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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第4章:城下町編 第3話

 アレクたちの姿が見えなくなってしまい、その場で途方に暮れたように立ち尽くしていた。しばらく呆然としていたが、我に返って鏡を見てみる。華やかな髪留めが右耳付近を飾っていた。  しかし、確かにアレクが言うように自分には似合っていないように見えた。こんな高価そうな物、分不相応だ。  髪留めを外して棚へと戻す。商品はどれもキラキラと輝いていて美しい。角度によって見える色が変わり、細部にまでこだわったディテールはまさに職人技といった印象だ。 「私もマリー同様、ケイ様にとてもお似合いだと思いますよ」  クリストフが苦笑しながら別の形をした髪留めを圭へと付けた。しかし、一度似合わないと思った物は何を言われようとも全てが不似合いに見える。 「ありがとうございます。気を遣わせちゃいましたね」  鏡に映る姿はやっぱり滑稽に見えた。こういった宝飾品の類は身に着ける者を選ぶのだなと実感する。  マリーだったらきっととても似合っていただろう。彼女の行きつけだと話していたし、彼女自身もこの店の美しい宝飾品を持つに相応しい女性だ。圭との差をまざまざと見せつけられた気がする。 「ヴァラーラは鉱物の産地としても有名なんですが、この石もヴァラーラで採れたものなんですよ」 「へぇ」  確かに、ユルゲンとの授業で貿易に関する内容の中にそんな話があった気がする。ヴァラーラの鉱物は非常に質が良いことで有名で、貿易品としても人気が高い。富裕層がこぞって買い占めに来ると言っていた気がする。自分には縁のない話すぎてあまりきちんと覚えていなかったが。 「ケイ様は鉱物にも『石言葉』というものがあるのをご存知ですか?」  フルフルと首を横に振る。花言葉なら知っているが、石言葉という単語すら初耳だ。女子と違って宝飾品には興味がなく、その手の話題には疎い。キラキラしていて綺麗だとは思うが、欲しいと思ったことがなかった。 「この石ですと、石言葉は〝真実〟です。ありのままの美しさを持つケイ様にはまさにピッタリですね」  クリストフの言葉に更に落ち込んだ。  今の圭に「真実」と呼べるものなどない。偽りの姿に分不相応な身分。何一つとして自分に当てはまるものがない。クリストフたちを騙しているような気がして申し訳ない気持ちになる。 「じゃあ、似合わないですよ……。私には……」  この店にある物全てが自分と釣り合う気がしない。ここにいるだけで恥ずかしくなってきた。こういう店は、アレクやマリー、クリストフのような高貴な人らが訪れるような場所だ。根っからの小市民である圭には敷居が高すぎる。 「えっと、帰りましょうか……。アレクも帰れって言ってたし」  髪留めを外して元の場所に戻そうとした時、その手を止めたのがクリストフだった。 「分かりました。では、この店からは出ましょう。でも、せっかくなので、その髪留めだけは私からケイ様に贈らせていただくために購入してもよろしいでしょうか?」 「え……?」 「せっかくヴァラーラにおこしいただいた記念にさせてください。私はケイ様にも、この国を好きになっていただきたいのです。シルヴァリアも非常に良い国ですが、ヴァラーラも負けてはおりませんので」  優しく微笑みながら圭の手から髪留めを受け取る。彼が踵を返したところで、ハッとしてクリストフの服の裾を掴んだ。 「そんな高価な物、いただけません」 「いえ、大したことありませんよ。それに、これだけ店の中に居座ってしまったのですから、何か一つくらい購入しなければ店にも悪いですから」  確かに圭たち以外の客は見当たらない。きっと、クリストフたちが気を利かせて他の客を入れないようにしてくれたのだろう。そんな営業妨害をしてしまったのなら、何か一つくらい購入しなければ店側にも申し訳ない。それに、行きつけと話していたマリーの体面にも響くだろう。 「じゃあ、私が買います! お金、アレクにも貰ってあるし」 「それはケイ様が取っておいてください。この後も何か欲しい物ができて使うかもしれませんし」 「でも!」  クリストフが足を止めて圭の方へと振り返る。そして、先を言い募ろうとした圭の唇へと人差し指を当てた。 「女性に出させるなんて格好悪い真似、この国で私がしていたら笑われてしまいます。これは私がしたくてすることなんですから、ケイ様は何もお気になさらないでください」  それ以上は言ってくれるなと言外に含んでいる言葉を察して口を噤む。こんな高価そうな物を何もせずに貰ってしまうなんてさすがに体面が悪すぎる。  しかし、頑としてこれ以上の論を受け入れそうにないクリストフの背中を眺め、困り果てていた。  これまた高そうな箱の中に入れられた髪留めを手渡された。箱とクリストフを交互に見ながら情けなく眉尻を下げていると、苦笑したクリストフが一つの提案を圭へと出してきた。 「それでは、ケイ様からも私に何か贈ってはいただけませんか? それでおあいこでいかがでしょう」 「……ッ! 分かった!」  圭の顔が一気に気色ばむ。交換なら対等だ。クリストフに似合いそうな物はないかとキョロキョロと店内を見回す。 「この店には気を惹く物は見つかりませんね。よろしければ、もう少し街を散策しませんか? もっとケイ様のお気に召す物もあるかもしれませんし、私としてももっとケイ様にこの国を好きになっていただくためにも、いろいろとお見せしたいのです。よろしければ私の我が儘に付き合ってはいただけないでしょうか」 「うん!」  満面の笑みで何度も大きく頷いた。  アレクが傍にいないのは残念だが、知らない街を歩けるのは嬉しい。それに、クリストフがいれば治安の面でも安心だ。万が一にも攫われるようなことはないだろう。  2人で店の外へと出る。未だに日は高い。まだまだ一日は長い。せっかく連れて来てもらえたというのに、このまま帰ってしまうのは勿体ない。 「クリストフさんは……」 「クリストフで構いませんよ。アレクサンダー陛下もそう呼びますし、ケイ様のお立場ですと、その方が自然ですから」  確かにアレクも呼び捨てにしていた。アレクの伴侶である圭も同等の立場として扱われるのであれば、その方が彼にとって都合が良いのだろうか。 「じゃあ、クリストフ」 「はい、何でしょう」  にっこりと笑みを返される。同性とはいえ、美形の笑顔はやっぱり心臓に悪い。僅かに赤面しながら長身のクリストフを見上げた。 「どこか行きたいところとか、見たいものある?」 「そうですねぇ。もしもケイ様がよろしければ、久々に古い町並みなど散策しに行くのはいかがでしょうか。私はあまり城下の警備につくことは多くないので、久しく行っていないんですよね。最近は古民家を利用した店などもよく出店しているとは聞いていたんですが、なかなか足を運ぶ機会がなくて。もしもケイ様の気が向けば、そちらの方はいかがでしょうか」 「何か面白そう! あ……、おもしろそうですね」 「敬語も結構ですよ。その方が私も気楽です」 「じゃあ、俺……、おっと、私にも敬語は無しで話してください」 「さすがにそういう訳にはいきませんので。そればかりはご了承ください」  少しばかり困ったような顔を向けられたため、小さく頷いた。  クリストフの話していた古い町並みは城下の外れの方にあった。それまで見ていたような豪奢な建物ではなく、素朴な建物が並んでいる。しかし、クリストフにとってはこのような建物の方が価値は高く、観光地としても人気なのだという。辺りには観光客らしき人も多く、評判は高そうだ。  クリストフの説明を聞きながら街並みを散策する。建物の材質や建築方法に至るまで詳しく話してくれるため、全く飽きずに眺められた。  そして、気になった店を見つけては入ってみる。観光地価格ではあるものの、先程の店よりも入りやすく、陳列されている商品の価格もお手頃だ。これならアレクから渡されたお金で何でも買えそうだ。 「欲しい物見つかった?」 「うーん、どれも良い物ばかりですが、これ! という決め手に欠けていて悩みますね」 「うわ~、分かる! そういうのよくある!」  どれも良くて甲乙つけがたい。そんな経験は頻繁にしている。その度に友人たちから「圭は優柔不断だ」と言われてきた。  しかし、良い物は良いのだから仕方がない。そのため、食べ物だったら大抵がみんなでシェアして食べる。友人同士であれば、口を付けた物でも全く気にならない。  いくつか店を出入りしてみたが、クリストフは悩む素振りばかりで一向に決められそうになかった。その内に圭の腹の虫が鳴き始める。朝食を少な目にしてきたことと、それなりに歩き続けていたため、昼食としては頃合いだ。  クリストフの勧めで郷土料理を味わえるという店へとやって来た。繁盛している店らしく行列がついていたが、店の責任者らしき人がクリストフと一言二言話すと奥の個室へと案内してくれた。 「ちゃんと並ばなくて良かったの?」 「シルヴァリアの皇后陛下を行列に並ばせたなんてことになれば、アレクサンダー陛下が黙っていないでしょう」 「アレク、そんなに沸点低くないよ? ……多分だけど」  しかし、アレクが列に並ぶような光景など全く想像できない。やはり、言ってはみたものの、前言撤回が必要かもしれない。 「この店の店主とは私の両親が懇意にしているんです。全くお気になさらないでください。それに、こういう店というのは、不測の事態に備えて席をあらかじめ少し残しておくんです」  いたずらっぽく笑うクリストフの言葉の真偽など圭には分からない。しかし、良いというのだから、これ以上は口を噤んだ。  メニューは相変わらずよく分からなかったため、クリストフに一任する。この世界には写真が存在しないため、メニュー表も全て文字だけなのだ。食材に関してはあまり深く学んでいないため、書かれていることが分からない。それなら、慣れた人に任せる方が安心だ。  次々と運ばれてくる料理はどれも昨夜出された料理と遜色がない程に美味かった。むしろ、格式張っていないため、圭にとってはこっちの方が口に合う。  クリストフは穏やかな雰囲気を纏っており、とても話しやすかった。聞き上手な面もあり、いろいろと話してしまう。武人とは思えない程に社交的だ。  そして、知識の幅広さにも驚いた。どんな話を振っても淀みなく答えてくれる。お陰でヴァラーラの建国から発展に至るまで詳しく知ることができた。この知識は今後、何かに役立てられそうだ。  気付いた時にはすっかり昼食の時間を過ぎてしまっていた。店内はまばらになっており、随分と長い時間話し込んでしまったようだ。 「そろそろ城に戻らねばアレクサンダー陛下に心配をかけてしまいそうですね」 「えっ、でも、まだクリストフに何も買ってない!」  買うどころか、昼食の代金さえ知らぬ間に支払いが終わっていた。半分出すと言っても受け取ってはもらえず、ご馳走になってしまった。 「しかし、もうそろそろ夕刻に差し掛かる頃合いです。戻らねば怒られてしまいますよ」 「うん……」  戻れと言われていたにも関わらず、こんな時間まで寄り道をしてしまった手前、それ以上を言うことはできなかった。 「それでは、こうしてはどうでしょうか。明日から会議が始まりますが、実のところ、私は時間を持て余しているんです。警備の者は他にきちんとおりますから。それに、ケイ様も会議にはご出席をされないと伺っております。あぶれ者同士、明日もヴァラーラの地を観光するというのはいかがですか?」 「良いの?」 「ええ。是非ともケイ様にもお見せしたい場所があるんです。ケイ様も会議が始まったら手持ち無沙汰でしょう。よろしければ是非とももっとヴァラーラに興味・関心を抱いていただきたいのです。アレクサンダー陛下はそういった御方ではありませんでしたから」  他国のことを知ることはきっと何かに繋がる気がする。今後の外交面で圭にも何かできることが増えれば、それはアレクの役にも立つはずだ。それがヴァラーラのように世界2位の大国であれば、絶対に損をすることはない。 「じゃあ、帰ったらアレクに聞いてみますね」 「……そうですね」  満面の笑みで告げた圭に対し、クリストフは少し何かを考える素振りをした後、穏やかに笑んだ。何かあっただろうかと不思議に思ったものの、それ以上をクリストフが語ろうとしなかったため、うやむやになってしまった。  城に着いた頃にはすっかり空は夕景へと変わってしまっていた。急いで宛がわれている部屋へと戻ったが、そこにアレクはいなかった。  部屋に圭がいなければアレクはきっと胸のピアスの魔力を辿って圭の元へと来ただろう。それがなかったのだからアレクがまだ戻って来ていないであろうことは想像に易い。しかし、実際にもぬけの殻の部屋を見ると、少し寂しい。  もしかしたら、明日の会議のことで色々と詰めていることもあるのかもしれない。圭に関することを除けば、ほとんどワーカーホリックに近いような生活をしている。圭がいないのだからと仕事をしていても何ら不思議ではない。むしろ、ここまで仕事をせずに旅を満喫していたのだ。その方が奇跡に近い。  肩に掛けていたサコッシュを外してソファに座る。クッションを膝に抱えた。従者が淹れてくれた茶を飲みながら待つも、アレクはなかなか帰って来ない。  段々と窓の外が群青色へと染まっていく。日暮れの時間はあっという間に過ぎていき、気付けばすっかり辺りは夜の暗さへと変わっていた。  部屋で一人ボンヤリしている圭を慮り、茶のお代わりを淹れに来てくれた従者が部屋の明かりを灯していく。そして、また独りぼっちになってしまった。  この旅行の中で部屋の中に一人きりという時間がなかったから、一層寂しさを感じる。いつも城の中ではアレクやユルゲンがいない時は独りぼっちだというのに。  城での一人には慣れている。何かあれば従者を呼べば良いし、本当に用事がある時にはアレクの元へ行けばすぐに解決する。それに、ユルゲンから課されている課題をこなすのに精いっぱいで、割と暇を持て余す余裕がない。  さすがに旅行中にまで課題など持ってくるわけもなく、ただボンヤリと座っていた。  そして、アレクがいなくなったのがマリーと二人きりというのも心労の一つになっていた。  二人きりで何をしているのだろうか。あんなに毎日「好きだ」と言ってくれるアレクのことだから、まさか不倫などということはないとは思いたいが、正直自信はない。  マリーは本当に素敵な女性だ。顔も性格も頭も良い。誰からも好かれそうだ。アレクの隣に並んだ時の似合いの光景を思い出してしょぼくれる。  今頃2人で何をしているのだろうか。クリストフに連れられてヴァラーラの街中を観光した時間だって相応にはあったはずだ。それ以上に時間がかかっている。  こういう時、スマホがないのはツラい。スマホさえあれば、今何をしているのか簡単に聞くことができる。連絡手段がないというのがこの世界の欠点だ。  クッションを抱えたまま、ポテリとソファに横になった。一日中城下を歩き回ったからか、ウトウトと眠くなってしまう。  アレクを待っていたいのに。体が言うことを聞かない。次第に重くなる瞼を支えることすらできず、その場で眠りに落ちてしまった。

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