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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第4章:城下町編 第2話

 軽装用のワンピースに着替えて薄っすらとメイクを施してもらう。今日は公式の行事ではないため、いつものようなフルメイクでなくて良いらしい。もはや圭にとって特殊メイクの一種だと思っている公式行事用のメイクは時間がかかるし顔にたくさんの化粧品をゴテゴテ塗られるのが苦手だ。この程度の薄メイクならそこまで気にならない。  むしろ、気にならなすぎて顔を擦って落としてしまわないか心配になるくらいだ。  薄メイクでも鏡の中に映った圭の姿はしっかりと女の子だった。髪の長さもあるのかもしれないが、女顔だから髪さえ伸びていれば男だとバレることはあまりなさそうな感じがする。  用意された朝食をアレクと食べ終え、出かける準備を進める。とは言っても、圭が持っていかねばならない物など何もない。買い物用の現金などはアレクが持っているし、この世界ではスマホもない。一応、念のためにと小さいサコッシュのような袋を下げてはいるが、中にはハンカチくらいしか入れる物がなかった。  もしかしたら城下で気になった物を買って入れるかもしれない。その割には小さいが、ないよりはマシだろう。  ルレヴェックでも被っていた大き目のつばの帽子を被り、準備は万端だ。今日も髪の色を変えるのかと思っていたが、黒髪のままで良いらしい。今日はクリストフとマリーが案内してくれると言っていた。2人には既に圭の黒髪を見られているし、あえて染める必要などないだろう。  しかし、黒髪をそのまま見せびらかすように歩くのはあまりにも目立ちすぎる。だから帽子である程度隠して歩くのは圭としても賛成だった。  歩きやすいフラットシューズに履き替えれば、準備は万端だ。姿見に映るのはどこからどう見ても可憐な女の子だ。普段の自分の顔など飽きるほど見ている。それでも、この姿になると一瞬誰だか分からなくなる。薄化粧とはいえ、本当にクオリティが高い。 「普段の圭に見慣れているから、この圭を見ると少しだけ別人みたいだな」 「あー、やっぱりいつもの俺よりもこっちの方が良くなったか?」 「いや、それはない。ただ、この格好の時にはケイが俺と共に衆目の前に出てくれるし、ケイが俺の伴侶だと全員に知らしめることができる。それは嬉しい」  ギュッとバックハグで抱き締められる。スリッと頬同士を擦り合わせられ、肌同士のふれあいの心地良さに目をそばめた。 「あー、やっぱいつもの俺だと、一緒に並びたくないとかちょっとはあるんじゃね?」 「あるはずないだろう。俺はいつだってケイを横に置いておきたい。でも、ケイがいつものままだと人前に出るのを嫌がるだろう」 「当然じゃん!」  いくら同性での婚姻が許されているとはいえ、異性同士の結婚と比べれば極端に少ない。奇異の目で見られるのは日本と変わりないのだ。  わざわざ自分からそんな風に晒されたくはない。別に今のままでも不自由はないのだから。  もちろん、自由に外に出られないのは残念に思う時もあるが、圭の容姿が特殊なのも分かっているし、抜け出して痛い目に遭ったことは覚えている。自由と引き換えにするにはあまりにもリスクが高すぎる。  たまにこうして格好を変えてアレクと一緒に外に出られるくらいで十分だ。外への興味・関心や憧れは強いものの、人身売買にかけられる恐怖はトラウマ並みにケイの中に巣食っている。  アレク以外に触られるのは嫌だし、体内に入られるなんて冗談じゃない。全てを許しているのはアレクだけなのだ。  後ろから顎を取られ、キスされそうになる。流され、触れ合うまであと数センチの距離でハッとしてアレクの唇を掌で塞いだ。あと少しでキスできるというところで拒否され、アレクが目に見えて不機嫌になる。 「く、口紅! ついちゃうから!」  圭の唇にはローズピンクの口紅が塗られている。キスをしたらその色がアレクにも移ってしまう。そうしたら、クリストフたちが迎えに来た時に何をしていたのかバレてしまうではないか。朝からイチャイチャしていたとバレるのは少し恥ずかしい。 「構わない。むしろ、少しくらい見せつけるくらいがちょうど良い」 「良い訳ないだろ! 恥じらいというものを持て、恥じらいを!」  キスしようとしてくるアレクとの攻防を続けていると、扉をノックする音。やっと迎えが来てくれたとホッとしていると、その隙を見計らったように唇を奪われた。 「んっ……」  やめろとアレクの胸を押そうとしたが、その手すら片手で易々と一纏めにされて近くにあったソファに縫い付けられた。ジュルジュルと音をさせながら口内を吸われる。強引に絡めてくる舌。こうなったら反撃として舌を少し噛んでやろうとも思ったが、頬を押されて無理矢理開かせられる。  こういう時、力では全く敵わないと分からせられる。拘束されて微動だにしない腕。圧し掛かられて体も身動き取れない。圧倒的な体格差がある。 「んぅ……ッ」  昨夜はしょんぼりしていた下腹が反応を示しそうで焦る。もう扉の向こうには迎えが来ているのだ。そんな状態で一人勃起などさせられては困ってしまう。 「お二方、準備は整いましたか?」  扉が開く音。見られてしまったという緊張感で体が強張る。 「ああ、待ちくたびれて盛ってしまう程度には待たされたな」  唇を離したアレクが不敵な笑みと共に軽口を叩いているのを少し膨れ面で睨みつける。  やっと手首を離してもらえたが、そこにはくっきりとアレクの手の痕が残っている。その痕を手で擦りながら居た堪れない気持ちになっていた。  クリストフたちにしても、望みもしない他人の濃厚なキスシーンを見せつけられるなんて冗談じゃないだろう。気を悪くさせていないか心配になる。 「あまりこういうことを言いたくはありませんが、無理矢理というのは感心しませんわね」 「案ずることはない。合意の上だ。ケイは俺のだからな。ケイも俺とこうするのが好きだし、何の問題もない」  押し付けられていたソファから起こされ、床に落ちていた帽子を被せられる。そしてそのまま腰を引かれてアレクへと抱き着くような格好をさせられた。  誰もいない時ならいくらでもイチャつくことはやぶさかでないが、慣れない人たちの前でこんな風にさせられるのは本当に困る。  しかし、この場で文句なんか言えない。2人がいなければいくらでも抗議したが、外交として訪れている手前、不仲の疑いがかけられるようなことなんてできるはずもない。  喉の近くまで込み上げていた文句の言葉を嚥下した。アレクに手を引かれて部屋を出る。  気恥ずかしくて二人の顔を見られなかった。どんな顔をして顔を合わせれば良いのか分からない。アレクにとっては大したことでなくとも、恋愛経験のない圭には大事だ。婚姻の儀のように人前でキスをすると分かっていることであれば覚悟もできるが、今回は不意打ちにも程がある。  俯きながら歩いていると、マリーから声を掛けられた。 「わぁっ」  ずっと下を向いて歩いていたから気付かなかったが、いつの間にか城門を出ていたようだ。目の前に広がる異国の風景。木造家屋が並ぶ光景はシルヴァリアと違う趣がある。  キョロキョロしながら歩いていると、今度は躓いて転びそうになった。 「一人でちゃんと歩けないなら、抱えて歩いてやろうか?」 「ひ、一人で歩けるよ!!」  まるで子供に対しての扱いだ。むくれながら歩いていたが、香ばしい匂いが漂ってきて、鼻孔をくすぐる。香りの方向を見てみると、串焼きの屋台が並んでいた。 「ねえ、ちょっと見てみても良い?」 「気になるのか? それじゃあ少し覗いてみよう。欲しい物があれば買えば良い」  屋台の方を指させば、アレクは鷹揚に頷いた。クリストフたちもついてきてくれる。  店頭にズラリと並んだ串は何の肉か分からなかったが、どれも美味しそうな匂いをさせていた。 「どれか食べたい物でもあるか?」 「ん~……」  どれが何かさっぱり分からず、選びあぐねていると、3軒目の屋台に並んでいる商品を見てギョッとした。 「わー!!」  芋虫のような形をした物が串に刺さって並んでいる。しかも、その奥にはこれから焼かれるのであろう串があり、その串の虫たちは身体を貫かれながらも蠢いているのだ。 「あ、あれく、あれ、う、うごいてる……」 「ああ、生きたまま生でも食べられるが、焼いた方が中身が溶けて美味くなる。食べてみるか?」 「ひぃぃぃぃっ! い、いらないっ!!」  アレクの手を引いてその店からダッシュで離れる。アレクは面白そうに圭を見ていたが、一方の圭は恐ろしい光景に顔面蒼白だ。  圭たちがいる場所は屋台が並ぶ市のようで、串焼き以外にも多くの出店が軒を並べていた。  串焼きゾーンを抜けると、今度は甘い香りが漂っている。甘味の店が立ち並び、目にも鮮やかな色のフルーツなどが目に入る。 「あっ、あれ、美味しそう」  チョコバナナのような形状をしたスイーツを見つけて指さした。甘い香りに誘われて店の方へと歩いて行く。串に刺さっている果物はやはりシルヴァリアで見たことのない物だったが、この香りならきっと美味しいに違いない。  アレクの方を見上げれば、優し気な笑みを浮かべて一つ頷かれた。買ってもらえるということだろう。部屋の中でされたことなどすっかり忘れてご機嫌になる。  色とりどりのソースのかけられた中から黄色の串を一つ選んだ。アレクが店主へと金を渡し、串を貰う。近くで嗅いでみると、少し柑橘系の香りがした。チョコバナナをイメージしていたから、少し意外だ。  一口齧ってみる。香りの通り、柑橘系の甘酸っぱさが口の中に広がった。見た目はチョコバナナなのに、予想を裏切られて面白い。思わず笑みが零れてしまう。 「美味いか?」 「うん! 美味しい! アレクも一口食べる?」 「では、一口貰うかな」  アレクが大きく口を開き、チョコバナナもどきにかぶりついた。 「ケイ好みの味だな」 「アレクは嫌い?」 「嫌いではない。ただ、俺一人だと多分口にしないだろうから、新鮮だ」 「じゃあ、もっと食べても良いよ?」 「それだとケイの分がなくなってしまうだろう。食べきれなくなったらまた寄越せば良い」  アレクの言葉にまた残りを食べ始めていると、クリストフとマリーが驚愕の表情で圭たちを見ていることに気が付いた。 「……アレクサンダー陛下って、人の口にした物でも食べられるんですのね」 「ケイだけは特別だからな」 「あ、えっと、少し食べますか?」  学校での回し飲みの要領で串を差し出してみたが、2人は苦笑しながら丁重に圭の提案を断った。そして、その様子を見ていたアレクが渋面を作っているのを見て焦る。 「ケイ、そういうのは俺以外にはしなくて良い」 「何で?」 「普通、食べさしなど寄越されても困るだろう」  呆れたように告げるアレクの言葉に落ち込んだ。またやらかしてしまった。確かに、言われてみればその通りだ。アレクが当然のように食べていたから、つい友達に行うような感覚で2人にも言ってしまった。 「ごめんなさい」 「いえいえ、謝る程のことではないんですよ? アレクサンダー陛下がここにいなければ、私は頂いていましたから」 「マリー」  クスクスと笑いながら圭へと言うマリーに対し、アレクが低い声でけん制のように名を呼んだ。それでもマリーは気にする様子もないまま圭の手から食べ終えた串を受け取った。 「ケイ様、よろしければオススメの店があるんです。昨日、庭の花に興味を示していらしたようですので、お話したアクセサリーの店が近くにあるんです」 「わっ」  串を持っていた手をマリーに引かれる。圭より大きいものの、女性らしい柔らかい掌に一気に赤面した。  女性に手を握られるなんて今まで滅多にされたことがない。しかも、マリーは絶世の美女だ。手を引かれて歩くと、昨日よりも距離が近いためか彼女の残り香をより一層強く感じる。胸の鼓動は高まるばかりだ。 (うわー、うわー! こ、こんなん刺激強すぎだろ~!!)  ただ手を引かれて歩いているだけなのに、緊張してしまう。美女というのはそれだけで存在が強すぎる。耐性がない圭にとってはまた鼻血を出してしまわないようにするので精一杯だ。  マリーが連れてきてくれたのは屋台街から少し離れた落ち着いた通りだった。高級感溢れるブティックなどが軒を連ねている。まるで銀座のようだ。  高校生である圭にとって、当然のように銀座など馴染みがない。自分がこんな場所を通るのがお門違いのようでならなかった。  しかし、圭の手を引くマリーも、圭の後ろを仏頂面で歩くアレクも、更にその後ろを歩くクリストフもこの街に馴染んでいる。3人共に高貴な生まれだからだろうか。違和感など微塵もないし、先程の屋台街の方がおかしかっただろう。  マリー御用達だと話す宝飾店は広い店内に様々な装飾品が陳列されていた。キラキラと目に眩しいくらいの宝石たち。どれも価格は書かれていない。店構えの荘厳さも相まって一体いくらなのか恐ろしくなる。 「こちらです。どれも綺麗でしょう?」 「わぁっ……!」  マリーが指さす先には昨日城内の池で見た蓮の花を模したアクセサリーが並んでいた。 「ほら、これなんてケイ様の黒い御髪にとても似合いますわよ」  圭の被っていた帽子をとり、棚に置かれていたヘアクリップを髪へと挿してくれる。 「やはりお可愛らしい。お近づきの記念に贈らせていただこうかしら」 「え、そ、そんな、申し訳ないです!」  マリーの手に髪を撫でられ、また赤面する。細い指はアレクとの違いを圭に実感させる。コメカミからスッと差し入れられた指先が圭の髪を撫でるだけでドキドキが止まらない。  何より、向かい合っているせいで至近距離に胸がある。少し手を上げれば触れてしまう位置だ。 (わ~~~~~!!!!!! マリーさん!! ち、近い! 近すぎる!! 俺、こんな格好してるけど思春期の男子高校生だから~~~~~!!!!!!!!)  マリーの今日の服装も胸元がよく見える格好だ。昨日の今日でまた鼻血など出さないようにと必死だ。できうる限り胸元から視線を反らすが、それでもマリーの纏う香りを嗅ぐだけで動悸が収まらなくなる。 「あら、この香り」  マリーが何かに気づいたような顔をした後、圭の髪の近くまで顔を寄せてきた。耳のすぐそばに唇がある程の距離。圭の茹蛸のような顔色は全く戻らない。 「私と同じシャンプーの香りですね。ケイ様から同じ香りがするのはとても光栄です。これ、髪がまとまるし良いですよね。何より香りが良くて、お気に入りなんです」  圭の髪をサラリとかき上げながら耳元で囁くマリーの唇。息遣いすら感じる距離。頬に当たる息すら清涼感のある香りだ。  圭の頭の中は大混乱だ。パーソナルスペースにグイグイ入り込んでくるマリーの距離感に脳内がバグを起こしそうになる。  アレクというガッチリとした男ならもう何度も抱き締めたことがあるが、柔らかそうな女性の体に触れてみたいと男としての本能が暴走しそうになっている。掌をグッと握り締めながら理性を総動員させて耐える。 「マリー、少し見繕ってもらいたいものがあるのだが」 「いかがなされましたか?」  唐突にアレクから声を掛けられ、マリーは圭の髪から手を離してアレクの方へと歩いて行く。目の前から美女の姿がなくなり、圭はやっと息を吐き出せた。あまりの緊張感から全身が強張ってしまっており、その場にへたりこんでしまいそうだ。 「おっと、大丈夫ですか? ケイ様」  近くで圭たちの様子を見ていたクリストフが圭の腕を掴む。お陰で何とか立っていられそうだ。 「あ、ありがとうございます」  ニコリと笑いかけ、大きく深呼吸する。少し気持ちが落ち着いたことで脚にもちゃんと力を入れられそうだ。  腕を離してもらい、アレクたちの方を見る。2人は別の宝飾品のコーナーで話していた。  その姿を見て、圭は小さく胸が痛んだ。  並ぶ2人の立ち姿は何ともお似合いに見えた。絶世の美男美女の2ショット。マリーは背も高く、アレクと並んでも調度良い身長差だ。何とも映える2人の姿をボーッと見つめていた。  アレクとの身長差や、端正な容姿の彼の隣に平凡でちんちくりんな自分が並んでいるのは滑稽に見えないだろうかと心配になってくる。化粧などで少しは可愛い女の子に見えるかもしれないが、マリーと並ぶアレクを見ていると、あまりにもしっくりくる絵面だった。  以前、アレクと一緒に城を抜け出して城下を見て回った時、何度も親子に間違われた。もしかしたら、今でも周囲からはそう見えているのかもしれない。そんな考えが巡り、少し落胆してしまう。  アレクとマリーは何か話しているが、少し距離があってその内容までは聞こえなかった。しかし、アレクが圭の近くへとやって来ると、圭の手を取って白金貨を2枚握らせる。 「少し野暮用ができた。ケイは先に戻っていてくれ」 「え……?」 「何か欲しい物があればこれで買ってくれ。クリストフ、ケイを城まで送ってくれ」 「かしこまりました」 「え、でもアレク……」 「それと、その髪飾りはケイに全然似合ってない」  ぴしゃりと言い置き、アレクはマリーと共に店の奥へと向かってしまった。その場に残された圭は2人の背中を見送るばかりだった。

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