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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第2章:クルーズ編 第4話
目覚めると、ベッドの上だった。船の動く僅かな振動。窓から差し込む光で朝を知る。
上半身を起こし、眠い目を擦りながら辺りをキョロキョロと見回した。隣にいるはずのアレクがいない。
「アレク~?」
名を呼んでみたが、反応がない。ベッドを降り、隣の居室へと赴いたが誰もいなかった。
昨夜、ジャグジーで事に及んでしまい、気を失ったことまでは覚えている。羞恥を興奮に変え、盛り上がってしまった。思い出すだけで顔が熱くなる。
廊下へと続く扉を開くも、そこにも姿はなかった。少しばかり心配になってくる。置いて行かれたのではないかと不安でいっぱいだった。
普通なら、航海中の船の中なのだから、探せばどこかにはいると分かる。しかし、アレクは魔法によって瞬時に場所を移動できてしまう。つまり、圭を置いて行くことなど、造作もないことなのだ。
「アレク~、アレク~ぅ」
呼びながら廊下を歩き続ける。もしかしたら、このフロアにはいないのかもしれない。しかし、アレクが戻って来た時に部屋にいなかったら心配しないだろうか。グルグルと頭の中を考えが巡る。
それでも、一人っきりで部屋の中にいるのが嫌だった。階段を降りて別のフロアをグルグルと回り、更に他の階もと歩いていると、今度は自分がどこにいるのかすら分からなくなってしまった。
「やば……え、ここどこ……」
キョロキョロと辺りを見回す。どうやら、最下層の船室まで辿り着いてしまったようだ。窓がなく、壁に掛けられている僅かな明かりだけがぼんやりと辺りを照らしている。
「おや? 嬢ちゃん? いや、僕ちゃんか? こんなとこで何してんだ?」
後ろから声をかけられてビクリとした。振り返ると、屈強な筋肉の大柄な男が2人いた。
見慣れない男を見ると、かつて攫われた時のことを思い出して途端に不安になる。
「え? この髪、黒か? こんな髪の子、初めて見た」
「ひやっ!」
驚いた表情の男の腕が頭へと伸びてきた。怖くなって頭を抱えたままその場から逃げ出した。
訳も分からず走ってしまったため、今度は客室ですらないような場所へと出てしまった。機械室のようだ。ごうごうと音をさせる大きな機械ばかりが並んでいる。
さすがにこんな所にアレクがいないのは分かっている。だが、戻る道が更に分からなくなってしまった。
走り疲れて機械の隙間に腰を下ろした。グゥと腹の音が鳴る。朝食も食べずに走り回ったため、腹の虫が怒って大合唱を始めていた。
(どうしよ……)
アレクに変化の魔法をかけてもらっている間であればそこら中を歩き回っていても不思議には思われないが、今は黒髪のままだ。このままフラフラしていれば、大事になってしまう。
それに、先ほど声をかけられたことも怖かった。また人攫いに遭ってしまったらどうしようと思うと、身が竦む。それ程までに圭にとってあの時の出来事はトラウマになってしまっていた。
機械室は、うるさくはあるものの、発する熱で温かかった。体操座りのままうつらうつらとしてしまう。
考えることが億劫になっていた。考えたって不安なことばかりが頭をよぎってしまう。
膝に顔を埋めると、再び睡魔に襲われていた。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
ハッと目覚めた時、機械室の隙間で眠ってしまっていたことを悟った。
(うわ、俺、こんな時にこんなとこで寝てた!?)
起き上がり、ワンピースタイプのパジャマをパンパンと叩く。埃塗れになってしまっていた。口には涎の跡もある。のんきに寝こけてしまっていたことが恥ずかしい。
どのくらい寝てしまっていたかは分からないが、少し寝たことで頭がすっきりした気がする。
とりあえず、部屋に戻ろうと決意した。ここにいても何も始まらない。
しかし、問題は目立ちすぎるこの髪だ。隠せるような物もない。仕方なくパジャマを頭の方まで被ることにした。膝丈まで長さのある服だったから、すっぽり頭まで隠しても股間が見えることはない。ちょっと短いスカート程度のものだろう。これくらいなら、文化祭で着たメイド服程度だ。
目に至ってはどうしようもない。顔を上げなければ分からないだろうと思い、下を向きながら歩くことにした。
機械室をウロウロしながらやっと扉を発見する。どうしてこんな迷路みたいになっているのだろうか。迷子になってくれと言わんばかりだ。
迷子になるような乗客はこんな所に迷い込んだりはしないが。
恐る恐る扉を開けた。何だか船内がバタバタしている。皆、忙しそうだ。少し殺気立っている気もする。
こんなに忙しそうなら、目に留まることはないだろう。それでも、注意をするに越したことはない。なるべく物陰に隠れながら廊下を歩いて行くと、やっと階段を見つけられた。上に上がれば、きっと甲板に出られるだろう。ようやく希望の光が見えてくる。
人がいなくなったのを見計らい、階段をダッシュで駆け上がった。やっと窓のあるフロアまで辿り着いた。ホッと安堵の息を吐く。
落ち着いたら、今度は喉が渇いてきた。走り回った影響だろうか。お腹もぐうぐう鳴っている。とてもひもじい気分でいっぱいだった。
アレクと一緒にいると、飢えるということがない。もちろん、それは元の世界でも同じであった。腹が減ればおやつが貰えるし、元の世界ならばコンビニで買い食いでもすれば良い。少し小腹を満たす程度の買い物ならできるくらいの小遣いは貰っていた。
ぐうぐうと鳴り続ける腹を抱え、歩くのが嫌になってきた。廊下の観葉植物の傍で腰を下ろす。
船の中でも腹が減ったり喉が渇いたりすればアレクに言えば何かしら貰えたから、デッキに出られたとしても船内での買い物の仕方も分からない。
盛大に溜め息を吐きながら項垂れた。高校生なのに、迷子になって途方に暮れるなんて恥ずかしい。この葉っぱが食べられれば良いのにと、観葉植物の葉をチョンチョンとつついていた。
「あ、あの子じゃない!?」
廊下の奥の方から声がした。切羽詰まった表情の船員が駆けて来るのが見えて怖くなる。
何かまずいことをしてしまったのかもしれない。もしかしたら、あの機械室が入ってはいけない場所で、実は見てはいけない物を見てしまったのだろうか。
青褪めながら走り出した。
「こらー! 待ちなさーい!!」
「止まれー!!」
「ひ、ひぇぇぇぇっ!」
怒号のように叫ばれて怖くなる。がむしゃらに走り、やっとデッキに出られた。追って来る人数が増えている。アワアワとしながら船尾の方へと駆けて行った。
数人に追い詰められる。後ろを振り向けば海。こんな高さから飛び降りても死なないだろうか。いや、そもそも、死ななかったとしても見渡す限りの大海原だ。遭難は必至である。
「落ち着け、そこから動くなよ?」
じりじりと間合いを詰めてくる大柄の船員たちに怖気づく。前と後ろを見返しながら、追い詰められた圭は正常な思考を失ってしまっていた。
よく考えれば、海に飛び込むなんて考えは誤りだと分かるというのに。知らない人たちに追われて恐怖ばかりが勝ってしまっていた。
(う、海に飛び込んで、死ななければワンチャン、アレクが助けてくれることもあるよな……)
たらりと冷や汗がコメカミを落ちていった。
ここに誰か一人だけでも見知った顔があれば、圭と言えども飛び込むなんて判断はしなかった。しかし、この旅において知った顔などアレクしかいない。
つまり、圭にとってアレク以外の味方がいなかった。
「いける! 気がする!!」
大声で叫び、海へと向き合った。勢いづけて飛び込めば、船に当たって怪我をすることもないだろう。助走をつけて船から跳んだ。
空を切る体。浮遊感の後、一気に落ちていく感触。ギュッと目を瞑った。
海面に衝突する時は痛いだろうか。痛いのは嫌いだ。
バシャリと海の中に落ちた。服が張り付く。泳いで海面へと向かおうとするも、上手く泳げない。
体育の時に習った着衣水泳の授業を思い出した。あの時も水を吸って重くなった服が体に張り付き、思うように動けなかった。
(やば……これ、詰む……っ!)
ガボリと口から息を吐き出した。冷たい海水で体が思うように動かない。息ができなくて苦しい。
そこでやっと自分のとった行動が誤りであったことに気づいた。
しかし、気付いたところでどうにもならない。もう飛び込んでしまった後なのだから。
(アレク……)
海面へと腕を伸ばした。意識が途切れそうになる。段々と目が霞んでくる。
海面は日の光を受けてキラキラと光っていた。
(綺麗だなぁ……)
最後に見る景色としては良い方だろうか。だって、美しいと思いながら死ねるのだから。
瞼が重くなってきた。沈んでいく体はもう動かせもしない。
ここで死んだら、躯はどうなるだろうか。どこかの岸辺にでも辿り着くか。それとも、魚の餌にでもなるか。
(ごめんなぁ、アレク……)
馬鹿な伴侶でごめん。いつも迷惑ばかりかけてしまっていた。
願わくば、彼が次に愛する人は、出来まさる人でありますように。
自分のように、面倒をかけてばかりの人ではなしに。
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