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第1章:出会い編 第2話

 重い瞼を開く。頭がグラグラする。ボンヤリする思考のまま、緩慢な動作で数回瞬きを繰り返した。  頬に触れるざらついた布地の感触。自宅のシーツはもっと肌触りが良い。  それに何だか少し埃っぽい。コホリと一つ咳き込んだ。自分の咳だけが聞こえた後、またしても静寂に包まれる。  起き上がろうとして手首が痛いことに気が付いた。後ろにまとめられている。 「何だよ……これ……」  両腕をモゾモゾと動かしてみても、一つにまとめられている手首のせいで体勢は一切変えられない。  不自由な体に不安を抱きながら部屋の中を見える範囲で観察してみた。四畳半程の広さだろうか。圭が転がされているベッドの他には何もない。石壁が殺風景な光景に拍車をかけている。  ブルリと身がすくんだ。少し肌寒い。屋上にいた時は風が吹いているにも関わらず、十月上旬でも寒さを感じる程の冷え込みではなかった。むしろ、あちこち動き回っていたことで少々汗ばむくらいだった。だから授業中には着ていた学ランを教室に置きっぱなしにしていた。シャツの上にはカーディガンを羽織っていたから暑いくらいに思っていたのに、今はその判断が賢明だったと心底思う。  ドキンドキンと自分の鼓動が大きく感じる。何もない。あるのは静寂だけという状況が怖かった。 (俺、文化祭の準備、してて……屋上から落ちて……。え? 俺、もしかして死んだ? ここ天国?)  視線だけでキョロキョロと辺りを窺い落胆する。どう見たって、この様子が天国なんて思えない。それに、まとめられた手首の痛さが現実を物語っていた。  唇を噛みしめた。屋上から落下して、多分ではあるが五体満足に生き残れたこと自体はホッとする。手首以外に痛い場所はないから、きっと大丈夫なのだろう。  しかし、今置かれている現状が最善かと言えば程遠い。全く見覚えのない場所で自由を奪われているのだから。 「あの……誰か……いませんか?」  ぽつりと呟くように声を出してみた。その問いかけに応える者はいない。 「あのー、誰か、いませんか?」  今度はもう少し大きな声でハッキリと言葉を紡ぐ。それでも静寂以外の何物もない。  段々イラついてくる。自分が死んでいないということは良かったが、だからと言って、この状況はあんまりだ。 「だーれーかー! いーまーせーんかぁー?」  一つ大きく息を吸い込んだ後、出せる限りの大声を張り上げてみた。言い終わった瞬間、咳き込んでしまう。この部屋は普段からきちんと掃除されているのだろうか。あまりにも埃臭すぎる。  実家の布団が恋しくなってきた。普段、専業主婦の母親が晴れている日にきちんと家族全員分の布団を干してくれている。シーツもまめに取り換えてもらえていた。お日様の匂いのするフカフカのベッドで眠れる当たり前の日々が懐かしい。たった数時間前のことだというのに。 (あー……でも、数時間とは限んねーか。俺、どんだけここで寝てたか知んねーし)  できうる限りの大声にも何の反応もなく、ガッカリする。病院とも思えない。こんな不衛生な病室があるはずもない。  ハァと大きな溜め息を吐き出した。窓のない部屋、加えて電気すらついていない。まるで独房のようにすら思えてきた。 「は……は……はっくしゅっ」  思わずくしゃみが飛び出した。このままここにいたら風邪をひいてしまいそうだ。しかし、打てる対策など何一つない。ほとんど暗闇に近いような部屋の中で、一人きりの心細さに胸が締め付けられるような不安にさいなまれていた。 「あーあ、ヒロの言うこと、ちゃんと聞いとけば良かった」  落下直前まで通話していたクラスメイトを思い出し、後悔ばかりが胸に募る。自分の抱く低身長コンプレックスのせいでムキになってしまっていたことは否めない。  中学生の頃から小さい小さいと周囲に言われ続けてきた。その内伸びるだろうとタカをくくっていたものの、なかなか身長は思うように伸びなかった。父も祖父も一般的な身長よりも高く、歳の離れた兄に至っては180センチを優に超えていた。家族からも「高校生になったらきっと一気に伸びるだろう」と言われていたため、気にはなるもののその言葉を信じ続けていた。  中学時代には女子の成長が早く、頻繁に「可愛い」を連呼され機嫌を損ねてばかりいた。160に満たない身長では揶揄われても仕方のないことではあるが。  自分の顔がカッコいいと呼ばれる部類から程遠いことも分かっている。身長同様に子供みたいだと言われること数知れず。悪いとは言われないが、グリグリとした大きな眼は「可愛い」寄りだというのは理解している。5つ年上の姉からは合コンで酔って帰ってくる度に「圭に可愛さで負けているのが気にくわない」とウザ絡みをされた経験ばかりだった。 「なーんか……眠くなってきた……」  フワァと大きなあくびが飛び出した。瞼が再び重くなってくる。  どれだけ寝ていたのかも分からないというのに、体というのは欲求に忠実だ。  とは言っても、圭の中にあるのは食欲と睡眠欲ばかりであったが。 「起きたら……これ、全部夢だったら……良いなぁ……」  ウトウトと意識が朦朧とする。  全部夢だったら良い。  こんなのは悪い夢。起きたら母親の作った朝食が用意されていて、いつも通りに学校へ行って、友達とくだらない話題で笑い合って。  そんな何ら変わりのない、普段通りの日常に。戻っていたら良いと希望を抱きながら眠りの淵へと落ちていった。
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