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第7章:結婚編 第2話

 もうどのくらいの時間、顔をいじられているだろうか。腹を締め付けるコルセットが息苦しい。女性というのはこんなにも大変な思いをしているのかと考えるだけで頭が下がるし、今後、これが正装を求められる度に身に付けさせられるのかと恐怖すら感じる。この辺りに関してはこれから議論の余地はあるだろう。今日ばかりは受け入れるが、毎度させられるなんて耐えられない。 「はい、ケイ様、できましたよ」 「うへー、やぁっと終わった~……」  髪の毛を触ろうとして怒られる。ヘアセットが崩れるからだ。  今、圭の髪の毛は普段よりも20センチほど魔法によって伸ばされ、結われている。自分では見えないからどうなっているのかよく分からないが、アップにされた後、色々な物で装飾されているような気配があったことだけは覚えている。  そして、そこから始まったメイク地獄。何だかよく分からない物を塗りたくられ、もう始まる前から疲れていた。 「ケイ様、手鏡をどうぞ」 「サンキュー」  ユリアから鏡を渡され、ワクワクしながら覗き込んだ。 「…………………誰?」  鏡の中には、見たこともない美女の姿があった。可愛らしさを残しながらも妖艶な美貌も併せ持つ女性が目をまん丸くさせながら圭を凝視している。 「ねえ、知らない人が見えるんだけど、これって何か魔法の鏡か何か?」 「いやだわ、ケイ様ったら。そんな訳ないじゃないですか」 「いやいやいやいや、でも、そしたら、これ、俺ってことになっちゃうけど!?」 「国一番のメイクアップアーティストを呼んでおりますので。当然の仕上がりでしょう」  ユルゲンが手元の資料を確認しながら眼鏡のブリッジを持ち上げた。周囲の様子を見渡しながら、再び鏡の中へと視線を移す。  圭の母親によく似た美しい女性の顔が映っている。母を若くしておもいっきりメイクを施したらこうなる気もする。以前、父の惚気話と共に昔の写真を見せてもらったことがあるが、その時に映っていた美少女の姿に面影があった。母はクラスの中でも一番可愛く、穏やかで気配りのできる性格から人気があったらしい。そんな母をどうして父が射止められたのかは謎だが。 「……あ、分かった! 魔法か何か使ったんだよね」 「いいえ、私にはそのような力はございません。あるのはヘアメイクに関する技術のみですよ」  メイクを施してくれた男性がクスクスと笑いながら道具を片付けていく。 「はぁ~……俺のポテンシャルすっげぇ……。じゃ、なくて! ありがとうございました!」  ビシッと腰の角度を90度まで曲げてお辞儀をする。男性はギョッとした顔をした後、すぐに慌てて圭へと姿勢を正させる。 「此度の皇后様は、何と申しますか……とても愛くるしい方でございますね」 「そうでしょう。私も苦労しております」  クスクスと控え目に笑いながら言われた言葉。ユルゲンは盛大な溜め息を吐き出した。 「……やっぱ俺っておかしい? 合ってないよなぁ、皇后なんて大役……」 「いえ、そんなことございませんよ? 今までの方にない魅力を持った御方だと思いましてお伝えしたまでです。御気分を損なわれましたら申し訳ありません」 「あ、いや、全然責めてる訳じゃなくて……」  深々と頭を下げられ、今度は圭が慌てる番だった。すると、ユルゲンがパンパンと手を叩く。 「あまり時間はございませんから。支度を急ぎましょう」  そして用意されていた純白のドレスに身を包む。皇族に代々伝わっているドレスらしい。胸元の装飾や生地の光沢など、一つ一つ意匠を凝らした出来である。 「うーん、なんかもうドレスに着られてる感がすげぇ……」 「そんなことはありませんわ! ケイ様のお美しさをしっかりと引き立たせてらっしゃいます」  ユリアに手を引かれて姿見の前まで移動する。確かに絶世の美女が美しいドレスを纏っている姿があった。まるで、おとぎ話に出てくるお姫様のようだ。  やっぱり自分である気がしなくて、ついつい「アイーン」とお決まりのポーズを取りながら変顔をしてしまう。鏡の中の女性がおかしなポーズをとるのが面白くて、次は江頭2:50をしようかサンシャイン池崎をしようか、はたまた小島よしおかと考えていると、左肩に手を置かれた。 「ケイ様……皇后になられるという自覚がまだ少々足りないようですね」  顔中に青筋を浮かべたユルゲンが圭の肩へと爪を立ててきた。そのあまりの形相にすくみ上がる。 「ごめんなちゃい……」 「ああ、ほら、もうこんなお時間です。参りますよ」  ユルゲンは腰に付けた懐中時計を確認し、苦々し気に踵を返した。ユリアが圭のドレスの裾を持つ。長すぎて引きずってしまうためだ。 「あっ! 待って!!」  部屋を出ようとした瞬間、忘れ物に気づく。寝室へと戻り、ウサ太郎の前にひざまずいた。 「ウサ太郎、今日はコレ貸してもらうな?」  ウサ太郎の頭上に乗せていた花冠を手に取った。そして、ぬいぐるみの頭を撫でる。  本来ならば、式で使う花冠を2つ作るのが新婦側の習わしらしい。しかし、あえて圭は1つに留めた。もうアレクからは貰っているのだからと理由を付けて。  自分で作った花冠と並べて持ち、どちらも不格好で思わず笑ってしまう。何度も作り直したが上手くいかず、一昨日、圭の不器用さに呆れ果てたユルゲンがやっと及第点を出したのが今手元にある花冠だった。  一国の……しかも世界随一の大国の皇帝陛下が被るにはあまりにも稚拙だろう。しかし、これが今の圭の精一杯だった。不格好ながらも、等身大の自分を見ているようで何だか微笑ましい気持ちになってくる。 「じゃあ、これ。お願いします」  ユルゲンに手渡すと恭しく受け取った。まさか祭りの日に買った花冠が一国の皇帝の頭上に乗るなど、あの時出会った少女は思いもしないだろう。  きっともう会うこともないだろうし、この事実を知る者はこの世に圭とアレク、ユルゲンの3人しか存在しないが。 「おっしゃあ! 初の公務、やってやろーじゃんかぁ!」  ガッツポーズを決める。背後から恐ろしい気配を感じて振り返った。般若の面を被ったような顔をしているユルゲンと視線が合う。この世のものとは思えない鬼の形相に身を縮こまらせる。 「ごめんなしゃぁい……」  シュンとしながらトボトボと廊下を歩いて行く。ふと思い付き、横に並ぶユルゲンへと視線を向けた。 「ねえ、俺の頼んだ席、もう来てた?」 「いえ、そんな話は聞いておりませんが」 「そっか……」  ガッカリと肩を落とした。マリアのためにと貴賓室も用意してもらっていた。できうる限りのもてなしで迎えたかったのだが、来ていないのであれば仕方がない。  ダメ元だったのだ。神であるマリアと人間である圭が本当に触れ合うことなどできないということだろう。  マリアも言っていた。極力、人間の世界には干渉をしないと。 (ダメだ、我が儘は! 俺の都合だけで物事を考えちゃダメ!!)  ブンブンと頭を振った。自分に何度も言い聞かせて分かった振りをしていても、心の奥底で落胆してしまっている。自己中心的な考えしかできない自分が情けない。  ユルゲンやユリアが恭しく頭を垂れた。その方向へと振り向く。ハッとした。  白を基調とした式典服は、普段の軍服よりも一段と厳かで彼を神々しく彩っていた。普段よりもかっちりと髪をセットし、胸元などを飾る装飾もいつもより多い。  アレクは圭と目が合った瞬間、動きを止めた。そして盛大に顔を顰める。ツカツカと大股で歩いて来ると、圭の手首を取ってユルゲンへと顔を向けた。 「式は中止とする」 「ええっ!?」  もう婚姻の儀を行う大聖堂の扉の前だ。きちんと正装までしてここまで来ておきながら中断させるということは、よほど圭の格好が気にくわなかったのだろうか。  鏡で見た時にはそんなにおかしなところはないと思っていただけにショックだった。  やはり、アレクも内心では男の伴侶など嫌だと思っていたのかもしれない。本来であればアレクはいくらでも選べる立場なのだ。わざわざ男である圭と寄り添う必要性などない。  そう考えると、どんどん悲しくなってきた。  マリアが来てくれなかったのも、本当はこんな婚姻などバカバカしいと思っていたのかもしれない。マリアはいつでも圭に対して優しかったから、本音ではそう感じていながらもそんな素振りを見せていなかっただけなのではないか。  考えれば考える程、全てを悪い方向へと思考が進んでしまう。どうして舞い上がってしまっていたのだろう。ちょっと考えれば分かることなのに。  じんわりと涙が浮かんできた。分不相応な存在にも関わらず、この場にいるのが恥ずかしくなってくる。  踵を返して走り去ろうとするも、手首を掴んだアレクが離してくれない。 「ケイ、どこへ行く」 「……だって、嫌なんだろ? 俺と……結婚……するの……」 「はぁ?」  口にしたら、より一層涙が込み上げてくる。目の淵に溜まった雫を見られるのが嫌で俯いた。 「陛下……差し出がましいようですが、ケイ様は誤解をされていらっしゃるようですが」 「誤解だと?」  不機嫌なアレクの声が近くから聞こえてくる。俯いているため圭には自分の足元しか見えない。美しい光沢の白いドレス。どう考えたって自分には不釣り合いなまでの豪奢な代物だ。  鏡で見た時には浮かれていて気付いていなかったが、もしかしたら周囲からは想像以上に似合っていなかったのかもしれない。しかし、アレクの手前、言えなかっただけなのではなかろうか。アレクの選んだ者を否定するということは不敬に当たるかもしれないから。 「もう良いよ! 俺の我が儘に付き合わせて悪かったってば!」 「我が儘? ケイ、何を言っているのだ」 「だって……だって……」  それ以上、言葉を紡げなかった。自分がみじめでちっぽけでつまらない存在であるということを認めてしまえば、ここにいられなくなってしまう気がしたから。 「……陛下、きちんとおっしゃってください。そうでないと、ケイ様はこのまま拗ねてどこかに閉じこもってしまわれますよ?」 「それは困る」  ギュッと背後から力強い腕に抱き締められた。彼特有の爽やかな香り。今は嗅いでいるのが少しツラい。 「アレク、離してよ」 「なぜだ?」 「だって、恥ずかしくなったんだろ? 俺と一緒にいるの」 「…………………どうしてそうなる」  深い溜め息が耳元で聞こえる。心がズキズキと痛かった。思わず胸元を押さえる。 「他の者に見せたくないからに決まっているだろうが」 「え?」  思ってもない言葉に、首だけで背後を振り向いた。  顔を真っ赤にさせた美丈夫が困ったように眉間に皺を寄せていた。 「こんな美しいケイを見せてしまって、懸想をする者が出たらどうする。……いや、いるに決まってるだろう」 「ん、んんんん~?」  アレクの呟きに今度は圭が赤面する番だった。 「チッ、しくじった。こうなることを予想してなかったのは俺の落ち度だ。浮かれ過ぎていた」  心の底から後悔しているような声音を出すアレクに思わず吹き出してしまう。 「プッ! 何だよそれぇ」 「笑いごとではないぞ! ……いや、俺だって着飾ったケイが美しいだろうことは重々承知していた。ただ、見たいという欲の方が勝ってしまった。ここまで人心を掌握する見目になるなんて想定外だ!」  ギリギリと奥歯を鳴らすアレクは本当に悔しそうに見えた。圭の中でわだかまっていた汚泥のような醜い感情が一気に浄化される。 「お二方、もう惚気るのはそこまでにしていただいてよろしいですか?」  呆れたようにユルゲンが苦言を呈する。その言葉に、渋々といった表情でアレクは圭を抱いていた腕を解いた。  真正面から向き合う。頭の先からつま先に至るまで一分の隙も見当たらない。本当に完璧なまでの美貌を持つ男性がいる。  この人がこれから己の伴侶になるのだと思うと胸の中がウズウズする。こそばゆい気持ちにニヤニヤとみっともなく口角が上がってしまう。  見つめ合っていたアレクがガクリとその場に膝をついた。突然くずおれた男に今度はギョッとする。 「あ、アレク!?」 「ダメだ……直視ができない……」  両手で顔を覆い、うずくまっている。耳まで真っ赤に染めていた。こんなアレク見たことがない。  こういう時はどうしたら良いか。逡巡する。  そして一つの考えが閃いた。 「アレク、アレク!」  アレクの前にしゃがみ込んで肩を叩いた。赤面した美丈夫が顔を上げる。 「必殺! 変な顔~」  両手で頬を挟み、タコのように唇を尖らせる。白目を剥いてベロベロと舌を出せば、プッと吹き出すアレクの声がした。 「ひどいな、絶世の美女が台無しだ」 「ウケた? じゃあね、次は~」 「ケイ様?」  地を這うような声が聞こえてきた。顔面を蒼白にしながら背後を振り返る。  今日、何度目かのユルゲンの鬼の顔に「ヒェッ」と細い声が出る。 「ユルゲン、我が伴侶を萎縮させるとは何事だ」 「た、大変申し訳ございません」  アレクの怒気を孕んだ声に90度のお辞儀をするユルゲンを見て、圭は頬を膨らませた。 「ダメだよ、ユルは俺たちのことを思って怒ってくれてるんだから、ちゃんと受け入れなきゃ」  アレクの眉間に寄っていた皺を人差し指でグリグリと押した。アレクは一つ溜め息を吐くと、穏やかな顔で笑う。 「ケイは相変わらず懐が広いな」 「怒られる内が華だよ? ちゃんと周りの助言は素直に聞かなきゃ」  圭は自らの唇の端に人差し指を添える。左右へと引っ張った。口角が上がる。  笑顔を作ると楽しい気分になってくる。以前、姉が言っていた。ツラい時、無理矢理にでも笑顔を作れば脳が「楽しい」と錯覚して気分が向上するのだと。  先程までの憂鬱な気分が嘘のようになくなってきた。アレクへと手を伸ばす。圭の意図を察してか、蕩けるような笑みを浮かべながらアレクが差し出した手を握った。  二人で立ち上がる。見つめ合って赤面していた気持ちが少し落ち着いた。 「ケイ様、それでは、こちらを」 「おう!」  紫色のクッションのような物の上に恭しく鎮座しているクリスタルの靴を目にして、ゴクリと生唾を飲み込んだ。  この1か月間、眼前の敵とは死闘を繰り広げてきた。今、その成果が問われる時が来たのだ。  ユルゲンが圭の前に靴を置いた。それまで履いていた靴を脱ぎ、ユルゲンの肩に手を置きながらクリスタルへと足先を入れる。 「ケイ、大丈夫か?」 「任せろって。コツは掴んだ」  両足とも履き替え、スッと背筋を伸ばす。そんな圭の姿を見て、アレクが目を見開いた。 「おお、随分と立派に見える」 「だろ? まあ、スカートの中は脚ガックガクなんだけどな? 見えなきゃ正義だから!」  猛特訓の末、何とか平静を装いながら歩けるまでには訓練した。ダンスまでは流石に辿り着かなかったが。 「じゃあ行こうぜ、旦那様」 「仰せのままに。愛しいお妃様」  歯を見せながらニカッと笑う。優しい笑みを湛えたアレクが圭へと肘を出した。その腕に手を掛ける。  盛大なファンファーレの音が聞こえてきた。目の前の高い扉が開かれる。  中には、大勢の参列者が座っていた。圭たちの姿を見ると、ホゥッと溜め息のようなものが聞こえてくる。  アレクの歩みに合わせながら一歩一歩、ゆっくりとまっすぐに敷かれた緋色の絨毯の上を歩いて行く。周囲から浴びる羨望の眼差し。頬を染めながら凝視してくる者も多い。 (ま、今日のアレクはいつも以上にカッコ良いしな。気持ちは分かるぞ)  ウンウンと頷きながら慎重に歩いていると、出席者とは違う眼差しを感じて横を向いた。アレクが頬を染めて笑んでいる。その幸せそうな顔につられ、圭もアレクへとほほ笑んだ。  視線を前方へと戻す。圭の歩いている先、その一番前の席は空席となっていた。  分かってはいた。来ていないと聞いていたのだから。  それでも見てしまえばガッカリしている自分がいる。  仕方がないことだ。そう考えて割り切ろうと努力した。  神父の前まで歩み寄り、二人で一礼する。 「ここに、第126代皇帝、アレクサンダー・フォン・トイテンヴェルグとその妻、ケイ・フォン・トイテンヴェルグの式を開催する」  神父の厳かで力強い声が大聖堂中に響き渡った。シンと水を打ったように静まり返る。神父による聖書の朗読が始まった。言っている内容はよく分からないが、きっとこの世界では馴染みのある文言なのだろう。隣に並ぶアレクと同様に神妙な顔を作りながら頭を垂れる。  すると、バタンと圭たちの入って来た扉が開く音がした。背後を振り返る。圭は目を大きく見開いた。 「マリア……」  長いウェーブがかった髪を揺らし、自信に満ち溢れた態度でマリアが緋色の絨毯を歩いて来る。 「マリア!!」  体の奥底から込み上げてくるものがあった。目の奥が熱くなる。  我慢できずにクリスタルの靴を脱ぎ、スカートの裾を持ち上げながら走り出した。マリアの前に辿り着くと、思い切り抱き付いた。 「ばかぁ! おっそいよぉ!!」 「フフッ、主役は遅れて登場するものだろう?」 「今日の主役はこっちだってば!」  ギュッと強く抱き締める。マリア特有の優しく甘い花の香りに包まれ安堵した。 「わっ!」  マリアが圭を横抱きにする。唐突に持ち上げられ、バランスを保とうとマリアの首へと腕を回した。 「随分と愛らしくされたな」 「えへへ、俺も見てびっくりした」  圭を抱きながらマリアはアレクの方へと向かって歩みを進める。そして圭が元いた場所まで戻って来ると、その場に下ろしてくれた。 「では、ここから先は我がこの場を取り仕切ろう」 「な、何者ですか! 私を誰だと思って……」 「人間風情が我に指図するでないわ」  呆然としていた神父であったが、マリアに一蹴されその場を追いやられる。  マリアはグルリと大聖堂の中を見回した。そして鷹揚に笑むと、両手を上へと大きく伸ばした。 「これより、我、マリアンネ・フォン・スピラが式を執り行う」 「マリアンネ……?」 「え、それって……」 「創造神様と同じ名前だと……?」  一気に会場がザワザワとどよめき出した。隣にいるアレクを窺い見ると、その目は驚愕で大きく見開かれている。 「静粛に!!」  マリアの大きな声が大聖堂中に響き渡った。そして訪れる静寂。 「この世界のやり方にのっとって行っても良いが、それだけではケイがつまらないだろう? ここからは織り交ぜながら進めていくとしよう」  マリアは主祭壇に置かれていた分厚い聖書を閉じた。そして圭たちへと視線を向ける。 「新郎、アレクサンダー・フォン・トイテンヴェルグ。汝は新婦、ケイ・アダチを妻とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り心を尽くすことを誓うかい?」  マリアの視線がアレクへと向けられる。アレクは未だ驚いた表情を崩していなかったが、圭が肘を小突いたことで我に返った。 「誓います」 「では、次に新婦、ケイ・アダチ。汝は新郎、アレクサンダー・フォン・トイテンヴェルグを夫とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り心を尽くすことを誓えるかい?」 「誓います」  マリアに向けて一礼する。満足気な微笑みを湛えるマリアは圭がいつも夢で見ていた時よりも威厳があり、その存在感に圧倒される。 「それでは、花冠の交換に移ろう」  傍で待機していたユルゲンが花冠を圭たちに手渡してきた。  この国では、指輪の交換の代わりに花冠がその役目を果たす。アレクの前へと膝をついた。圭の頭上に花冠が乗せられる。そして今度はアレクが膝をつき、圭がアレクの頭に花冠を置いた。 「えっ……」  乗せた瞬間、周囲がキラキラと輝き出す。上を向けば、天井からヒラヒラと光る花びらが圭たちの元へと降っていた。 「アレク、この花冠って、こんな仕掛けあるの?」 「そんなはずなかろう。これにそんな力はない」  驚いた表情を浮かべるアレクと共に、マリアの方へと視線を向けた。マリアはゆったりと余裕の笑みを湛えたまま圭たちを見つめていた。 「なんと神々しい……」 「よもや、皇后様は神の遣いであったか……」  ざわざわと大聖堂内が再びどよめいた。何だか身に余るような分不相応な声まで聞こえてくる。 「アレク……なんか、すっごく……俺、みんなに勘違いされてるような気がしてならないんだけど……」 「すまない。少し俺も状況を理解しきれていない」  戸惑った表情で圭を見下ろしてくるアレクに助け舟は難しそうだと判断する。そして今度はマリアへと助けを求めた。 「ええい、静粛にせぬか、人の子らよ! 騒々しいぞ!」  珍しく少しキレ気味のマリアに息を飲んだ。マリアの怒声混じりの大声が響き渡る。再び大聖堂内に静けさが戻った。 「では、これより婚姻の儀において最も大切な儀式へと移る」  マリアのハッキリとした通る声。次の式次第はと思い返していると、マリアがおもむろにうちわとペンライトを取り出した。うちわの表面には「アレ圭 チューして」と派手な装飾と共に書かれている。 「ま、まままままりあ!?」 「ちゅーう、ちゅーう」  マリアが会衆席には聞こえない程度の声でペンとうちわを振りながら催促してくる。 「ケイ、あの紙には何と書かれているのだ?」  不思議そうに尋ねてくるアレクの声。日本語で書かれている文字はアレクたちには読むことができない。 「えっと、あの、あ、あれはぁ……」 「ちゅーう、ちゅーう」 「もう! マリア、地味にうるさい! 分かったよ、するから!!」  自棄になる。アレクの首を引き寄せ、ムードもへったくれもないキスをした。  強引に触れるだけのキスをして顔を離す。アレクは呆然としていたが、ゆっくりと一つ瞬きをすると、次の瞬間にはいつもの不敵な笑みを浮かべる。 「違うだろう? キスは、こうだ」 「んっ」  再び重なる唇。いつものように舌が入り込んでくる。当然だとばかりに舌同士は絡まり合う。 「んっ……」  感じる場所ばかりを舌で愛撫され、人前だということも忘れて夢中になった。静かな空間に口内から漏れる水音が響く。  やっと離された時には頭の中がボンヤリとしていた。激しい口づけの後にはいつもこうだ。相手のことしか考えられなくなる。 「アレク……」  トロリとした目で相手を見る。満足気な顔をしながら圭の額に唇を寄せてきた。 「ここでこれ以上するには、さすがにギャラリーが多すぎる。ケイの淫らな顔を見て良いのは俺だけだからな」  額同士をコツリと合わせ、幸せそうに囁いたアレクの言葉に今度は顔面蒼白となった。  会衆席を見れば、うっとりと見惚れている参列者たち。羞恥でプルプルと身を震わせたまま今度はマリアの方へと顔を向ける。ウンウンと何度も頷きながらうちわをひっくり返した。そこには「アレ圭 祝・結婚」と書かれている。  もう羞恥で顔を上げられない。穴があったら入りたいとは、この事だ。 「マリアンネ・フォン・スピラの名のもとに、アレクサンダー・フォン・トイテンヴェルグとケイ・アダチの婚姻をここに認める!」  盛大な拍手が贈られる。温かい眼差しを浴びながらアレクを見上げた。 「後でケイにはいろいろと聞くことがありそうだ」 「んー、話せることだけね。俺もよく分かんないこといっぱいだし」  どちらからともなく手を絡め合う。温かい感触に自然と笑みが零れた。 「アレク、大好きだよ」 「愛してる、ケイ」  胸の内から込み上げる温かい感情。何にも代えがたいこの想いをどう表現したら良いかなんて分からない。  アレクの顔が近づいてきた。目を閉じる。触れた唇はとても柔らかく、温かかった。
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