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第5章:裏切り編 第3話

「今日は何をしていたんだ?」 「えっとねー、今日は暇だったから歌ったり踊ったり、あと部屋の中グルグル走ってみたりした」 「ははは、そうか。それは楽しそうだ」  夕食の時間になり、対面にいる男性は圭の話に声を上げて笑った。  今日のメニューはじっくりと煮込まれたブラウンシチューに付け合わせのパン。そして、サラダと一品料理が3皿。毎日フルコースのような夕食はやめてくれと告げたら、一般の家庭レベルへとランクを落としてくれたのだ。 「ケイの歌か。一度聞いてみたいものだ」 「お、良いぜ? 今度聞かせてやる」  自慢ではないが、音楽の成績は5段階中2だ。友人たちからもよくカラオケなどで「聞けないわけではないが、絶妙に下手」とお墨付きを貰っている。つまり、カラオケでの引き立て役や、お笑い担当である。 「俺の美声を聞いて驚くが良い」 「夜、寝る前の楽しみが増えたな」  フッフッフッと怪しく笑う。アレクはそんなことなど全く知らず、本当に楽しそうにしていた。  とりとめもないことを話してはいるが、圭の内心はバクバクと心臓が早鐘を打っていた。 (絶対に気づかれるな……平常心……平常心……)  何度も自分自身に言い聞かせる。 「あ、そうだ。明日もユルゲンに自習日でよろしく~って伝えてもらっても良い?」 「どうした」 「ほら、こないだアレクが持ってきてくれた本あるじゃん。あれ、読み始めたら結構ハマっちゃって。すごい続きが気になるってゆーか。でも、あれ結構分厚いじゃん。普通に読んだら時間かかりそうだなって。だから、明日は読書休暇にしまーす」 「ああ、あれか。城下で人気だと言っていたやつか」 「うん、それ! 分厚いし、大して面白くなかったらやだなーって思って今まで読んでなかったんだけど、意外と読み始めたらめちゃくちゃ次が気になんの! 正直、今だって読みたいくらいだし」 「ははは、勘弁してくれ。ケイとの時間を本などに取られてしまっては困る」 「だろ? 一応、俺だってそれくらいの配慮はあるって。だーかーらー、明日は読書休暇! ね? 頼むよ」  掌同士を重ね合わせてお願いポーズを作る。アレクは「仕方ないな」と言いながら笑って許可してくれた。これで明日、配膳以外は呼ばない限り誰も部屋へ来ないはずだ。  第一ステップ終了。感度は良好。問題ない。手応えを感じながら机の下でグッと握り拳を作る。 「アレクは明日は?」 「俺はいつも通りだ。今は来期の予算折衝の頃合いだからな。それなりに忙しい」 「あー……だからか。今朝もいつも通り執務についたって聞いて、化け物かよって思ったわ」 「別にあの程度のセックスだったら、いくらでもできるぞ? 今度どれくらいできるか我慢比べでもしてみるか?」 「いやいや勘弁してよ。俺がアレクに敵うはずないじゃんか」  顔の前で大仰に手を振れば「残念だ」と軽やかに笑いながらアレクがシチューを掬う。 「ね、今日は昨日いっぱいHしたから、ゆっくり話そう?」 「そうするか。ケイの話は愉快だからな」 「えへへ。ありがと。今日は何の話してやろうかな~?」  指を折りながらあーでもないこーでもないと一人呟いていると、そんな圭をアレクが優し気な眼差しで見つめていた。 「えっと、何? どうかした?」 「いや……何でもない。こういう穏やかな時間も悪くないと思ってな」 「へ~、そお?」  圭の内心は至って穏やかでも何でもない。早くこの話題から気を反らしたいと必死だった。 「あ、これ美味しい! ねぇ、これって何?」 「ああ、これは……」  アレクが丁寧に説明してくれる。産地から生育方法などに至るまで詳細に。  圭は適度に相槌を打ちながら、昼間の出来事を反芻していた。  昼間尋ねてきた男性は、圭に対して早口で説明した。自分たちは異世界への転移のやり方を知っている。ただし、それはここではできず、専用の魔法陣のある場所でないと難しいのだという。  転移自体は高位魔術であり、使える者は限られる。しかし、それはいつ、どこへでもという条件下であり、その魔法陣を使えば他の術師でも可能なのだという。  戻りたいと思うならば明日、所定の場所まで来てほしいとだけ告げ、男は足早に去って行った。  圭の手の中に、城下町のとある場所を指し示した地図を握らせて。  アレクに言えば絶対に止められる。そんなことは火を見るよりも明らかだ。  だから黙って出て行くことにする。  でも、さすがに何も言わずにいなくなることには抵抗があり、アレクへと手紙を書いた。今までの感謝の気持ちを込めて。  今日ほど、きちんと文字が書けるようになっていて良かったと思うことはなかった。口にしなくても想いを届けられる。  丁寧に、一文字一文字心を込めて書いた。こんなに何かを集中して書いたことはない。  書き上げた手紙を見つからない場所へと隠し、次に書斎の書棚へと向かった。以前、アレクと共に城を抜け出した時の方法を思い出す。分厚い辞書のような本を何回か入れ替え、カチリと音がするのを確認してから元に戻した。やり方さえ成功すれば、今日はバッチリだ。 「でな? その時、うちのねーちゃんが……」 「はは、ケイの話によく出てくるその姉君は本当に愉快な人だ」  一緒に布団の中へと入り、圭の昔話に花が咲く。アレクは終止愉快だと言いながら、次第に二人共眠りの世界へと落ちていった。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  翌朝。作戦決行の日だ。天気は良好。作戦にはうってつけだ。天すら味方にできていると自信に繋がった。  いつも通りに起きてはいたが、あえて少し遅くまでベッドで過ごす。そして午前10時を過ぎた頃合いで使用人を呼び出した。ブランチを頼む。  この時間に食事を摂ることによって、昼食の時間に人が来ることを避けることができる。  ついでに今日は読書デーだからと告げ、ポットいっぱいの茶と山盛りの茶菓子を用意してもらう。後は好きにするから、しばらく放っておいてくれと念を押して。  これで3時のティータイムの人払いも完了した。つまり、午後6時のアレクの執務終了時刻までは呼ばない限り誰も部屋には入って来ないはずだ。  昨日したためた手紙を枕の上に置く。これで準備は完了だ。 「ウサ太郎、お前は連れてけない。ごめんな?」  頭を撫でてやる。アレクから貰ったぬいぐるみは、ある意味で唯一の圭の私物だ。しかし、さすがにこんな大きなぬいぐるみを持って逃げられない。身軽であるに越したことはない。 「多分、俺がいなくなってアレクはすっごく寂しがると思うから。だから、お前が慰めてやってくれ」  ギュッと強く抱き締めた。一度頬擦りをしてから元の位置に戻す。  そして踵を返した。  もう振り返らない。全部置いて行く。楽しかった思い出も何もかも。全部、全部。この、広くて狭い、圭の日常の全てだった場所へ。

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