少女の姿が、一匹のどう猛なトカゲへと変貌した。 「万城目日和(まきめ ひより)……まさかとは思ったが、本当にトカゲとはな……」  人の形をしたトカゲ、その異様な姿に、ウツロは戦慄した。 「ふふっ、ウツロ。要するにこれが、俺の本性ってことなんだろ? アルトラとはすなわち、その人間の精神の投影ってか」 「……」  万城目日和はケタケタと笑っている。  ウツロは何も言えなかった。 「けっこう気に入ってるんだぜ、この姿はよ? さてウツロ、仕切り直しと行こうじゃあねえか」 「くっ、来いっ……!」 「ん~?」  臨戦態勢を取るも、彼女はニヤニヤとほほえんでいる。  何かがおかしい、そう思った。 「これは……」  甘いにおい。  そして次の瞬間、ウツロのひざが勝手に地面をついた。  何が起こったのか理解できず、彼は激しく困惑した。 「甘いだろ? そのにおい。俺は体内でいろんなにおいを作れるんだよ。これを使ってそいつらを眠らせ、拉致ったのさ」 「ぐっ、しまった……」  猛烈な眠気がウツロを襲う。  こんな状況において、彼の脳は睡眠を渇望しているのだ。  刀を杖の代わりに、必死で体を支える。 「体ってのは正直だな、あ? ウツロ、おまえはもう動けねえ。俺の勝ちは決まりだな」  トカゲ人間がゆっくりと近づいてくる。  ウツロはある覚悟を決めた。 「なめ、るな……!」 「――っ!?」  ウツロの口から血が滴り、その姿がパッと消え失せた。  万城目日和はハッとなり、そして背後を取られたことに気がついた。 「ぐっ――!」  あわてて体を翻し、応戦する。  トカゲの爪は黒刀(こくとう)剣戟(けんげき)(はじ)き、お互いにまた間合いを取った。 「バカな、舌をかむ力なんて残ってなかったはずだ……」  もご……  ウツロの口から、黒い角のようなものが顔を出す。 「べっ……!」  吐き出された物体、それはバカでかいクワガタだった。 「時期はずれだが、来てもらっていて助かったよ」 「ははっ! クワガタに舌をかませるなんてな! いいねえウツロお、最高だぜ、おまえ。こいつはいよいよ楽しくなってきた……!」  トカゲが毒虫に突進する。 「ふんっ!」  ウツロは高く跳躍した。  すぐさま上空からの攻撃に備える万城目日和。  だが、降りてくる気配がない。 「――っ!?」  ウツロは背中の羽を大きく広げ、羽虫のごとく宙に浮いていた。 「へっ、空も飛べるのかよ、ウツロ?」 「われながらおぞましい能力だと思うよ、万城目日和?」 「お互いにな」 「ふん」  天地上下でにらみ合う。  しかけるタイミングを見計らっているのだ。  遠くのほうで船の汽笛が鳴った。 「いくぞ、万城目日和っ――!」 「来なっ、ウツロおおおっ――!」  ウツロは下降し、万城目日和は跳躍した。 「ぐうっ――!」 「があっ――!」  爬虫類の脚力は想像以上だった。  しかし、羽虫の突撃もまた、同様だった。  ぶつかり合う力は反力を生み、互いに後方へ弾き飛ばされる。  倉庫の向かい合う壁面に、それぞれが激突した。 「まだまだっ、万城目日和いっ――!」 「殺してやるっ、ウツロおおおっ――!」  広い空間に破裂音がこだまする。  火花のようなそれは、冷たい倉庫の中に熱量を与えた。  何度も、何度も。  ぶつかっては弾かれ、延々とそれを繰り返す。  あらゆる方向から、あらゆる手段で。  それはほとんど、戦闘というよりは葛藤に近かった。  ありもしない答えを、必死に導きだそうとしている。  つかめるはずもないものを、必死につかもうとしている。  こうしていれば、何かが見出せるのではないか?  二人はひたすら、もがきつづけた。 「はあっ、はあっ……」 「ふうっ、ふうっ……」  互いに地面へ降り立ったとき、そのダメージは決して少ないものではなかった。  何も見えてこない。  ふいてもふいても取れることのない、ガラスのくもり。  そんなもどかしさを感じていた。 「ウツロ、何か見えたか?」  万城目日和は問いかけた。 「いや、何も……こんなに難しいのは、はじめてかもしれない……」  ウツロは正直な心中を吐露した。 「解決する方法があるんじゃないか。そんなことを考えてたんだろ?」 「まあな。みんながうまい具合に助かれば、それが一番だからな」 「けっ、やっぱり吐き気がする。ヒーロー気取りのクソ野郎がよ」 「かまわない。それが俺の、性分なんでな」 「ふん、そうかい。なら、おまえの負けだぜ?」 「どういうことだ?」 「おまえが必死にそんなことを考えてる間、俺はおまえを倒すことだけを考えてたからさ」 「強がるな、万城目日和。戦いを通じてわかった。おまえは決して、魔道になど落ちてはいない。本当はおまえだって、俺と同じことを考えていたんだろう?」 「……」  図星だった。  だが、そんなことをやすやすと認めるような万城目日和ではない。  屈辱だ。  ウツロ、おまえは気がついていない。  そのやさしさが、どんな存在にもよりそおうとする甘さが、結果として人の心を傷つけ、踏みにじることもある。  彼女は決心した。  和解という選択肢を放棄することを。  すまない、ウツロ。  やっぱり、死んでくれ…… 「ウツロ」 「……」  トカゲの右手が上がる。 「これ、な~んだ?」 「……?」  そこには小さな、一匹の黒い虫がつまみ取られている。 「おまえとぶつかり合ってる最中に失敬したんだ。簡単だったぜ?」 「それが、何だというんだ?」  いぶかるウツロに、万城目日和は口角(こうかく)をゆがませた。 「あれ、わからねえ? さっき俺が言ったこと、もう忘れたのか? いろんなにおいを作れるって、確かにそう言ったよなあ?」  何を意味するのか、理解することはできなかった。  しかしウツロは、猛烈に嫌な予感がした。  果たしてその予感は、的中することになる。 「あ~ん」  つまんでいたその虫を、万城目日和は口の中へと放りこんだ。 「なっ、何をしている……!?」 「まだわからねえの? おまえ、バカ?」  ガリガリと虫をかみ砕く。 「こうしてな、胃の中で分析(・・)するんだぜえ?」 「……」 「ふんふん、なるほどな。よし、よし、と……」  ウツロはやっと理解した。  前方へ向け、脚を蹴り上げる。 「いまさらおせえよ。もうしっかりと、できあがっちまってる(・・・・・・・・・・)んだぜえ……!」  万城目日和の体から、紫色の気体が噴き出す。  ウツロはそれをモロに浴びてしまった。 「うっ……」  強烈な刺激臭が鼻をつく。  そのときにはもう、すでに遅かった。 「これ、は……」  呼吸がろくにできない。  彼は苦しさあまって、地面へと倒れこんだ。 「アポトーシスだ、ウツロ。この世にただひとつ、おまえだけを確実にぶち殺せる毒ガスの完成よ。はははっ!」  トカゲの笑い声が響きわたる中、毒虫の意識はどんどんと遠くなっていった――

ともだちにシェアしよう!