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第1章:出会い編 第1話
「圭ー、そっち、ちゃんと括っとけよー」
「オッケー、オッケー! 任しときー!」
バタバタと垂れ幕が風の影響を受けてはためく。隅に括りつけた紐を屋上の手すりにギュウギュウと縛り付けた。これでもかと言わんばかりの渾身の力を込めて結び目を固く引き絞る。
「ナオー、そっちどーよ」
「ばっちし」
紐を引っ張っても硬く結ばれているのを確認して、手すりから上半身を乗り出した。視線の先にはベランダに出ていたクラスメイト。人好きのする笑みを浮かべながら親指を立てている。圭もにっかりと歯を見せて笑い、同じポーズを向けた。
校内は翌日の文化祭に向けて準備をする音が至る所から聞こえてくる。トンカチで何かを打つ音や、女子の笑い声。どこかのクラスでは音楽を掛けながら作業をしているのだろうか、流行りの韓流アイドルの新曲が薄っすらと耳に入ってくる。
高校での初めての文化祭に心躍るのは自分だけではないと思う。そこここで生徒たちの浮かれたような声が飛び交っている。
一年前、学校見学の一環として訪れた時の文化祭で、この学校を選んだと言っても過言ではないほど圭の通う高校の文化祭は賑やかだった。展示がメインだった中学校の文化祭とは雲泥の差と言って良い。賑やかな飲食店にライブやダンスなど華やかなステージ、それに、お化け屋敷や縁日などの出し物は一日いても全く飽きず、生徒たちの楽しそうな様子に心を惹かれた。それまで少し偏差値が高くて受けるかどうか悩んでいたものの、この文化祭をきっかけに受験勉強へと本腰を入れたのは懐かしい思い出だ。
そのお陰で自宅から最も近かったこの学校へと入学できたのだから、文化祭様様だ。
ポケットに入れていたスマホが震えている。取り出して画面を見ると、買い出しに出ていた友人の名前が表示されていた。
「もしー、ヒロ、お前らどこいんの?」
『今、校門前ー』
言われて校門の方向へと顔を向ける。白いレジ袋を手にした友人が圭へと向けて大きく手を振っていた。その姿を見つけて、同じく手を振り返した。
「垂れ幕、見えるー? 傾いてねぇ?」
『おー、バッチシ! 超目立ってる。イイ感じー』
友人がレジ袋を持ったままの手で大きく頭上で丸を作っていた。その様子を見て安堵する。
『やっぱ、垂れ幕作って良かったなー。超派手。分かりやすい』
「だろー? こーゆーのは、目立ってナンボだからなー」
カラカラと笑いながら悦に浸る。
当初の予定では垂れ幕を作る予定などなかった。しかし、一般開放の際には他校の友人を始め、卒業生や高校受験を控えた中学生など大勢の一般客が訪れる。生徒であれば自分たちのクラスが何を行うかは知られているとは思うが、一般客はそうではない。だから、パッと見てすぐに目を惹けるように垂れ幕を作りたいと提案したのは圭だった。
『……あれ? ちょっと待て。幕に何か付いてねーか?』
「は? 何かって何だよ………あっ」
校門付近から歩きながら昇降口へと向かっていた友人が立ち止まり、訝し気な声を上げる。その言葉に取り付けたばかりの垂れ幕へと目を向ける。ちょうどクラスが書かれている部分に貼り付いた茶色いテープ。
「あっちゃぁー……」
盛大に顔を顰めて天を仰いだ。確認したつもりだったのに、どうやら見落としていたようだ。垂れ幕を掲げる前に綺麗にしておこうとガムテープでゴミを取っていたのが残ってしまっ
ていた。
「うーわ、これ、外すの超めんどくさすぎんだろ」
強風で外れてしまわぬようにと硬く結んだ紐を見てげんなりする。外そうにも既にベランダに出ていた友人は教室内へと引っ込んでしまっていた。明日の文化祭のため、午後の授業は全て準備のためになくなっているとは言え、作業は有り余る程あるのだ。初めての文化祭に張り切っていたのは圭だけではない。クラスメイト全員が一般来場者の投票で決まる今年の文化祭のクラス大賞を狙っている。内装も工夫を凝らそうと一丸となり装飾にこだわっていた。正直、今日の下校時刻までに終わる気がしていない。
「結構目立つ感じ?」
『うーん、気付くと結構気になる系』
通話相手の眉尻が困ったように下がる。圭は腕を伸ばしてみた。あと僅かで届きそうな場所にある。
『おい、無理すんなって。後で俺が取ってやるから』
「うっせ、俺だって取れる」
暗に身長差について言われたように感じてカチンとくる。圭にとって身長に関する全ての話題は地雷だった。自分が平均身長よりも大いに小さいというのは自覚しているから。
『おいおい、マジでやめろって。危ねーだろ』
「できる! 元体操選手の体の柔らかさナメんなよ」
『別に誰もナメてはねーって』
踵を上げて腕を更に伸ばした。中指の先にガムテープの感触。あと少しで届きそうだ。より一層体を伸ばす。片足を浮かし、中指と人差し指で挟めそうだと確信した時だった。
突如吹いた突風に体が煽られる。
「わっ、えっ、……あっ」
グラリと大きく体が傾いだ。思わずスマートフォンが手から滑り落ちる。目の前の景色が反転する。重力に逆らわず、落ちていく体。
「圭ー!」
スマホ越しではなく、友人の怒鳴り声が聞こえてくる。
体感としては随分とゆっくりしていた。景色がスローモーションのように見える。
(あ、やっべ……これ、もしかして俺、詰んだ……?)
死ぬ間際に過去を振り返るという走馬灯は見なかった。16年とはいえ、それ相応には思い出だってたくさんあるはずなのに。
(痛いのだけは……やだなぁ)
思わずギュッと目を閉じた。
そこから記憶は途切れたものの、痛いと感じることはなかった。
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