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第7章:結婚編 第1話

「あいだだだだっ! いっでぇええええええええ!!」  下半身がガクガクと震える。つま先が痛い。壁際に備え付けられている掴まり立ち用のバーを握ったまま動けずにいた。 「ケイ様、そんな様子じゃあ、式までに間に合いませんよ?」 「そ、そんなこと言ったってぇ……」  かれこれもう1時間近くこうして格闘している。  圭が戦っているのは、人ではない。物だった。更に詳しく述べるのであれば靴である。  ただの靴なら圭もそこまで泣き言は言わない。その靴が特殊だったからだ。  圭の足元にはクリスタルで作られた透明なハイヒール。  ただし、一般的なヒールの高さではない。履けばほぼ垂直になろうかと言わんばかりの角度である。もはやバレリーナの域に到達している。 「こんなん履けるのレディー・ガガくらいだよー」 「ガガ? とは?」 「超人気の歌姫ー! あいたぁー!! もう、ギブ! ギブギブ~!!」  何度かバーから手を離そうとチャレンジしてみたが、その度にバランスを崩して倒れそうになり、指導するユルゲンに助けられていた。  しかし、今回ばかりは救助の手が間に合わず、その場に尻もちをついてしまう。 「無理だー! 無理無理無理ゲー!!」  あまりの疲労感から心が折れる。その場に大の字になった。ハイヒールを履いたままの脚を天井へと上げる。キラキラと窓から差し込む光を受けて輝いていた。こうして見ていると本当に綺麗なのに、ここまで凶悪なヒールを持っていると憎たらしくさえ見えてくる。 「もー! 何でこんなん発注したんだよー!」 「仕方がないでしょう。ケイ様と陛下では身長差がありすぎます。これくらいは盛らないと並んだ時に見栄えというものがしないんですから」 「でもさー、物には限度ってもんがあるじゃんかよー」 「だから限界ギリギリで作ってあるでしょう」 「絶対限界越えてるって!」  ズシリと重たい靴を履くだけでも負担は大きいというのに、この靴を履けるようになるだけでなく、歩き方の練習までしろというのだ。その先には、この靴のままで社交ダンスを踊れるようになれとまで言ってくる始末。それも、たったのひと月間で。  それに加えて来賓への立ち居振る舞いの所作や会食の際のマナー講習まで。やるべきことは山積みだ。時間は全く足りていない。 「そんなに身長差のことばっかり言うなら、厚底の靴でも履けば良いじゃん。どーせスカートで中なんて見えないんだし」  圭の脳内では花魁道中の華やかな場面が浮かぶ。それはそれで名案ではないかと思えてきた。 「そんなみっともない真似できるはずがないでしょう。皇后が履くクリスタルのヒールは式典において花冠の次に大切なものとされ、伝統とされているんですから」  圭の文句にもユルゲンは全く引く気はない。日本の伝統を否定されたような気がして地味にショックを受ける。しかし国が違えば文化も異なる。世界まるごと違うのだから、その価値観は仕方がない。 「でも一回休憩入れよう? 見てよ、俺の足先真っ赤だよ」  無理が祟って足の指先がジンジンと痛む。まだ特訓は始まったばかりだと言うのに先が思いやられた。 「仕方ありませんね。あまり無理をさせては私が陛下に睨まれますし」  ウンウンと何度も力強く頷いた。こういう時、最高権力者が背後にいるというのは心強い。  パンパンとユルゲンが手を叩いた。すると、レッスン場の扉が開き、ワゴンを押したメイドが一人入って来た。 「ケイ様、お茶の時間ですわ」 「ユリア! ありがとう」  入室してきた女性の声を聞き、圭がガバリと勢い良く上半身を起こした。満面の笑みを浮かべるユリアの顔を見て圭の方もニカッと歯を見せて笑う。  ユリアは以前、圭と口をきいたという理由だけでクビになった使用人だった。その後、家庭の事情もあって娼館で働くようになり、圭を陥れようとした過去を持つ。  圭はこの世界に戻って来てからすぐアレクにユリアの復職を懇願した。自分のせいで不幸になった人を見過ごす訳にはいかなかった。  更に彼女の家庭の事情を考慮し、少なくはない見舞い金を用意するように頼み込んだ。最初は渋っていたアレクであったが、圭の真剣な表情にほだされ、その願いを聞き入れた。  戻って来たユリアはすぐに圭へと謝罪に訪れた。ボロボロと泣きながら謝り倒すユリアに対し、元を辿れば悪いのは自分たちだからと言って逆に頭を下げた。  それからというもの、ユリアとの付き合いは良好だ。元々、社交的で明るい女性である。話していて気持ちが良い。それに、他の使用人よりも圭に尽くしてくれる。  アレクもユリアの様子を見て、改心したことを認めたようだ。圭の傍仕えの一人に指名してくれた。 「陛下とケイ様の婚姻の儀まで、もうひと月を切りましたわね。城下はもっぱらその噂で持ち切りですわよ」 「う……気が重い……」  ウキウキとした様子でティーカップに茶を注ぐユリアに対し、圭はと言えば肩を落としている。ユリアが不思議そうな顔をしながらカップを圭へと手渡した。 「まあ、いかがなさいました? 巷に聞くマリッジブルーというやつでしょうか」 「だぁってさぁ、楽しみな要素なんて何もねーもん。まず、女装だろ? それに各国からの来賓の相手。そもそも、俺みたいなのが大国のお妃様ってのが無茶苦茶じゃないかなーって」 「ケイはまたそんなつまらない事ばかり言っているのか」 「アレク!?」  ここにいるはずのない人物の声がして扉へと振り返った。呆れた顔をしたアレクがレッスン場へと入室してくる。ユリアとユルゲンはアレクへと向かって深々と頭を垂れていた。 「もうそれは解決したことだろうが。ケイも認めたことだろう?」 「うん、まあ、そうなんだけどぉ……」  煮え切らない返事をしたまま茶を啜って誤魔化した。  女装というのは、保守派である一部の貴族たちの反発を受けての苦肉の策だった。アレクが圭以外を娶る気は一切なく、側室すらも持たないと宣言。その相手が男ということで議論が紛糾した。 「まったく、いざとなれば圭でも子くらいなせるというのに。関係のない外野がうるさいったらない」  ユリアからカップを受け取り、アレクが眉間に皺を寄せながら苦々し気に呟いた。  どうやら、アレクの力を使えば圭の体内に子宮を作り、子をなすことくらいはできるらしい。しかし、その話を聞いた時、体の中を作り変えられるということに恐怖を抱き、可能ならばできる限り遠慮したかった。  そして、そのことを最も嫌がったのはアレク自身であった。アレク曰く「子供なんて作って圭を取られるのが我慢ならない」とのこと。アレクらしい言い分に聞いた時は少し笑ってしまった。  つまり、世継ぎに関してだけを言えば、問題と呼べる程のハードルはない。  ただ、シルヴァリアという大国が持つ伝統と歴史の中で男の皇后というのは前例がなく、すぐに法を変えるというのはアレクをもってしても難しかったようだ。  その策として考案されたのが圭の女装であった。  くしくも淳一のせいで女装には耐性ができてしまっていた。女顔ということもあり、皇后の座についても出来る限り公の場に出ないよう配慮するとの言質をとった上で了承した。  ただし、年に数回は必ず出席しなければならない公務というのがあるらしい。それに関しては仕方がないので臨席するということで納得をした。 「あー……そうだ……花冠……あれも作らなきゃだ……」 「花冠? 子供でも作れるのだから、そう難しいものでもないだろう」 「俺の不器用さ舐めんなよ? 高倉健もびっくりする程の不器用さだからな?」 「タカクラケン?」 「あー、気にしなくて良い。俺の国の、ミスター不器用ってだけだから」  雑に手を振ってその場を濁す。アレクの顔に不機嫌さがにじみ出ていたのを見て、危ない危ないと冷や汗をかいた。 「一応、一回作ってはみたけど、ユルに超ダメ出しされた」 「当然です。あんなみっともない物、陛下の頭上になど乗せられません」 「な? 厳しいんだって」  キッパリと言い切ったユルゲンを指さし、圭は不服の表情を作る。アレクとユリアがプッと吹き出した。場が和んだことに圭はホッと安堵の息を吐いた。 「でも、アレクもずっと忙しそうだよな」 「婚姻の儀を控えているからな。それなりにやる事は多い」 「お互い様ってやつだなー」  茶と一緒に出された焼き菓子を齧りながら天井を仰ぎ見た。やる事は多いが、その分だけ余計な事を考えずに済むのはありがたい。 「アレクもあんまり根詰めんなよ? 式の前に倒れても知らねーから」 「俺が体力に自信があるのはケイがよく知っているだろう?」  アレクが圭の頭を引き寄せる。そして、こめかみに唇を寄せた。  唇ではないにしても、人前でキスされたことに圭は顔を真っ赤にさせる。 「あ、アレク! こういうのは、二人きりの時じゃなきゃダメだって!」 「式では口づけくらいするのだから、これも予行練習だ」  ハハハと笑いながらアレクが足早にレッスン場を去って行く。微笑ましい笑顔でユリアから見つめられ、羞恥で顔を染めたまま残りの茶を飲み干した。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  独特の目覚め方。この起き方には覚えがある。身を横たえていたのは、大切な人と会う場所に設置されているソファの上。 『ケイ、起きたかい?』 「良かった! マリアに会えた!!」  ガバリと上半身を起こす。そして手にしていた封筒を確認してガッツポーズを作った。 「おっしゃー! 計画通りー!!」 『計画?』 「いつマリアに会っても良いように、ずっと枕の下にコレ入れといたんだ」  不思議そうな顔をするマリアを前に、圭は居住まいを正す。封筒を開き、中から二つ折りにしていたカードを取り出した。 「拝啓、マリア様。貴方様をシルヴァリア帝国、第126代皇帝、アレクサンダー・フォン・トイテンヴェルグの婚姻の儀に招待する。……はい、これマリアの招待状ね!」 『我への……招待状?』 「うん! 俺とアレクの結婚式の! マリアには絶対来てほしいから、一番最前列の特等席用意してるから!」  カードを封筒の中へと戻して手渡した。マリアはしばらく封筒を眺めていたが、その表情は明るくない。 「マリア? どうしたの?」 『……ありがとう、ケイ。行けたら行こう』 「あー! それ、大阪人の絶対行かないやつ! いっちばん良い席用意してるから! 結婚式でそこ空くの、超々恥ずかしいくらいのとこ! ……俺、呼べる家族なんて誰もいないし。俺の方の席だけ全然知らない奴ばっかって、さすがに寂しいじゃん? だから来てよ。俺、待ってるから」  封筒を握るマリアの手を上から握り締めた。強く。思いを伝えるように。心を込めて。 『我を……ケイの家族としてくれるのかい?』 「当たり前じゃん! マリアは俺のかーちゃんで、ねーちゃんで、……誰にも代えられないとっても大切な人だよ」 『分かった。善処しよう』 「楽しみにしてるからね?」 『ああ、新作のうちわを作らねばな』 「いや、それはマジいらない。結婚式だから。ファンミじゃないから」  スンッとした顔をしながら指で×印を作る。それからしばらく2人で茶を飲みながら推し活談義に花を咲かせるのであった。
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