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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第5章:秘密のお出かけ編 第8話

 目覚めた時、柔らかなマットレスの感触と軽くて暖かい掛け布団の温もりに包まれていた。 「うっ」  起き上がろうとしても、腰の奥の鈍痛でうずくまる。しばらく痛みをやり過ごしていたが、頭を撫でる大きな掌によって顔を上げた。 「……さすがに無理をさせすぎた」  裸体のアレクに抱きすくめられ、反射的に体がびくついた。小さな震えが止まらない。相手はアレクなのに、体が言うことを聞かなかった。 「ダメだろう、俺以外の者といたら」 「まだ、怒ってる?」 「怒っている」  ギュッと抱き着いた。謝罪の意思も込めて。 「でも、俺もあんなのされたらやだ。前のアレクみたいで怖い」 「それは……謝る」  チュッと額にキスをされた。それだけで震えが収まる。何とも現金な体だと思いつつも、アレクのことが好きな体は結局優しく愛されれば絆されてしまうのだ。 「……ちゃんと、話、したい」 「そうだな。俺もケイの中にある誤解を解きたい」 「誤解?」  どのことを指しているのか分からず、アレクの腕の中で首を傾げた。 「あ、でも、その前にクリストフ!」  ハッとして起き上がろうとするも、やっぱり腰の奥の鈍痛でベッドに転がった。 「そんなにあいつが心配か?」 「そりゃ心配するだろ! ま、まさか殺してないよね!?」 「殺したいのは山々だが、殺せばケイにそれこそ一生口を聞いてもらえなくなりそうだから、意識をなくしてその場に転がしてきた。明日にもなれば気も付くだろう」 「え、あの草とか大丈夫なの?」 「魔力だけは解いてある。魔法さえかかっていなければ自力で抜け出して戻ってくるだろ」  渋々といった表情で吐き捨てるように言ったアレクに対し、圭はホッと安堵の息を吐いた。その場に放置しているのはいただけないが、殺したり致命傷となるような傷をつけなかったりしただけでも今のアレクにしては上出来だ。クリストフには大変申し訳ないが、明日、自力で戻って来てもらうとしよう。正直、これ以上厄介なことに巻き込まれるのは圭としてもごめん被りたかった。  それに、あんな行為を見せつけておいて、合わせる顔がない。 「それでは、今度はこちら側の誤解を解いておきたい」 「誤解って……」  圭の胸が痛んだ。多分、アレクが言っているのは昨日ほったらかしにされたことを言っているのだろう。ジクジクと疼く左胸に手を置いた。  アレクは〝誤解〟と言っているが、「圭の他にも妻を娶る」などと言われたらと思うとやっぱり容認できる気がしない。アレクが誰かを愛でる姿なんて想像できないし、したくもない。  ギュッと目を瞑って覚悟をしていたが、もう一度抱き締められてキョトンとする。 「だから、ケイが心配するようなことは何もない」 「で、でも……」  呆れたような声が頭上から降って来る。強張っていた体から力を抜き、そろりと瞼を開けてみた。少し不貞腐れているアレクが圭の顔中にキスをしてきた。 「こんなにケイを愛している俺が、ケイ以外に目をくれることなど未来永劫、絶対にありえない。むしろ、ケイを見た奴など、全員の目玉を抉り取ってしまいたいくらいには思ってるんだぞ? どこにも行けないように閉じ込めて、俺だけがケイの世界の全てでありたいというのに」 「……さすがにそんなのやだ」  顔を顰めて不満を表す。圭が許せばアレクなら本当にやりそうだから怖い。今だって立場上、好き勝手に外へ出られないというのに、それがまた更に悪化したら、それこそ以前のような監禁生活だ。さすがに足枷まではされないとは思うが。……いや、思いたいという方が正解か。手が付けられないほど怒った時のアレクなら何をしても不思議ではない。何せ、心を改めたとはいえ、前科があるのだから。 「心配をさせてしまったのは何度でも謝る。ただ、ケイも俺を少しは信じてくれ。ケイ以外に誰かを愛することなんてないし、他人になど何の魅力も感じない。欠片たりともな。ケイがいなければ俺は人を愛することすら知らずに死んでいっただろうし、誰かのために何かをしようなんてことは一切思わなかった。何度だって言うが、俺にはケイだけなんだ。ケイ以外のものは全て些末なことだし、ケイのためだけに俺がいる。ケイが望むことなら何でもしよう。それこそ、世界だって……」 「うわー! 全ッ然望んでない! 平和! 俺、平和大好き!! 普通の生活で良いんだって!!!」  全てを差し出されたところで、それが誰か他の人や何かの犠牲の上に成り立っているのであれば、絶対に受け入れられない。平和な日本でのほほんと暮らしてきたのだ。野心なんてないのだから。 「そうか? 気が変わったら言ってくれ。いつでも何でもケイのために差し出そう」  抱き締めながらキスしてくるアレクは相変わらず怖いことばかり言っている。  とりあえず、浮気の類がないことだけは受け入れることにした。  しかし、だからと言って綺麗な女の人とずっと一緒にいたという事実は消えない。 「分かった。アレクを信じることにする。でも、じゃあ何してたか教えてよ」 「今か。……まあ、良いか。少しばかり早まるだけだしな」  アレクは少し悩んだ素振りを見せた後、圭を横抱きにしてベッドから降りた。フワリと2人の周りに白い光がまとわりつく。眩しくて目を瞑る。瞼の裏の光の洪水が収まった後、ゆっくりと瞳を開いた。  アレクの格好には見覚えがあった。結婚式の日にだけ着ているのを見た、あの白い厳かな礼服だ。  そして、圭もあの日の服を着ていた。ただし、苦しいばかりのコルセットや凶悪なクリスタルのハイヒールはない。真っ白いドレスだけだ。 「では、行くとするか」  アレクの足元に赤い光が走る。見慣れ始めた転移のための魔法陣だ。光から目を守ろうと、瞼が降りる。アレクの首へと抱き着いた。浮遊感の後、徐々に光が消えていく。  目を見開いた時、辺りは静寂に包まれていた。少し肌寒いくらいのひんやりとした空気。キョロキョロと辺りを見回すが、既に日が落ちてしまっていて何も見えない。 「ここは……?」 「ベミェの神殿だ。……とは言っても、太古の昔に朽ち果てて、今や誰も入れないようにはなっているがな」  アレクの周りに白く光る玉がいくつも現れた。玉が放つ光によって、辺りがほんのりと照らされる。重く閉ざされた石の扉には蔦が這い、周囲の壁も覆っている。相当長い年月、この扉が使われていないことを表していた。  アレクが目を閉じ、呪文を詠唱する。すると、目の前の扉が鈍く光り出し、ゆっくりと開き始めた。ブチブチと音をさせて蔦が切れていく。  扉が開ききると、その先にはまた真っ暗な通路が続いていた。アレクが何の躊躇もなく歩き出す。 「俺、降りるよ」 「ダメだ」  ぴしゃりと即答される。靴もなければ腰の奥も痛いし、あまり歩ける状態とは言い難いが、ずっと抱えられているのも申し訳ない。しかし、どうせ何を言っても下ろしてくれそうな気配もなかったため、それ以上口にするのをやめた。  仮に歩けたとしても、裾の長いドレスを持ってくれる人もいない。汚してしまう訳にもいかないし、ここはアレクに任せることとした。  神殿の奥の方から水の音が聞こえてくる。不思議に思っていると、天井がなく、開けた場所に出た。中央には高さが10メートルはありそうな巨大な噴水が設置されていた。今も勢いよく水が噴き出している。長い間誰も使っていなかった場所だと言っていたのに、どうなっているのだろうか。 「アレク!?」  アレクは何の躊躇もなくその噴水の中へと足を踏み入れた。服や靴が濡れてしまうことすら厭わない。ザブザブと進んで行き、巨大な噴水のたもとまで来た。飛沫はかかるが、びしょ濡れになるという程ではない。それよりもアレクの方が心配だ。アレクの長い脚でも膝の上くらいまで水に浸かっている。  訳も分からずキョロキョロしていると、アレクがまた何かを詠唱し始めた。噴き出していた噴水の水が割れる。まるでモーゼのようだ。 「えええええ!?」  割れた噴水の先には道が続いていた。広間の中央には円形の池があり、その中央に噴水があったというのに。暗く続いている道の中へとアレクは光の玉たちを従えて躊躇なく歩いて行く。  真っ暗で何も見えない。先も、後ろも。それでも、アレクは分かっているように圭を抱いたまま歩みを進めていた。  何だか怖くてアレクに抱きつく手に力を込める。こんな所で一人きりにされたらどうして良いか分からない。  しばらく進んでいくと、再び重厚な扉が行く手を阻んだ。今度は細部にまで細工の施された鉄の扉だ。少しばかり埃を被っているものの、傷や汚れはない。大切にされていたのであろうことを見ている者に伝えてくれる。  3度目の詠唱。今度は少しばかり長かった。呪文を間違えているかと心配し始めた頃、やっと扉が動き出した。  開いた先は、円形の広い部屋。壁側には巨大な石像がいくつも並んでいる。神話に出てきそうな豪華な装いの像ばかりだ。これらも高さは優に10メートルを超えていそうだ。見上げてばかりで首が痛くなってくる。  部屋の中央には石造りの祭壇が置かれていた。むしろ、それ以外は何もない。20体以上の巨大な石像が置かれているだけだ。  アレクは部屋の中央まで歩いて行き、その祭壇へと圭を座らせた。ひんやりとした冷たくて硬い石の感触。キョロキョロと辺りを見渡した後、アレクを見れば、圭の前に膝をついていた。 「あ、ああああアレクぅぅぅ!?!?!?」  突然畏まられても困るばかりだ。祭壇から降りようとしたが、アレクに制止される。訳が分からず混乱していると、アレクは腰に付けていた袋の中から一つの箱を取り出した。 「あっ……」  高価そうな布で覆われ、細かな装飾の施された小さな箱。パカリと開いた中に鎮座していたのは、2つの指輪だった。細身のリングの中央には七色に光る小さな石。シンプルながらもその石の存在感は大きく、一度見てしまえば視線が外せなくなる。 「順番が逆になってしまったが、受け取ってほしい」 「俺、そういうのいらないって……」 「ただの俺の自己満足だ。今後、誰かケイに初めて指輪を贈る者が現れたら困る。ケイの〝初めて〟は全て俺でなければダメなんだ。今後一切、ケイにとっての〝初めて〟は全て俺と共にある。俺以外なんて絶対に許さない。ケイ、未来永劫、俺と共にあってくれ。俺が死ぬ時は一緒に死んでほしいし、ケイが死ぬ時は俺も共に逝こう。俺たちはどこまででも一緒だし、俺の隣にケイがいない時はありえない」 「俺、多分、アレクよりも若いから、アレクよりも長生きするよ……」 「ダメだ。ケイは俺と共にずっとある。俺が逝った後、誰かの隣でケイが笑ってるなんてことは絶対に許さないし、俺が死ぬ前にケイを殺すか看取った直後に死を選べ」 「勝手だなぁ……」 「俺は元々勝手な男だ。だが、ケイの前以外で俺がかしずく者などこの世にはいない」  アレクが2つ並んでいる指輪の小さい方を箱から抜いた。圭の左手を取る。 「ただ、これだけは約束する。俺はケイを生涯、必ずや幸せにする。俺たちが死ぬ直前まで俺と共にあったことを微塵も後悔なんてさせないと誓おう。ケイの幸せは俺と共にあると約束する」  薬指へと嵌められていく指輪。いつの間に測っていたのかと驚くくらいサイズもピッタリだった。 「ケイ、俺の愛を受け入れてくれるのなら、ケイから俺にも嵌めてくれ」  アレクが立ち上がり、圭の手に指輪を握らせた。圭の指に光るものよりも少し大きいサイズの指輪を持ち、凝視する。  きっと、アレクにとってのプロポーズのつもりなのだろう。船で話したことをどうしてもやりたかったのだとするのなら、何とも可愛らしくも思う。この指輪も、昨夜作ったというところだろうか。 「全く、こういうのはさぁ、ちゃんと言ってくれたら俺だって誤解とかしなかったのに」 「言えば絶対にいらないって言われるだろうと分かっていたからな」 「うん、まあ、そうなんだけどね」  指でリングを弄りながら悩む素振りを見せる。  既に結婚しているのだから、正直、今更プロポーズを受け入れないなんていうことはない。  ただ、あまりにも物騒な言葉ばかりでアレクらしすぎる。 「ケイ」  少しばかり焦りが籠められた言い方で名を呼ばれる。クスリと笑い、アレクの左手へと手を差し出した。少しホッとしたような顔でアレクが圭の手へと指を重ねる。 「プロポーズってのは、そういう物騒な脅し文句じゃなくて良いんだって。一生傍にいてください。……これで良いんだよ」  アレクの薬指へと指輪を嵌める。互いの指に嵌まった揃いのリングを見て、意外と悪くないなと悦に入る。 「アレク、返事は?」 「当然だろう」  ギュッと抱き締められた。力強い抱擁。この腕の中にいるだけでホッとする。  とんでもない約束をしてしまった気もするが、できうる限りアレクには長生きをしてもらうとしよう。そうでなければ、圭の余命にも関わってくる。  アレクのことだから、自分が死ぬ時にはきちんと圭も一緒に死ぬように段取りしかねない。それこそ、約束を違えれば世界中どこにいても追われそうだ。世界最大の大国の皇帝を相手にするということは世界中の人たちを敵に回すことと同義になりえる。シルヴァリアに敵対したところで、得など何もないのだから。  そして、圭自身もきちんと長生きをしようと決意する。病気にでもなって早死にでもしたら、アレクなら国のことなどそっちのけで本当に追ってきそうだ。シルヴァリアのためにも、絶対にそれは避けなければならない。 「ケイ……」  近づいて来る端正な顔。当然のように目を閉じた。受け入れる唇。熱く貪られ、アレクへと身を委ねる。約束のキスは情熱的で、うっとりと陶酔するばかりだった。

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