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番外編アツメターノ④ 圭過去編:バレンタイン

「圭~、なあ、チョコくれよ~」 「だ、か、ら、何で俺なんだよ!」  塾が終わり、家に帰ろうとしていたところ、幼馴染に背後からハグされ、その腕の中で藻掻いた。同級生の大半は圭よりも身長が高い。それに力も強く、なかなか抜け出せない。 「俺、今年誰っからも貰ってねーんだよぉ~」 「んなの俺も変わんねーってば」  しばらく暴れ回っていたが、拘束は解けない。諦めの境地に入り始め、あがくのをやめた。そうでなくとも学校が終わってから塾に来ているため、疲れ果てていた。 「わーかったって。じゃあ、買ってやるから!」  渋々ながら承諾すれば、背後にいた友人は大はしゃぎしながら腕を離してくれた。スマホを開き、電子マネーの残高を確認する。380円の表示。今月は塾の前に買い食いなどをし過ぎてしまった。わびしい金額に一つ溜め息を吐いた。  友人と共に雑談をしながら塾を出て、近くのコンビニに立ち寄った。レジ近くの菓子棚でチロルチョコを一つ手に取る。会計を済ませてすぐに店を出た。 「ほら、チョコ」 「ええ~、チロルチョコかよ~! しかも1個って、お前な~」 「貰えるだけありがたいと思えよ!」  大仰に嫌そうな顔をする友人にカチンときた。だったら返せとチロルチョコを奪おうとするも、咄嗟に腕を上げられて圭の腕が空振る。 「おい、ずっけーぞ!」  ピョンピョンとその場でジャンプを繰り返す。身長差が20センチもあると、そう簡単には届かない。  何度か飛び跳ねたものの、相手が腕を下ろす気配がない。諦めて跳躍をやめた。  代わりとばかりにがら空きの脇腹をくすぐる。 「ちょ、圭、お前、ずっけーぞ」 「ずりーのはどっちだよ」  友人はすぐに腕を下ろしたが、チョコを持っている手は硬く握られたままだ。  いくら残高が少ないとはいえ、チロルチョコ1つ程度の金額で目くじらを立てる程ではない。無駄に2人ではしゃいで疲れたため、やめることにした。 「ホワイトデー、よろしくな!」 「おいおい、こんなんでお返し要求とか、さすがに欲深すぎねぇ?」 「3倍返しだ」 「しかも3倍!?」 「別に100倍でも良い」 「おかしいだろ!!」 「うっせー。チョコ1つも貰えない可哀想なダチに恵んでやったんだから、当然の対価だろ」 「圭、ヤベェ女の思考みたいになってんぞ」  コンビニから歩き、駅の方向へと向かう。途中にあった自販機で友人がホットココアを買ってくれた。それだけでもう元を取れた気分になる。 「でも、ちゃんとお返しはやるから、春休みも遊ぼうぜ。受験も終わるし、パーッとさ」 「良いね~! ナオとかも誘って卒業旅行しようぜ!」 「んじゃ、ライン送っとくわ」  友人はスマホを取り出し、圭がプレゼントしたチロルチョコを撮影する。圭込みで。 「何してんの?」 「ナオに送る」 「はあ? やめろよ! ぜってーあいつもくれって言うじゃんかよー」  ご機嫌な友人は圭の言うことなど聞かずに画像を共通のグループラインへと送信した。間髪入れずにトーク画面上で「ズルい」コールが巻き起こる。その返信に対しても煽るようなやり取りをしているのだから呆れてしまう。 「あんまりナオ煽んなよ? 俺、もう今月小遣いほとんどねーし」 「はいはーい」  返事だけは軽い。さすが自分の友達だと溜め息を吐いた。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 「ただいま~」  帰宅すると、愛犬のチビが盛大に尻尾を振りながら突進してきた。玄関で圭へとぶつかってくる。柴犬のチビは小さいが、勢い付けて走って来られるとそれなりに衝撃はある。 「圭ちゃん、お帰りなさい~」  母が台所から顔を出した。チビを抱え上げて顔を舐められていた圭は愛犬を母親へと手渡す。 「甘い匂いする」 「んふふ、今年はね~、チョコケーキにしたのよぉ?」 「やった」  チビを手渡された母はチュッチュッと愛犬へとキスをしながらフニャリと笑った。それにつられるように圭も顔を緩める。  2階にある自室へと鞄を置き、部屋着へと着替えた。ダイニングに入れば、姉がスマホを弄りながら缶ビールを飲みつつチョコケーキを食べていた。 「はい」  ぶっきらぼうな顔で綺麗に包装された箱を手渡される。リボンに記されているのは高級チョコレート店の名前。 「ねーちゃん、ありがと! やっば、ゴディバじゃん」 「圭、今年は受験だし、脳にちゃんと糖分入れないとあんたのオツムじゃ立川第一なんて受からないでしょ」 「うっ……」  姉の指摘に図星を突かれる。確かに合格ラインはギリギリだ。落ちて私立になったら仲の良い友人たちとも離れてしまう。みんなで一緒に行こうと約束したのだから、是が非でも何とか受かりたい。 「お返し、今年は倍返しで良いわよ?」 「でぇぇぇぇえ!?」  手の中の高級チョコレートの箱を見て震えあがる。一体いくらするのか見当もつかない。毎年、母や姉は律儀にチョコレートをくれるため、きちんとお返しをしているが、倍返しとなると小遣いが不安になる。卒業旅行も決まったばかりだし、最後の手段であるお年玉作戦で乗り切れれば良いのだが、さすがに足りるか心配だ。 「智ちゃん、あんまり圭ちゃんのこといじめちゃだめよぉ?」 「え、ねーちゃん、俺の事いじめてたの!?」 「いじめじゃないわよ。か・わ・い・が・り」  ワシャワシャと頭を撫で繰り回されて盛大に髪が乱れた。もう自宅から出ることなどないから良いが。  姉はゲラゲラと大声で笑いながら缶ビールを呷った。頬の赤みやテンションなどから、それなりには酔っていそうだ。  だが、圭は知っている。塾があったため、家族みんなが既に食事を済ませており、姉は圭を待っていてくれたのだと。  一人での食事を嫌う圭のために。  明確には言わないが。  ダイニングテーブルに座りながら圭のために切り分けられたチョコケーキと姉から貰った高級チョコレートが画格に収まるようにスマホで撮影していると、母が夕食の皿を持って来た。ナポリタンと牛すじの煮込みという取り合わせだ。和洋混在のメニューに圭が小首を傾げる。母は和食なら和食、洋食なら洋食と統一するタイプだ。今日はチョコに関するデザートがあると思っていたから、洋食オンリーだと思っていた。 「珍しいね。和洋折衷」 「んふふ~、今日はねぇ、ぜ~んぶチョコが入ってるのよぉ~?」 「えっ」  そんなことをして大丈夫なのかと心配になった。しかし、既に夕食を終えている姉の態度を見る限り、そんなに甘ったるい味とかではないのだろう。ナポリタンを口にしてみる。普段よりもケチャップの味がマイルドになっている気がする。 「おいしい」 「でしょ~? クックパッド先生、すごいわよねぇ~」  圭の対面に座る姉の隣に母も腰を下ろした。圭の夕食を共にしてくれるらしい。牛すじの煮込みも心配していたような味ではなかった。むしろ、おいしい。  ナポリタンを食べていると、姉の箸が伸びてきた。圭の皿から牛すじの煮込みを摘まみ、奪っていく。 「あらぁ、智ちゃん、人のを食べるなんてお行儀悪いわよぉ? 食べるなら智ちゃんの分もよそってくる?」 「んーん、いらない。人のを食べるから良いの」  ジャイアンのような理屈を展開しているが、こんなことは今に始まったことではないから気にしない。そもそも、結構量が多くよそわれていたため、圭一人では少し食べきれないかと思っていたくらいだった。 「で、圭は今日、バレンタインチョコいくつ貰ってきたのよ」 「1個あげてきた」 「はぁ!? 何でそうなんのよ」  ニヤニヤしていた姉がギョッと目を剥いた。圭はパクパクと晩飯を口へと運んでいく。お腹が空いていたため、箸が止まらない。 「ちょっと、圭!」 「えー? なんか、ヒロがくれくれうるさいからコンビニでチロルチョコ買ってあげた」 「あ……そう……」  露骨にホッとした表情をした姉がグビリとビールを嚥下した。空になった缶をぐしゃりと握り潰す。 「相変わらず、3馬鹿でつるんでんのね~。……ってか、何でヒロ君、チョコ欲しがったのよ。あの子、それなりにモテるでしょ」  幼馴染のヒロは野球部のキャプテンを務めていた。運動神経も良いし、顔も悪くない。明るくてみんなに優しいし、クラスでも人気者だ。確かに、女子にモテる。よく女子からヒロの彼女の有無を聞かれたものだ。 「なんか、誰からもチョコ貰えなかったからくれって。何でだろうな? 確かにヒロ、モテるのに」 「ふ~ん。……まあ、ヒロ君も鈍感相手じゃあ報われないわよねぇ」 「え? ねーちゃん、ヒロの好きな奴知ってんの?」 「お姉様に分からないことはないのよ」  姉は椅子から立ち上がり、今度は冷蔵庫からハイボールの缶を持って来た。プシュリと小気味の良い音がしてプルタブが開けられる。 「誰だよ、教えてよ」 「そういうのは本人から直接聞くものよ。……まあ、言うかどうかは分かんないけどね」 「え~、なんか、そういう話すると俺のも聞いてくるし、やだ」 「あんたたちみたいなお子ちゃまは、ゲームやスポーツの話でもしてりゃ良いのよ」  ケラケラと軽快に笑いながら姉はハイボールを嚥下していく。まだ水曜日なのに大丈夫なのかと見ている方が心配になるくらい豪快に飲んでいた。  夕飯を食べ終えて風呂へと入り、やっと自室に戻る頃にはあっという間に夜10時を過ぎていた。塾がある日は一日があっという間に終わる。もう眠くて復習する気にもならない。  ファァと大きくあくびをしながらスマホで先ほど撮影したチョコケーキの写真を友人たちとのトークラインに送信した。すぐに返信が返ってくる。その返しが「羨ましい」ではなく「なぜ圭が映っていないのか」という内容で笑ってしまった。そこじゃないだろう。  適当に返信してからスマホをベッドサイドのテーブルへと放った。やり取りしていたらいつまでたっても寝られない。適当な見切りが肝心だ。  来年こそはあげるよりも貰える側になれますように。強く願いながら眠りにつく。  ついでに可愛い彼女ができて、楽しいデートもできますようにと付け加えながら。

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