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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第1章:出発編 第2話
圭の外交デビューへの特訓が始まってから1月近くが経過した。マナー講座から始まり、諸外国の勉強やダンスレッスンまで多岐に渡り、目まぐるしい日々が続いた。
アレクが渋っていたのは「世界安全保障会議」と呼ばれる会議への出席だった。年に1回開かれるもので、各国の主要人物たちが集まり、世界規模での課題について協議するというものらしい。開催地は圭たちの住むシルヴァリアとお隣ヘルボルナ大陸の主要国であるヴァラーラ国の2国で交互に行っている。前回がシルヴァリアで開かれたため、今年はヴァラーラ国がホスト国となる。
アレクは常に会議に出席する際には転移で移動していたらしいが、転移自体の魔力は相応に大きいらしい。しかも、その魔力というのは移動距離に比例する。近い距離ならそこまで大きな負担にはならないが、大陸を超えての大移動となれば消費する魔力は甚大だ。長距離であろうとも1日に1回程度ならばまだしも、往復となるとさすがのアレクでもあまり使いたがらないらしいし、その前に周囲が止めるようだ。
ふと、どこでもドアの存在を思い出し進言しようとしたが、直前で飲み込んだ。どこでもドアはアレクと圭だけの秘密である。ユルゲンたちにバレるのはまずいだろう。今後、また何かの際、極秘でお世話になることがあるのかもしれないのだから。
アレク自身は圭に逢えなくなるという理由だけが会議への出席を渋る理由だった。その圭が一緒に行くというのだから、それからというもの機嫌は上々だ。
アレクの機嫌が良くなれば、おのずと周囲も全ての事柄が円滑に進むようになる。本当にシルヴァリアという国はアレクの機嫌一つで左右される国だと驚いた。
会議自体に圭は出席する必要性はないが、外交という面から伴侶を連れて行くことは往々にしてあることらしい。今回、圭もアレクについては行くが、特段何かしらの会議などに顔を出す必要はないと明言された。ただ、会議後の懇親会には参加が必要だということで、婚儀の際には習得するまでに至らなかったダンスレッスンを必死にこなしている。
ただ、とにかく時間が足りない。婚姻の儀の前にもそれなりに様々な特訓を重ねたが、今回も全ての課題に関して及第点には程遠い。どれも中途半端になってしまいそうで、とりあえずマナーや教養の面での指導が優先とされた。世界一の大国・シルヴァリアの皇族として出席するのだから、粗相があってはならないというユルゲンの確固たる信念からだ。
会議に向け、新たなドレスも新調しなければならないと大急ぎで発注なども行われていた。既に着もしないというのに、ドレスなど10着以上作られ、ドレスルームの肥やしとなっている。いらないと言ったのだが、そうはいかないらしい。
正直、そんな大事になるとは思っていなかった。ちょっとついて行ければ良いくらいの軽い気持ちで言ったことが、こんなに周囲を巻き込んであれやこれやすると知っていたなら、軽率には言わなかったのに。
あまりにもやることが多く、それに無駄に見える出費の数々に、つい「やっぱやめた方が良かったかなぁ」と軽くぼやけば、目を充血させたユルゲンに「絶対にそれだけはさせない」と迫られ、怖い思いをした。ユルゲンを始めとして周囲があまりにも忙しそうにしていたからちょっと言っただけなのに。まさかそこまで鬼気迫る勢いでこられるとは思わなかった。
今回の執務はシルヴァリアの抱える公務の中でも非常に重要な部類に属するらしい。それにアレクが「絶対行かない」と拒否していたため、城内ではほとほと困り果てていたそうだ。それが一転して「行く」と言い始めたのだから、この機を逃してはならないと全員が躍起になっていた。
大国シルヴァリアの行動は世界の指標に等しい。そのシルヴァリアを動かす皇帝の采配は様々な物事に多大な影響を及ぼす。つまり、そのアレクの行動を左右する圭の判断は非常に重要なものとなる。
そして、何よりアレクが毎日楽しそうにしていたから、圭も頑張ろうと思えた。普段の公務に加えて会議に向けての準備や不在の間の分の仕事が前倒しとなり、相当忙しそうに見えた。しかし、その全てに前向きに取り組んでいる姿を目にして、負けていられない気分になった。
互いに多忙な日々を重ね、いよいよ1週間後には会議が開かれるという日を迎えると、突然のアレクの言葉に驚かされる羽目になった。
「あ、明日、城出るの!?」
「ユルゲンは言っていなかったか?」
「何も言ってないよ~!」
動揺でスプーンに掬っていたスープが皿の中へと零れる。しかし、そんなことは全く気にならなかった。
「え、何で? だって、まだ会議は先じゃないの?」
「せっかくケイと出かけるというのに、ケイは味気ない転移で向かって、用事だけ済ませて帰る方が良いか?」
「嫌に決まってんじゃ~~~~~ん!!!!!!」
思わずスプーンを握ったまま両手で万歳ポーズをしてしまった。習ってきたマナーもへったくれもないが、それを咎めるような口うるさい人物は今この部屋にはいない。
「じゃあ、もしかして、いろんなとこ行きながらヴァラーラ行くってこと?」
「その方が楽しいだろ」
「絶対楽しい~~~~~!!!!!!」
思わず立ち上がり、向かいに座るアレクの傍まで駆け寄って抱き付いた。アレクは満足そうに頷きながら圭のしたいようにさせている。
「ねえ、どこ行くの? 何すんの?」
「それは明日になってからのお楽しみだ」
「やっべー、俺、今日楽しみ過ぎて寝れねーかもー!!」
「なら、ケイがよく眠れるように今晩は激しくするか?」
「今日は明日に備えてHなしに決まってんじゃん!」
圭の言葉にアレクは明らかにガッカリした顔をしたが、気にしている場合ではない。明日からのミステリーツアーに向け、圭の頭はいっぱいになっていた。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
翌日。パチリと目覚めた圭は勢い良く起き上がり、窓の傍へと駆け寄った。カーテンを開ければ、真っ青な空が広がっている。雲一つ見当たらない。絶好のお出かけ日和到来だ。
「アレク、アレク! ねえ、起きて!! 超良い天気!」
ユサユサとまだベッドにいる美丈夫を揺すり起こす。昨夜、セックスはしなかったものの、アレクは遅くまで仕事に追われていた。そのため、圭だけが先に寝て、十分な休息を取れたのだ。
「ねえねえねえねえ」
「ケイ、あと少しだけ寝させてくれ」
「やだ! 今日からお出かけ!!」
興奮して2度寝などしている場合ではない。しかし、太陽の位置から、確かにまだ朝食には早い時間のようだ。
ベッドにいるアレクは放っておいて、圭だけが寝室を出る。今日のための準備はユルゲンたちがしているため、圭が何か用意する物などはなかった。とりあえず、身支度だけすれば良いと言われている。
寝巻を脱ぎ捨て、今日のためにと置かれていた服を着る。シャツにズボンという、気楽で動きやすい格好だ。堅苦しい衣装は苦手なため、ホッとする。
そして、こんなラフな格好で行く場所なのだから、きっと圭にとっては楽しい場所なのだろうと推測する。ワクワクが止まらない。
「ケイ、まだ早いだろう」
「でも、もう寝てらんねーもん!!」
あくびをしながら起きてきたアレクが寝室を出てきた。ダイニングテーブルに地図を広げている圭の傍へとやって来る。
「ねえ、今日はどこ行くの?」
「まだ秘密だ。知ってしまったら面白くないだろう」
「くぅ~、やっば~、気になってウズウズする~!!」
巨大な世界地図を前にして、圭は目を輝かせた。どこへ行くのも初めてだ。絶対楽しいに決まっている。
「チノテチかな? ネヌピャクセンかな? アレクウルチナかな?」
地図を指さしながら習った地名をあげていく。どれも本で勉強はしたが、聞いた話での想像しかしたことがない。
「残念だが、どれも外れだ」
「え~、外れか~。うっわ~、どこだろう。全っ然想像できない」
地図に頬杖をつきながらニヤニヤ笑う。今日ほど勉強を重ねてきて良かったと思うことはない。全く知らない土地というのも面白いだろうが、想像と同じかどうかを確かめるのもワクワクする。
「じゃあ、ヒントを出そう。今日はシルヴァリアだ」
「え~、ヒントひっろ~」
カラカラと笑いながら地図を眺めた。ヘルボルナ大陸の3分の2を占めるシルヴァリアである。帝都以外をまともに歩いたことがない圭にとって、どこも魅惑の場所だ。
「ねえ、もっとヒントちょうだい!」
「お楽しみが減ってしまうだろう。まったく、今日のケイは落ち着きがないぞ」
「落ち着いてる場合じゃねーもん!」
エヘヘと笑えば、アレクが苦笑しながら圭の頭を撫でた。
「すまないが、少しだけ仕事をしてから出かけることになる。朝食はあまり食べすぎないように。そうしないと、ケイが後で後悔する羽目になるからな」
「分かった!」
アレクはワシャワシャと圭の頭を撫でると、こちらもラフな格好へと着替えて執務室へと向かってしまった。圭は先に朝食を摂り、再び地図を広げる。そして、勉強のために与えられている地理の本も隣に並べた。
「シルヴァリアで~、行きたい場所~! バントニーイシュと~、ハルロルノンと~、ルレヴェックと~……」
シルヴァリアの観光都市の名を上げていく。口にするだけでワクワクが止まらなくなる。
ニマニマしながら本と地図を交互に見ていると、程なくしてアレクが戻ってきた。アレクに駆け寄り、飛びついた。
「お帰り! 仕事、終わった?」
「ああ、とりあえずの目途がついた」
「行ける? もう行ける??」
「そろそろ頃合いだろう。ケイも準備は整っているか?」
「俺、いつでも行ける!!!!」
広げていた地図を片付け、アレクの支度を待った。アレクが圭へと髪と瞳の色を変える魔法をかける。そして、つばの広い麦わら帽子を被せてくれた。
「今日は日差しが強そうだ。しっかりと被っておくんだぞ?」
「分かった!!」
つまり、外をたくさん歩けるということだ。はやる心を押さえられない。圭から見れば何も変わらないが、アレクにも祭りの時同様に目立たない魔法をかけているらしい。その方が自由に動けるし、圭としても助かる。
「まあ、こんなもんだろう。荷物は既に用意されているから、このまま飛ぶぞ」
「もう行けるの!?」
「ああ、一気に向かう」
「ひゃっほーーーーーーい!!!!!!」
アレクと圭の足元に真っ赤な魔法陣が現れる。転移の陣の光に包まれ、眩しさから目を瞑った。
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