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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第5章:秘密のお出かけ編 第5話

 その場にくずおれた。 「ケイッ!!!!!!」  アレクの必死な声が聞こえる。すぐに抱き起こされ、斬られた肩に手を添えられた。温かく感じるのに、全身が寒い。水から上がった直後以上だ。 「ケイ様!!」  クリストフの声も間近で聞こえてくる。圭へと触れようとしたクリストフの手を払ったのはアレクだった。 「触るな!!!!」 「そんな事を言っている場合ではないでしょう! ここまでの傷、いくら貴方が優秀とはいえ、そう簡単に治せるものではありません! それに、一刻を争う状況です!」  その言葉にアレクは口を噤んだ。圭の肩に触れる手が二つになる。その温かい掌に何だかホッとした。触れられている肩を中心にして熱が全身に巡る。心地良さに口角が上がる。死にかけているというのに不思議なものだ。  必死な顔をしながら圭を見つめる2つの端正な顔。死の間際に訪れるという天使がこんな綺麗な2人だったら、ホイホイついて行ってしまいそうだ。そう考えるだけで少し笑えてくる。現金だと言われてしまいそうだが。 「ケイ! ケイ!! 絶対に逝くな! 逝くなんて許さないからな!」  行先が天国であろうが地獄であろうが、どちらであれアレクなら自分よりも先に死ぬなんて許さないとばかりに迎えに来て連れ戻しそうだ。フフッと笑っていると、また咳き込んで血を吐いてしまう。何か傷ついてはいけない臓器でも傷ついているのだろうか。体が重くて立ち上がれないし、なかなか自由が利かない。  そんな中でも何とかなけなしの力を振り絞って両腕を持ち上げる。圭の肩へと当てられているアレクとクリストフの手首を掴んだ。 「……けん、かは……だめ、だ……」 「今、そんなこと言っている場合ではないだろう!」 「そうですよ!」  フルフルと首を横に振る。今だからこそ言わねばならない。 「だっ……て……あれ、く……とめ、ないと……ぜったい……やばい、こと……しそう、だから……」 「そうだな、ケイがこの世からいなくなったら、腹いせにこの国はとりあえず滅ぼすとするか」 「とりあえずで祖国を滅ぼされては堪りませんね」 「ははっ……ごほっ、ごほっ」 「ケイ!!」  思わず笑ってしまう。そのついでとばかりに咳き込んでしまい、更にアレクたちを心配させる。  こうして見ていれば、結構馬の合いそうな2人なのに。どうして仲良くできないのだろう。世界最強の2人が組めば、何でも出来そうだ。どんな不可能だって可能になりそうだし、それを一番近い特等席で見ていたい。  嫌だ。死にたくなんてない。まだまだやりたいことだってたくさんある。  それに、何より、アレクを残して逝きたくない。  ポロポロと涙が溢れてきた。心配そうなアレクの声がして、ズビリと鼻をすする。 「2人が……ちゃんと、なか、よく……して、くれない、と……おれ、ほんと……しん、じゃうかも、よ……?」 「だったら、このいけ好かない奴とでも仲良くしてやる。2人でワルツでも踊れば満足か?」 「御冗談を。手が腐り落ちてしまいます」 「ほら、ケイ、こいつはこういう奴だ。俺が仲良くしてやろうと言っても、こいつの方から拒否される」  思わず苦笑してしまう。しかし、今度は咳き込まずに済んだ。  肩の痛みも徐々に和らいでいっている気がする。2人がかりで治療されているからだろうか、治りが早いように思う。  息苦しかった呼吸も楽になり始めた。斬られた直後はゼェゼェと息をしていたが、今は落ち着いて呼吸ができている。  しばらくした後、肩の痛みがなくなった。斬られた肩の部分の服を脱がし、アレクが確認する。そこにあった傷が消え、元の通りに戻ったのを確かめると、圭の体をきつく抱き締めた。  血を流しすぎたからか、何もする気になれない。ボーッとしながらアレクの胸に顔を埋めていた。 「馬鹿が……。何をしているんだ……」 「だって……俺いると、アレク、俺守るばっかりで、大変そうだったから……」 「だからと言って、それでケイが怪我をしてどうする」 「ごめん……。そうなるなんて、思ってなかったんだ……」  圭を抱くアレクの腕に更に力が籠った。しかし、疲労困憊の体は呻く余裕すらない。 「ケイ様、申し訳ございません。まさか、貴方に剣を向けてしまうとは……」 「大丈夫だよ……。俺、ちゃんと生きてるし……。こっちこそ、ごめんな。変なことしちゃったから……」  圭があの時、アレクのことを押していなければ、クリストフの太刀筋をアレクはきちんと防いでいただろう。  それに、意図せずとはいえ、好意を寄せている相手に怪我をさせてしまったという経験は、クリストフに自責の念を抱かせてしまったはずだ。  また余計なことをしてしまった。本当にやることなすこと失敗ばっかりだ。 「あんな傷を負って、生きているのが奇跡なくらいなんだからな!? 頼むからもうこういうことはやめてくれ。命がいくつあっても足りない。心臓が縮む思いをしたぞ」  アレクの腕の中でコクリと頷いた。さすがにもうこんな無茶だけはしないと心に誓う。  抱かれているアレクの腕から治癒魔法を施されているのだろう。脱力していた体へと徐々に力が戻りつつあるのを感じていた。少し腕を上げるのでやっとというくらいまでしか体が言うことを聞かなかったのに、今なら自分で立って歩くこともできそうだ。少し前まで死にかけていたというのに。 「ありがとう。もう大丈夫そう」 「本当か?」  力強く頷いた。アレクの腕の中から飛び出し、グルグルと斬られた方の腕を回してみる。もう痛みも何も感じない。 「ほらっ!」  満面の笑みで両腕を上へと上げ、万歳ポーズをする。そんな圭を見ながらホッとしたように一つ頷くと、アレクも立ち上がり、圭の肩や肘などを触って確認をする。 「どこも痛くはないか?」 「うん! 全然痛くない! ありがとう!」  アレクに抱きついた。頭を撫でられながら髪にキスをされる。  またこうして抱きつけるのが嬉しい。 「ケイが元気になって何よりだ。それでは、この状況になっている説明をしてもらおうか」 「え……?」  ギクリと体が強張る。緩慢な動作で頬擦りしていたアレクの胸元から顔を上へと上げる。そこには、笑ってはいるものの、どう見ても怒っているアレクの顔があった。コメカミには青筋が浮き、何と言っても目がギラギラと睨んでいる。  これは相当怒っている。まずい。本能が危機を訴える。 「どうして部屋の中にいるはずのケイがこんな所にいて、男と2人きりになって抱かれているんだ?」 「ひぃぃぃっ!!」  ギリギリと抱き締めてくるアレクの腕の力によって足が浮き上がる。痛いというよりも怖さが上回り、ガクガクと全身が震えていた。 「おやめください! ケイ様が怖がっているではありませんか!」 「ああ、そうだな。先にお前を始末しなければならないよな」 「ふぎゃんっ!」  パッとアレクの腕の力が抜ける。その場に落ちて今度は尻もちをついた。 「いってぇ……」  尻を擦っている間にアレクとクリストフたちがまたもや剣を構え始める。それを見て圭は咄嗟に両手を広げて2人の前に立ちはだかった。 「おぃぃぃぃぃぃっっっっっっ!!!! だぁ~かぁ~らぁ~、喧嘩はダメだって! 言ってんの!!」 「喧嘩じゃない。殺しあいだ」 「なおさらダメに決まってんだろ! 何で殺しあいなら良いと思ってんだよ!」 「不貞を働くような奴はきちんと始末しておかねばならないだろうが」 「じゃ、じゃあ、俺が! 責任取るから!」 「ケイが?」  アレクが怪訝な顔をする。コクコクと何度も頷く。  もはやこの世界では敵う者なしのアレクとクリストフでは差があるはずだ。先ほどは圭を守りながらで防戦一方であったが、そのハンデがなければアレクの方に分があるだろう。  シルヴァリアの国内の者であればまだしも、他国の騎士を殺してしまえば、戦争は必至だ。言い訳のしようがない。  大国であるシルヴァリアが勝利するだろうことは予測できるが、また自分のせいで血が流れるのを見たくない。  そこから新たな負の連鎖が起こるかもしれないし、そもそも、そんな悲しい思いをするような人が出てはならない。 「俺が行きたいって誘った! アレクにはちゃんと言おうと思ったけど、アレク昨日帰って来なかったじゃん!」 「戻っては来ただろう」 「でも、俺起きてる時に戻んなかった! アレクの方が酷いじゃんよ! 女の人とずっと一緒で……」  話していると段々涙が浮かんできた。  先に寂しい思いをさせたのはアレクの方だ。不安だったし、置いて行かれたようで悲しかった。 「それは……」 「アレクの馬鹿ぁ! ここでクリストフ殺したら、もう絶対離婚だからな!!」 「……そんなことを許すと思うか?」 「許す許さないとかじゃないから! アレクのこと、絶対嫌いになるからなー!!」  ボロボロ泣きながら膝が折れた。その場に膝立ちになった後、それすらもできなくなってしゃがみ込む。 「馬鹿! アレクの馬鹿ぁ! 浮気野郎!」 「そんなことしていないだろう」  剣を収め、アレクが圭の傍に膝をつく。そっと抱かれそうになり、その腕を払いのけた。 「うっせー! 相手を不安にさせたらもう浮気なんだよー!」 「じゃあ、ケイのこれも浮気ではないのか?」 「ちげーし! 俺のは浮気じゃないもん!」 「……さすがにもう言っていることとやっていることの矛盾が酷いぞ」  呆れたように溜め息を吐かれる。  圭自身も本当は分かっている。アレクの行動が浮気になると主張するのなら、圭のやっていることも同様だ。  しかし、ここで認めてしまえば、収集がつかなくなる。 「やだやだやだやだ! 浮気するようなアレクは嫌いー!!」 「だから、浮気ではないと何度も言っているだろう。それより、嫌いという発言は取り消せ。いくらケイでも、それは許せない」  アレクが圭の肩へと手を置いた。ギリリと痛いくらいに掴んでくる。それすらも振り払って、目の前のアレクをポカポカと叩いた。 「アレクの馬鹿馬鹿馬鹿野郎~~~~~!!!!」  もうただの癇癪だ。ひとしきり叩いた後、アレクの方から抱き締められる。  今度は振り払わなかった。代わりにギュッと抱き着く。 「俺、アレクのこと、いっぱい好きだもん……。俺にはアレクだけだもん。……浮気なんてしないし、考えたこともないもん……」 「そうか、俺のことがいっぱい好きか……」 「うん……」  何度もアレクの胸の中で頷いた。しゃくり上げている背を撫でてくれる手は優しい。 「じゃあ、どうして大好きな俺以外の痕が付いているんだ?」 「あっ……」  アレクの指摘が先ほどクリストフに付けられたキスマークのことだと気付き、一気に涙が引っ込んだ。 「あのぉ……えっと、こ、これはぁ……」  緩慢な動作で顔を上げる。口だけ笑みの形でとんでもなく怒っているアレクが圭のことを見下ろしていた。 「予想外の事故!」 「どんな言い訳だ。無理があるにも程があるだろう」  ハァと溜め息を吐きながらアレクがクリストフの付けたキスマークの上に唇を重ねる。強く吸われ、更に紅い痕がついた。 「人の物に手を出すなんて、許しがたい蛮行だな。それも、シルヴァリアの皇帝である俺の物にだ。……さて、どう落とし前を付けてもらうか」 「くっ……」  クリストフの周りの植物が急速に伸び、彼の体躯をガッチリと拘束する。足元も一纏めに括られ、クリストフはその場に倒れ込んだ。 「クリストフ!」  アレクの腕の中から彼へと向けて手を伸ばした。その手をアレクに握られる。 「酷いことすんなよ!」 「してないだろう。傷一つ付けていない。随分と譲歩してやっていると思わないか?」  確かに、圭がいない所では平気で他人を傷つけられるアレクにとって、ただ拘束しているだけなど何もしていないに等しい。それ以上抗議できず、口を噤んだ。 「あんな取るに足りない者よりも圭の方だ。さすがに今回のことは見過ごせない」 「でも、俺だってちゃんと昨日アレクに言おうとはした!」 「しかし、結果としてできていないだろう。もしもやろうとするなら、寝る前に手紙を書いておくことだってできただろうし、やり方はいくらでもあったはずだ」 「だって、しょーがねーじゃん。眠かったんだもん」 「そんな子供のような理由や説明で俺を納得させられると思うのか?」  呆れたように言うアレクの言葉にグゥの音も出ない。  自分だってしょうもないことを言っていることくらいは分かっている。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。これ以上の言葉など持ち合わせていない。 「……………………ごめんなざいぃぃ……………」  降参だとばかりに謝る。  本当は分かっているのだ。ヤキモチ焼きのアレクが誰か他の者と一緒に圭がどこかへ行こうものなら絶対に許さないということなど。  だから、ここまで意地を張ってきたが、もうこれ以上は無理だ。心の底から謝罪するしかない。 「ケイは俺のことが好きなんだよな?」  ウンウンと何度も首肯した。これは何も偽りがない。アレクのことは本当に大好きだし、愛している。 「じゃあ、俺のことが好きすぎて他の女と一緒にいたのが嫌だったのか?」  ゆっくりと1回頷いた。  やはり、昨日の光景を思い出すと胸の中がモヤモヤする。  ギュッとアレクの胸に顔を押し付けた。きっと変な顔をしているだろうから。  アレクはそんな圭のことを抱きすくめる。 「俺だって、愛するケイにヤキモチを焼かれたことは正直まんざらでもない。ケイが俺の行動でそういう気持ちを持っていたって改めて分かったしな。それに、泣かせてしまったことは俺も悪かったとは思っている。……それにしても、ケイが嫉妬するほど俺のことが好きっていうのは悪い気がしないな」  ギュッと腕の力を強められた。アレクの機嫌が少し回復したように感じてホッとする。 「別に、俺だって、今までそういう状況になんなかったからしなかっただけで、普通に好きな奴が別の人といたらヤキモチくらい焼く」  シルヴァリアの城の中では限られた人たちとしか会えない。アレクが仕事の時などには異性とも会うことがあるだろうが、圭の目の前で会うということがないため、そういう光景にお目にかかったことがなかった。 「そうか。じゃあ、俺の気持ちも圭はきちんと分かってくれるよな?」 「うっ……」  脂汗がダラダラと流れる。もう何を言っても藪蛇になる気しかしない。 「ケイにもしっかりと。落とし前を付けてもらうとするか」  チラリと見上げたアレクの顔は、その言葉には不似合いなほど爽やかだった。

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