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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第5章:秘密のお出かけ編 第2話

 クリストフが来たのは、衣装部屋でアレクの服に皺を作ってからすぐのことだった。圭の顔を見た瞬間、クリストフは綺麗な眉を下げた。 「何かあったのですか?」 「えっ、全然! 何もないです!!」  それが先ほど泣いた涙のことを言っているのだとすぐに気づき、慌てて両手を振った。クリストフはしばらく探るような目で見てきたが、愛想笑いを浮かべて誤魔化す。  何も言わない圭に対し、先に諦めたのはクリストフの方だった。 「今日はお化粧をなさっていないんですね」 「あ、えっと、ごめんなさい。なんか、朝バタバタしてて」 「謝らないでください。責めるつもりで言った訳ではないんです。素のケイ様もお可愛らしいと思ったものですから。むしろ、私は今のままの方が好きですよ。ありのままのケイ様を見せていただいたようで嬉しく思います」  頬を撫でられる。剣タコが潰れて硬くなった掌は相当鍛錬を積んできたのだろう。魔術師なのだから、そこまで剣の腕を磨く必要はあるのかと圭は思うが、クリストフはヴァラーラで最高位の武官である。きっと涙ぐましい努力をしてきたのだろう。 「せっかくだから、今日はヴァラーラの服を着てみませんか?」 「えっ、マリーが着てたみたいなやつ?」  胸元の大きく開いた服を想像して驚く。胸のない圭にとっては、あのような服はきっと似合わないだろう。気乗りしない顔をしていると、クリストフが苦笑する。 「いえ、マリーが着ているのは彼女の生まれた地方の服です。ケイ様にはもっと愛らしい服装の方がお似合いかと思いまして」  クリストフの掌が薄緑色に光った。同時に圭の着ていたワンピースも光り出す。 「わっ!」  一瞬のうちにワンピースが変化した。チャイナ服のような詰襟の服に、下はふんわりとしたシフォンスカートだ。ゆったりとした着心地で、締め付け感もなく快適に着られる。 「城下の若い女性たちの間では今、こういった服が流行っているそうです。ケイ様にもお似合いじゃないかと思いまして」  姿見に全身を映してみる。確かに女子がこういう格好をしていたらとても可愛いと思う。  そして、今、髪を伸ばしたままにしている圭は女子に見えるため、特に違和感などはない。 「さて、それでは出かけましょうか」  クリストフは籠の中から丸められている大きな紙を取り出した。クルクルと紐で巻かれていた紙を解くと、その真ん中にはいくつもの魔法陣が描かれている。その魔法陣と似たものを見たことがある気がしたが、どこだったかまでは覚えていなかった。 「何してるの?」 「これで別の場所へと移動します」  服などが置かれていた部屋の扉にクリストフは持って来た紙を貼りだした。そこまでくれば、この魔法陣の柄を思い出した。 「どこでもドアだ!!」  アレクと一緒に夜光花を見に行った時に使った扉。そこにも似たような魔法陣が描かれていた。あの原理を利用すれば、確かにこの場所から目的地へ簡単に行ける。 「どこでもドア?」  クリストフが不思議そうな顔をしていたため、どこでもドアのことを話す。どこでもドアの存在はアレクと2人だけの秘密だが、具体的にどこにあるかを言わなければ大丈夫だろう。目の前に同じ原理の物が存在するのだから。  アレクと行った時に使ったどこでもドアのことを聞いていく内に、クリストフの顔が曇ってくる。不思議に思っていると、クリストフは神妙な顔をしながら圭へと向き直った。 「ちなみに、その技というのは、どれ程の歳月をかけて編み出されたものでしょうか」 「どのくらいって……えーっと……多分、2週間……くらい……?」  明後日の方向を向きながら記憶を手繰り寄せる。夜光花の話を聞いて、しばらくはその話題を忘れていた頃になってから連れて行ってもらえた気がする。1か月は経っていなかっただろう。  圭の返答を聞き、クリストフは更に顔を顰めた。何かおかしなことでも言ってしまったかと慌ててしまう。 「え、何? どうした? 何かあった??」 「いえ…………相変わらず、あの方は化け物級の方だなと思いまして」 「化け物級??」  クリストフは名前こそは出さなかったが、この話の流れだと、きっとアレクのことを指しているのだろう。圭は小首を傾げた。  アレクが何をやらせてもチート級の働きをすることは分かっている。そんなことは今更驚くようなことではない。  クリストフが何にそんなに顔色を変えているのか分からず、ジッと彼のことを見上げていた。  アレクとの身長差で見上げることには慣れているが、クリストフも背が高い。アレク程ではないが、近いくらいの身長はあるだろう。  しばらくクリストフは難しい顔をしながら圭から視線を外していたが、圭に見られていることに気づいたからか、苦笑しながら頬をかいた。 「すみません。お気になさらず」 「いやいや、気にするよ!?」  伴侶の話でそんなに思い詰めた顔をされて、気にしない方がおかしい。尚もクリストフの方を見つめていると、降参とばかりにクリストフが片手を上げた。 「いえ、この転移法というのは、我が一族に古から伝わる秘伝なのです。名だたる魔術師たちが気の遠くなるような年月をかけて編み出した技を……そうですか、たったの2週間ばかりで……」  少々自虐的とも見える口ぶりに今度は圭の方が困ってしまう。  すごい技だとは思っていた。人を移動させることは簡単なことではないとユルゲンにも聞いている。  しかし、正直、そこまでとんでもない魔法だとは理解していなかった。あまりにも簡単にアレクが作ってしまったから。 「あ、でも、アレクもしばらくは分厚い本とか読んだりして、すっごい勉強してたよ! それに、アレクの方はどこからでもって訳じゃなくて、あらかじめ仕込んでおいたドアから目的地にしか行けないし、こんな風に自由に貼って好きな所に行けるわけじゃなかったし!」  必死になってフォローする。自分の一族の秘術をそう易々と真似られては形無しだろう。話題に上げてしまったのは失敗だったかと焦る。ついつい口が滑ってしまったのだ。これからは少し気を付けていかねばならない。 「ケイ様にはお気を遣わせてしまいましたね。申し訳ありません」 「え!? いや、全然!?」  ブンブンと大きく首を横に振った。別に気を遣ったという程のことではない。圭の様子を見ながら、クリストフは少し切なげに目を伏せた。 「あの方の凄さは重々分かっているんですよ。私も魔術師と呼ばれながらも、あの方には遠く及ばない。それ程の差があることくらいは……」  何だか空気が重苦しくなってきた。そんなつもりじゃなかったのに。どうしたらこの雰囲気から抜け出せるか必死になって考える。 「よそはよそ! うちはうちです! 別に今、ヴァラーラとシルヴァリアは戦争とかしてる訳じゃないし、差があったとしても、気にするようなことないと思います! それより、もっと両国が仲良くなることの方が大切だし、戦いみたいなことが起こらないようにするのが大事じゃないですか!」  ズイッとクリストフの方へと身を乗り出して力説する。  圭としてもアレクはチートだと思っているから、彼と何かを比べるなどしようと思ったことすらない。本音を言えば、もはや同じ人類だとすら考えていない。そもそも、魔法が使える時点で圭とはいる場所が違うのだ。  そして、圭とのことで振り回されることだってあるし、彼は万能ではない。離れていた時のことを見ているから、可愛い部分があることも知っている。 「それより! 早く行きましょう! 俺……えっと、私! すっごく楽しみにしてたんですから!!」  クリストフの服の裾を引っ張りながら魔法陣の描かれた紙を貼った扉を指さした。  手っ取り早くこの話題から離れるためには、ここから移動した方が良さそうだ。 「そうですね。せっかくケイ様がヴァラーラにいらっしゃるのですから、時間が勿体ないですね」  クスリと小さく笑ったクリストフの表情は穏やかないつもの彼に戻っていた。そのことに安堵する。  彼が扉の取っ手を握ると、その部分が薄緑色に光り始めた。  ゆっくりと扉が開かれる。その先から漏れる光に圭は目を瞑った。

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