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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第3章:入国編 第1話

 翌日。天気にも恵まれ、快晴の空を眺めながら伸びをする。  この旅行中、ずっと天気に恵まれている。日頃の行いが良いのだろうと嬉しくなる。  まさか、天気までをもアレクが操れる……などということはさすがにないだろう。  船の中での最後の食事となる朝食はデッキで食べさせてもらった。外の風を感じながら食べる食事は気持ちが良い。普段よりも食欲が湧き、モリモリと食べられた。  圭がたくさん食べていると、アレクが喜ぶ。ずっと見られ続けて恥ずかしくなる時がある程だ。もしかしたら、動物園の餌やりタイムのような気分なのかもしれない。  出された朝食を綺麗に食べ終え、食休めタイムだとハンモックでゴロゴロしていたが、部屋へとやってきた一団にその至福のひと時はあっという間に奪われてしまった。  今日はこの後、ヘルボルナ大陸に到着する。そのため、もう下船した時から「シルヴァリア帝国の皇后」として振る舞わねばならない。  まだあまり慣れない化粧で顔中をいじくられ、朝から辟易する。せっかくの良い気分が少し勿体ない。  婚姻の儀を終えて、数ある要望を出した結果、ある程度は受け入れてもらえた。息苦しいだけのコルセットはなくし、ヒールも3センチから5センチまでにしてもらうことに成功した。  コルセット代わりに体のラインを美しく見せる形の服を作ったことで、窮屈ではない。元々、圭の体型自体が細身であり、そこまで無理にくびれさせる必要がないのだ。  身長ばかりはどうにもならないが、無理して慣れない高いヒールを履いて転んで怪我をする方が嫌だと言えば、それに関しても了承された。  今日はパーティなどもないということで、着替えさせられたのはワンピースだった。くしくも淳一のせいで着慣れている。  魔法で伸ばした髪を髪飾りなどと共にセットしてもらい、完成だ。鏡を見ると、やはり別人のように可憐で美しい女性の姿がある。この瞬間は何度見ても慣れることがない。 「こっちも愛らしいが、俺はいつものケイの方が好きだからな」  チュッと額にキスをされる。もしかしたら気にしていると思われただろうか。アレクは本当に気遣いができる男になったと思う。  ルレベルク大陸に滞在している間は髪を伸ばしたままにしておくらしい。毎日伸ばしたり短くしたりするのも確かに面倒くさいし、突然誰かが来ないとも限らない。それに関しては圭も承諾した。長い髪は慣れないが、確かに女顔の圭は男だとバレないだろう。  船の速度が落ち始める。もしかしたら、もうすぐ着岸なのかもしれない。デッキへと出てみれば、船の向かう先に港が見えている。 「アレク! あれ、ルレベルク?」  鷹揚に頷かれ、胸が高鳴った。  初めての場所はドキドキする。この世界に来たばかりの時は不安しかなかったが、今はアレクが隣にいるから何も心配することがない。  大きくなっていく港を見ながら身を乗り出した。早く降りて色々と探検したい。ルレヴェックもたくさんの発見があったのだ。他国ともなれば、もっと多くの驚きがあるに違いない。 「こら、あんまり乗り出すと危ないぞ。また落ちてヒヤヒヤさせられるのだけは勘弁してくれ」 「へへ、ごめんごめん」  腰に手を回されて引き戻される。  アレクも普段とは違う軍服に身を包み、外出モードは万端だ。見慣れてはいるものの、やっぱり格好良くて見惚れてしまう。そんな相手に抱き締められていて、新大陸への高ぶりと共に興奮が一層高められる。  荷物の整理などは使用人が行ってくれるため、準備などは全て済んでいる。ヴァラーラで必要な荷物は既に送られているので、船の中で使った物は全て送り返すらしい。服などもたくさん積んでいたから、このまま持っていくのだと思い込んでいた。それに、船の中にもアメニティはきちんと用意されていたし、そこまで必要だと考えてはいなかったのだ。  貴族は気分やTPOによって一日に何度も服を着替えることもあるらしい。元が小市民の圭にとってはそんな必要性全く感じないため、こんなに用意してもらって申し訳ないという思いの方が強かった。それをアレクに言ってもアレク自身が皇族出身のため「気にする必要などない」ときっぱり言い切られて終わってしまう。こういうところは相変わらず互いに感覚が違う。  船が止まった。下船の準備が整ったと船員が圭たちを呼びに来る。スイートルームの圭たちが一番先に下船するのだという。安達家では誰一人として乗ったことはないが、兄が飛行機ではファーストクラスの乗客から降りると言っていたのを思い出した。世界一の大国・シルヴァリアの皇帝ともなれば、当然いの一番に案内されるのも分かる。 「ほら、行こう」  部屋を出る前、手を差し伸べられた。ここから出れば、この先はもう「シルヴァリア帝国の皇后」だ。アレクの手を見つめながらゴクリと生唾を飲み込んだ。  そんな圭を見てアレクが苦笑する。 「そんなに気を張らなくて良い。俺が常にそばにいる。何も心配することはない」  綺麗に笑われて少しホッとした。知らぬ内に肩ひじが張ってしまっていた。  アレクの掌の上に手を重ねる。温かい手がギュッと握り締めてくれた。それだけで更に安堵する。  この人についていけば何も問題はない。シルヴァリアの国民たちが暴君であったにも関わらず、絶対的な信頼を寄せていたことも納得ができる。「アレクサンダー・フォン・トイテンヴェルグ」という人物は、その存在自体が任せておけば安心できるという気持ちになれる。  船内の窓のない廊下を歩いて行き、明かりの差し込む扉をくぐった。 「わぁっ!!」  見慣れない建物が広がっている。ルレヴェックのカラフルな住居も変わっているとは思ったが、今目の前に並んでいる建物はシルヴァリアとそもそも構造自体が違う。  すぐに脳裏に思い浮かんだのは「中国」という文字だった。建物の外観や窓の造り、趣など、その全てが中国の建築物に似ているという印象がある。  しかし、歩いている人はシルヴァリア同様に欧米系の顔立ちだ。風景自体は中国を思い起こすものの、人種はシルヴァリアと同じなのかもしれない。  ただ、服装は洋装とチャイナ服が混じったような格好で、それもまた不思議な感じがした。  空を見上げれば、ルレヴェックの時に舞っていた海鳥とは違うタイプの鳥が大量に羽ばたいている。見る物全てが日本ともシルヴァリアとも違う。中国には行ったことがないが、似てはいるものの、多分細部で違う気がする。 「あまり周囲ばかり見ていては転んでしまうぞ」 「大丈夫だよ。転ぶ前にアレクが助けてくれるだろ?」 「その通りだが、それなら心配だから抱いて運んだ方が早いな」 「ちゃ、ちゃんと足元に気を付けて歩きまぁ~す」  板の継ぎ目の出っ張りに足を引っかけないように気を付けながらソロリソロリと歩く。5センチのヒールは婚姻の儀の時の凶悪ヒールに比べれば格段に歩きやすいが、そもそも踵の高い靴自体を毎日履いている訳でもなく、日常的に慣れていない。他国に着いて早々派手にこけるようなことがあってはあまりにも情けなさ過ぎる。  しかし、実際にはそんなことはないと分かっている。アレクが圭の腰に手を添え、エスコートしているのだから。  3日ぶりの地面に足が着き、やっと船の揺れから解放された。荒天で時化に巻き込まれたということはないが、それでも海上では常に独特な揺れを感じていた。船酔いするということはないものの、やはり地面が安定しているというのは落ち着く。  キョロキョロと辺りを見回してばかりいたが、アレクに手を引かれて街の中へと進んで行った。  ルレヴェックでは道を挟んで建物との間に小さな旗がはためいている場所などもあったが、この街ではランタンがつるされている。まるで千と千尋の神隠しの世界だ。今は日中だから明かりは灯っていないが、夜になるときっと綺麗だろう。 「どこ行くの? 観光?」 「ここで昼食だけ摂っていく。生憎と観光できる程の時間はない。午後にはヴァラーラの首都に着かねばならないからな。多分、夜まで食事の時間はなさそうだから、ケイの可愛い腹がクウクウ鳴くのは可哀想だろう?」  腹を指さされて揶揄われる。まだ昼食というには幾分早い気もするが、確かに次の食事が夜だとすると、さすがに空腹に耐えられる自信がない。シルヴァリアと違って腹が減ったからと言って、すぐに食事を貰うのは恥ずかしい。公務として訪れているのだ。きちんとしなければならない。  アレクに連れられて行った店は中華街にあるような豪華な飲食店だった。初めて見る回るテーブルにテンションが上がる。出てきた小籠包も美味かったし、サラダなどもシルヴァリアとは少し違う種類でアレクに尋ねながら食べる昼食は楽しかった。  食後のデザートと茶を平らげ、腹が膨れる。これならもうしばらくは食べなくても大丈夫だろう。 「ヴァラーラの首都ってここから遠いの?」 「まあまあ遠い。俺たちよりも先に出たユルゲンはまだ向かってる途中だろうな」 「え? ユル、まだ着いてないの?」 「そりゃあ、この街はヴァラーラの端だからな。ここから陸路でまだ何日もかかる」  ユルゲンは10日以上前にシルヴァリアを出ている。とっくに到着して、会議の打ち合わせなどをしているものだと思い込んでいた。目的地まではまだ相当遠いようだ。 「でも、午後には首都にいなきゃいけないって言ってたじゃん」 「だから、ここからはまた転移で飛ぶ」 「そうなの?」  アレクのことだから、それなら無駄なことなどせず、すぐに船の中から首都へと飛ぶものだと思っていた。キョトンとしていると、そんな圭の様子に気づいたアレクが圭のヘアセットを乱さない程度に頭を撫でる。 「急ぐ旅じゃない。少しケイに街並みを見せてから移動しても良いかと思ってな。さすがに観光というほど時間はないが」  優し気な瞳で見下ろされ、頬が紅潮する。  こういう気遣いは本当に嬉しい。そもそも、多忙なアレクはシルヴァリアから一気に目的地まで行った方が大いに効率良いのだ。その直前まで別の仕事をすることもできるし、体の負担も少ない。  しかし、圭のためにと慮ってこうして時間を割いてくれる優しさを感じて心が温かくなる。 「ありがとう、アレク」  ヘラリと笑って礼を言えば、アレクが右手で胸元を押さえながら俯いた顔を左手で覆っている。 「あ、アレク! どうした? 具合悪くなったのか?」 「……久々に見るその格好でのケイの笑顔はクる……。グチャグチャになるまでキスしたいし、この場で腰が抜けるまで犯して……」  一気にスンッとなる。たまに陥るアレクの持病のようなものだ。何度か見たことがあるから少し慣れた。心配して損した気分になる。 「アレクー、早く首都行こうよー」  アレクの軍服を指で引っ張りながら急かす。しかし、しばらくアレクはブツブツと何か言いながら動く気配すらなかったため、圭は手持ち無沙汰のまま新しい茶を2人分貰うのだった。

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