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第5章:裏切り編 第5話
唐突に揺れが止まった。
「ぎゃああああああ」
耳をつんざく汚い悲鳴が響く。閉じていた瞳を開く。しかし、明かりは零れても外の風景は見えない。
悲鳴が続く。そして何かを斬る重い音。次に続いたのは鉄臭い匂い。
(血の匂い……?)
木箱の上部に剣が入れられる。ガコリと音を立てて箱の一面が斬り開かれた。
「ケイ!!」
狭い箱の中から取り出される。長剣を腰へと戻し、アレクが圭を持ち上げたのだ。
猿轡を外される。やっと息苦しい状態から抜け出しホッと一息吐いた。
「アレ……」
「ケイ、お前、逃げたのか?」
「え……」
アレクの目は冷ややかだった。瞳孔が開き、その眼は怒りに満ちていた。
「誰が俺のことを裏切ろうとも、お前だけは……俺のことを最後まで裏切らないと、信じてたのに」
「あ……」
圭も目を見開いた。安堵している場合ではないと、この瞬間に気が付いた。
「あの言葉は、全部……全部嘘だったのか? 今日この日のための布石だったのか?」
「ちが……」
「じゃあ、逃げたんじゃあないよな? 俺を裏切ってなんかいないよな?」
縋るような瞳。圭の心が揺れた。
ここで頷くことは簡単だ。強引に連れ出されたのだと。
でも、それだけはやってはならないと良心が強く訴える。
お前はまたこの人を裏切るのか。
嘘を重ねて、自分だけが逃げようとするのか。
罰を受けると誓ったのは、どこのどいつだ。
「………………ごめん、なさい………………」
長い沈黙の後、一言呟いた。アレクの瞳の中から僅かに残っていた希望の光が薄れていく。
後に残るは『絶望』の色のみ。
ギュッと抱きすくめられた。今、この状況で。
「愛しているよ、ケイ」
耳元で囁かれる。
声色は落ち着いていて、普段と何ら変わらないというのに。
何も同じものなどない。
キラキラと光り輝くような愛情も。信頼で繋がれた絆の色も。
何も、ない。
「さあ、戻ろうか。俺の可愛いケイ」
笑んだアレクの表情は、まるで人形のようだった。
ただただ、その笑みが怖かった。
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圭を抱えたまま転移し、城へと戻ってきたアレクはずっと押し黙っていた。そして現在、地下へと向かって彼は歩いている。
「どうして……分かったの?」
沈黙に耐えられず、ずっと抱いていた疑問を口にした。
アレクは昏い目のまま、唇だけで笑みを作る。
「これだ」
圭の胸元を指さした。
「胸?」
「正確には、ピアスだ」
そして低い声で語り始める。アレクが圭へと贈ったピアスには彼の魔力が籠められているらしい。その魔力を追跡し、あの場所へと辿り着いたのだという。
「じゃあ……アレクは、俺がこうするって分かっててコレをくれたってこと?」
「そんなはずないだろう? 魔力を込めたのは〝相手に幸せになってほしい〟という古くからの慣習に倣ったまでだ。皇族の間で昔から伝わるもので、母上も父上から同様のネックレスを貰っていた。だから自分の愛する者に贈り物をする時には、己の魔力を込める。ケイを誰よりも信じていた俺が、逃げるなんて選択肢を持つなんて思うはずがないだろう」
ああ、また間違えてしまったようだ。
アレクは圭を疑ってピアスを贈ったのではない。圭の〝幸せ〟を願い贈ってくれたのだ。
「ごめ、んなさい……」
アレクからの返事はない。その沈黙がまた圭を不安にさせた。
「俺が城を抜け出たのが分かったから、迎えに来たの?」
「違う。その段階で気付いていたなら、もっと早くケイを迎えに行けた」
「じゃあ、どうして……」
「今日、接見した他国の使者から珍しい菓子を手に入れた。ケイが好きそうだと思ったから、茶の時間に合わせて部屋に向かったんだ。そうしたら、どこを探してもケイはいないだろう? 風呂かと思ったが、そこにもいない。そしたら寝台の上に手紙を見つけてな? それを読んだ時の俺の気持ちがケイに分かるか? ……いや、分かるはずもないな。分かるんだったら、あんなことはしないはずだ」
どんどん墓穴を掘っていく。自分が底なしの沼に堕ちて行くようだった。
アレクは圭を疑っていたのではない。本心からの善意を向けてくれていた。
相手が好きな物だから。忙しい時間を割いて、部屋まで戻って来てくれた。
昨夜だって、圭の体のことを慮って毎夜の性交を取りやめてくれた。
全部全部、圭のため。アレクは、いつでも圭のことばかりを想ってくれていた。
そして、その信頼を粉々に打ち砕いたのが圭自身だった。
今となっては恥ずかしい。心を開いてくれたアレクに対して自信満々に語っていた言葉たちが。
そのどれもが薄っぺらで、上っ面ばかりでスカスカした言葉たち。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
ボロボロ泣きながら何度も謝った。もう、アレクは謝罪に何の反応も示さない。
炭の匂いがする。少し暑い部屋だった。
数人の男たちが作業を行っている。
「陛下! このような場所にいかがされましたか」
「一つ、印を付けてもらいたくてな」
「おっしゃっていただければ、罪人くらいいくらでも我らの方で引き取りに伺いましたのに」
罪人という言葉に反応を示す。震える瞳でアレクを見上げた。やはり笑っている。
でも、目だけは昏いままだった。
「ケイ・アダチ。貴公に、これから罪を言い渡そう」
部屋の中央に置かれた大きなテーブルの上へと座らせられた。手と足の戒めを外される。自由になったが、圭の真正面に立つアレクによって逃げ道など存在しない。
「貴公はこのシルヴァリア帝国第126代皇帝、アレクサンダー・フォン・トイテンヴェルグを惑わし、そして欺き、以てその存在を愚弄した。これらは不敬罪に加え詐欺罪、そして侮辱罪に相当する。本来、不敬を働いたという時点で既に貴公の極刑は確定しており、これらの罪を加算すると、貴公の血族全てにおいて同様の刑をもって贖う他はない。しかし、貴公にはそれらに値する血族もなく、刑の執行を行うことが極めて困難である」
低く、ゆっくりとした話し方はまるで判決を読み上げる裁判長であった。いつも圭に見せるアレクの姿はない。
丸暗記した書面の文章を朗読するように一言一句、間違えることなくスラスラと語られる言葉たちが耳に入る度、圭の顔面は蒼白となっていった。
今、目の前にいる人物が、昨夜共に夕食を食べ、語らい、眠りについた人物と脳内で一致しない。
フルフルと無意識の内に首を横に振っていた。
「何か、この決定に対して不平や不満、虚偽などがあるか?」
ピタリと圭の動きが止まる。そういう意味ではない。そうじゃないのだ。
「あ……ち、ちが……」
「誤りがあると。そう申すか。よろしい。では聞こう」
目を細め、圭の言葉を促してくる。しかし、圭からは言葉が出ない。
何をどう話して良いのか全く分からないのだ。気持ちを話しても、行動の是非を話しても、それは全てアレクの言葉を覆す証拠にも手段にもならない。
「……異論がないとして、先を進めることとする」
ビクリと体を震わせた。何か言わなければ。こういう時は、その姿勢だけでも重要だ。
アレクとの向き合い方。それをきちんと証明し、わだかまりを解きたい。
でも正解が分からない。開きかけた口を閉じるしかできなかった。
「ただし、酌量の余地がないとまでは言い切れない」
「え……?」
思わぬ光明を見た気がした。俯きかけていた顔を上げる。
「貴公のこれまでの行為、発言、それらによって得られた功績の数々を鑑みると、その命を持って償うということのみが贖罪に繋がるのではなく、また、貴公が欺いた本人自身が、その罪の執行を望んでいないということなどから、同刑の執行に関しては寛大な措置を取ることもやぶさかではないと言える」
「アレク……」
ブワリと目玉に水の膜が浮いた。ボロボロと大粒の涙を零す。
「ごめんな……本当に、ごめん、な……」
ヒックヒックとしゃくり上げた。こんな自分に、アレクはまだ信頼を寄せてくれている気がした。培った絆が全て失われた訳ではない。そう伝えてくれている。
今度は全力で応えたい。アレクの信頼に。アレクの想いに。
「しかしながら、一切の咎めをなしとすることは、他の罪を犯した者たちへの示しがつかず、妥当であるとは認められない。よって、ここに、ケイ・アダチの刑を執行する」
「え……?」
アレクの言っている言葉の意味が分からない。無罪放免という訳にはいかない、そういう意味だろうか。
「印を持て」
「はっ」
アレクが圭の体をテーブルの上へとうつ伏せで倒した。近くにいた作業員を呼び、圭の手首をテーブルへと押し付けて固定させる。
「アレク!?」
「ああ、場所はココにしよう。後背位で抱いた時、しっかりと見えるのが良い。だが、中央では面白みがない。ずっと残るものだからな。少しくらい遊び心のある位置が良いだろう」
圭のズボンを脱がし、上衣を肩甲骨までたくし上げる。右の臀部の上付近、腰の上でアレクは指先で円を描いた。
「印は、我が家紋であるな? よし。きちんと奴隷印も織り交ぜてあるか?」
「へえ。抜かりはございません」
「俺の何よりも大切な者だ。くれぐれも失敗などせぬように」
「はっ!」
「待って!? アレク、何? どうする気!?」
「ケイ」
優し気な声で名を呼ばれ、ビクリと反応する。アレクがテーブルに突っ伏した圭の顔の前まで腰を落とし、目線を合わせてくれる。
「ケイをこのような行為に走らせてしまったのは、きっと俺にも責任があるのだろう? その点に関しては俺の咎だ。ケイの言葉にまんまと踊らされ、その真実を見抜くことができなかった。不甲斐ない俺の罪だ。俺も間違っていたんだ。ちゃんと自分の物には名前を書いておかねばな? それが誰の物かと記しておかねば、モノ自体が勘違いをしてしまう。自分には自由があるなどと、つまらないことを」
「あ……れく……」
「愛しているよ、ケイ」
「アレ……ぎゃあああああああ」
腰に激痛が走った。
人間には生存本能があり、極度の痛覚を与えられた時、人はその痛みから逃れようと意識を手放すようだ。
プツリと圭の意識はそこで途切れていた。
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