89 / 90
【第2部 ヘルボルナ大陸】 第6章 旅の終わり編 第3話
目覚めた時、圭の体は用意されていたパジャマを身に着けていた。メイクによる顔のごわつきもなく、体もスッキリしている。昨夜、圭が眠りについた後に全て綺麗にしてくれたのだろう。よくあることとはいえ、何でもアレクにさせてしまうのはやっぱりしのびなくもある。
「おはよう、ケイ」
圭の額を撫でながら優美に笑んでいるアレクの姿は相変わらずカッコいい。アレクは寝起きでも隙がない程の美丈夫だし、そんな人に見つめられながら目を覚ますというのは何度経験してもその度に照れる。
「おはよ」
少し照れくさくてアレクの胸の中へと顔を埋めた。今日もアレク特有の爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。アレクの胸に顔をくっつけたまま大きく深呼吸を一つ。肺の中までアレクでいっぱいになったような気がして朝から満足する。
「こら、それじゃあ可愛い寝起きが堪能できないだろう?」
「どーせ、起きてからずっと見てたんだろ?」
「もちろん。可愛いケイの顔を独占できるのは伴侶である俺の特権だからな。でも、そろそろケイの美しい黒い瞳が見たいんだ」
耳元で囁かれ、胸がキュンと鳴る。そんな風に優しくお願いされたら、断れるはずなんてない。
ゆっくりと顔を上げた先。満足そうなアレクが笑んでいた。
「やはり目覚めている時のケイが一番良い。この瞳に映るのが俺だけなのが堪らない」
頬を包まれる。犬にするように撫でられた後、唇へキス。舌を絡めた情熱的な口づけは朝からするには少しばかり濃厚だ。
「んっ、あれくぅ……」
体が熱くなってくる。昨夜、出さずに眠ってしまったため、溜まった一日分の精液が体の奥で渦巻くようだ。毎日抱かれる生活を送っているので、少し溜まるだけで射精欲へと繋がる。
しかし、アレクはそんな圭のお誘いには珍しく乗ってこなかった。
「今日はヴァラーラを出る。帰ったらたくさん抱いてやるから、今は少しばかりお預けだ」
チュッと額にキスを一つしてアレクはベッドから起き上がった。
今まで圭の方から誘えば大抵そういう雰囲気になっていたため、アレクのこの行動には驚きを隠せない。
既にベッドを降りているアレクの元へと駆け寄り、背後から抱きついた。
「俺、アレクの嫌なことした?」
「何もしてないだろう。一体どうした」
「だって、アレク、何かいつもと違う感じしたから」
昨夜もアレクに全てさせてしまったから、いい加減呆れられてしまっただろうか。ギュウギュウと抱き着いていると、アレクの手が穏やかに圭の頭を撫でてきた。
「そろそろいい加減、国に戻って圭を存分に堪能したいだけだ。ここにはいけ好かない奴もいるしな」
「でも、それなら会議とかパーティ終わってすぐ帰らなかったのは?」
「そんなすぐに帰れば、今回の会議に不手際や不満があるように思われるだろ。今日までは部屋も用意されているし、きちんと国へ戻る前の挨拶くらいはする。一応はその程度の常識くらいは俺だって持ってる」
「そっか、良かった」
ホッとしてアレクから体を離そうとしたが、そうはさせぬとばかりにアレクの腰に回した腕を掴まれる。
「抱いてもらえなくて我慢できなくなったか?」
「そ、そんなんじゃないし!」
腕を引っこ抜こうとしても腕力では全く敵わない。ムキになっていると、逆に手を引かれて抱き上げられた。
「心配しなくても、国へ戻ったら嫌というほど抱いてやる」
「だーかーらー、そんなんじゃないってば!」
「それとも、今ここで一発抜いてやろうか? ケイの可愛い息子だけなら、可愛がってやっても良いぞ? さすがに俺のをハメたら俺の方が止められなくなりそうだから、今ここではしないが」
「い、いらない! いらないってばぁ!! アレクのエロ親父!!」
「親父……」
地味にショックを受けてしまっているアレクに、さすがに禁句だったかと口を閉ざす。代わりとばかりに頭を撫でてやる。
「ごめんて。思ってないよ、そんなこと。それとも〝変態〟って罵った方が良かったか?」
「ケイ、俺は別にそういう言葉で興奮しない」
「あっ……ご、ごめん」
意気消沈してしまったアレクを慰めるためになぜか胸を吸われて絶頂を迎えさせられるという行為に耽り、朝からどうしてこうなったのかよく分からないままに朝食へと連れて来られる羽目となった。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
ヴァラーラでの最後の食事となる朝食を美味しく平らげ、メイクなどの支度を整える。こんなに頻繁に化粧をしたのも初めてだったが、慣れというものは恐ろしい。完成した美女の姿にも驚かなくなってきた。自分でやれと言われてもそこまでの能力はないが。
運び込まれていた大量の荷物は全て従者たちが後日シルヴァリアへ持ってきてくれるということで、行き同様に手ぶらで帰路につくことになるそうだ。
少し悩んだが、クリストフに買ってもらった髪留めはアレクに見つからないようコッソリ荷物の隙間に潜り込ませておいた。返そうかどうしようか迷ったが、既に購入してしまっているし、返されたところでクリストフにも使い道なんてないだろう。人の善意を無碍にする気にもなれず、とりあえず持ち帰ることにした。
「もう、新婚旅行も終わりかぁ……」
窓の外を眺めながらポツリと呟いた。シルヴァリアとはまた違った中国を彷彿とさせる光景が広がるヴァラーラの風景もこれが見納めとなる。
「足りなかったか?」
「そんなんじゃないけど、やっぱり旅の終わりって寂しいじゃん?」
「俺は今までそういう気持ちになったことがなかったが、確かにそう言われれば寂しくも感じるな。ずっとケイと一緒にいられたからだろうな」
「変だよな。別にシルヴァリアに戻っても一緒なのに。やっぱ、非日常感とかそういうのなのかな」
「だが、俺はケイと一緒にいるならシルヴァリアの方が良い。邪魔者もいないし、面倒な仕事もないしな。それに何より、いつも通りのケイを愛でられる」
頭頂部にキスをされ、髪を撫でられた。確かに、こんなに長く髪の毛を伸ばした状態にし続けていたのも初めてだ。こちらも少しは慣れてきたが、やっぱりいつもの長さが動きやすいし調度良い。
「それでは挨拶をして戻るとしよう。ケイにはシルヴァリアがよく似合う」
「うん!」
肩を抱かれて部屋を出る。圭の肩に置かれたアレクの薬指には、七色に輝く小さな石のついた指輪が今日も光っていた。もちろん、圭の同じ指にも。
ミシェル国王夫妻のいる謁見の間に辿り着くと、夫妻は大いに別れを名残惜しんでくれた。
「また用がなくともいつでも気が向いたらいらしてくださいね。今度はケイさんともお茶の席をご一緒したいわ」
「その時は是非ともお願いします。楽しみにしてますね」
本当に残念そうにしているエリザベート王妃を見ながら、今度はきちんとティータイムのマナーを会得してから訪れようと心に誓う。食事のマナーまでは何とか行きついたが、さすがに茶会の作法までは習得できていない。
その前に、今回の訪問までに茶会の授業が一切なかった。元々、今回のヴァラーラ国訪問に圭が茶会に出席する予定など端からなかったのだろう。あればユルゲンが死ぬ気で教えたはずだ。
「ご夫妻もいつでも気軽にシルヴァリアへお越しください。私もケイもご夫妻であれば歓待いたします」
「はは、ぜひともその時にはまた酒を酌み交わしましょう。ケイ様がいらっしゃれば、アレクサンダー陛下も饒舌なようですから」
「ぜひともまたあの素敵な踊り、見せて下さいませね」
「今度はもっと凄い技をできるようにしておきますね!」
「ケイ、そこはそんなに頑張らなくて良いところだ」
一斉に笑い声が巻き起こる。昨夜のダンスを非難されるどころか楽しんでもらえたようで何よりだ。少しばかり気にしていたため、心の底から安堵する。
「それでは、これで私たちは失敬します。またの機会に」
互いに礼をし合う。扉へと歩く最中、広間の隅にマリーとクリストフの姿が視界に入った。
少し悩みはしたが、アレクに言えば絶対に止められる。だから、何も言わずに駆け出した。
「ケイ!?」
アレクの驚いた声が響く。その声を背にしながら、クリストフの前で立ち止まった。
「ケイ様!?」
長身のクリストフを見上げる。驚愕に見開かれた目は圭のことをまじまじと見下ろしていた。
「ごめんなさい!!」
クリストフに向けてほぼ90度のお辞儀をする。頭を上げるよう言われるも、頑としてその言葉を聞き入れなかった。
「いっぱい、いっぱい、いろいろなこと、ごめんなさい!」
せっかく気を遣って素敵な場所へと連れて行ってもらえたというのに、酷い痴態を見せつけた挙句、その場に置き去りにするという何とも無礼な仕打ちの数々は謝っても謝り切れるものではない。
しかし、圭には謝ることしかできなかった。
「そんな奴に謝る必要なんて何一つない」
「こら! アレクの方こそちゃんと謝るべきだろ!」
「必要ない。むしろ、命どころか五体満足で許してやったんだからな。寛容な俺に五体投地して感謝するべきだろう」
「そんなことばっか言って!」
「事実だ」
ケイのことを後ろから抱いているアレクは全く悪びれる素振りもない。頬を膨らませて怒っていると、クリストフの方が眉間に皺を寄せながらも笑顔と思しき複雑な表情を作っていた。
「こちらこそ、まさか五体満足で見逃していただけるとは思ってもいませんでしたよ。致命傷になるくらいの傷は覚悟していましたから」
「そんなことをしたら、ケイが離縁だ何だと騒ぐからな。俺の心優しい伴侶に大いに感謝すると良い。別に魔術師なんぞ、腕でも脚でも斬り落としておけば良いと思うがな。どうせ自分で治せるんだから」
「だぁーかぁーらぁー、そういう怖いこと言わねーの!!」
圭を抱くアレクの甲を思いっきりつねるが、ダメージらしいダメージなんて与えられていないだろう。アレクのことだから、小動物に軽く撫でられた程度にしか思っていないに違いない。「嫌いだ」と言ってやる方が余程傷つけられるが、圭自身が嘘でもそんなことを言いたくなかった。
「ケイ様、その左手の薬指は……」
ギュウギュウ抓っている圭とアレクの手を見て、クリストフが驚きに目を見開く。揃いの指輪のことを指しているのだと分かり、圭は顔を赤らめた。
「えっと、これは、アレクがくれたもので……」
「まさかその石、エヌダイト……なんてこと、ありませんよね?」
「その通りよ、クリストフ」
クリストフの隣に立っていたマリーが呆れ顔をしながら肯定する。その言葉にクリストフはそれまで以上に大仰に驚いていた。
「つまり、マケドランドの遺跡で、あの化け物を倒して手に入れた……ということですか?」
「御名答。呆れちゃうわよね」
更に驚いた表情をするクリストフに、苦笑するばかりのマリー。2人の言っている意味が分からず、圭の頭上には大量の疑問符が飛び交う。
「陛下……まさかとは思いますが、その指輪……」
「これか? 似合うだろう?」
「そういう問題ではないでしょう!!」
圭たちの後ろに控えていたユルゲンが怒髪天を突いて怒り出す。その迫力に背筋がピンと伸びた。自分が怒られている訳ではないというのに。
「そうカッカするな。ケイが怯えているだろうが」
「そういう訳にはいかないでしょう! 全く、私がいなかったからと、さすがに無茶をしすぎです!」
「ねぇ、何でそんなに怒ってんの?」
この場で一人、全く状況の把握できていない圭が小さく挙手して説明を求めた。未だ怒りの収まらないユルゲンがプリプリしながら教えてくれる。
どうやら、マケドランドという遺跡には、人の手には余る程の猛獣が潜んでいるらしい。そこには世界中を探してもその遺跡でしか採掘できない「エヌダイト」と呼ばれるほとんど存在自体が幻に近い鉱石が眠っているそうで、宝飾愛好家らからは聖地として扱われているようだ。
「まさか、マリーもマケドランドに行ったのですか?」
「クリストフ、冗談は言わないで。行く訳なんかないでしょ。ヴァラーラのためであればまだしも、この人のために掛ける命なんて持ち合わせてないわよ」
半眼でアレクを指さすマリーの顔は心底嫌だと言葉以上に物語っている。
背後にいるアレクを見上げれば、口角を上げてニンマリと笑んでいた。
「ケイと俺だけが身に付ける揃いの記念物なんだから、そりゃあ他に代わりのない最高級の物でなければならないだろう?」
「でも、そのために危ない目に遭ったの?」
「遭うはずなんかない。俺は最強だぞ? 俺に不可能なんてないし、あの程度のモンスターで危うくなんてなるはずもない。その証拠に、至って無傷で戻ってきただろう?」
満面の笑みで圭を抱いてくるが、周囲の反応を見るに、この指輪のために相当な無茶をしたようだ。アレク自身は全くそう思っていないようだが。
「じゃあ、あの時、先に戻れって言ってたのは……」
「船で指輪のことを話していただろう? だから、どうしても欲しかった。ヴァラーラは鉱物の加工技術で言えば、シルヴァリアを超えるからな。ケイの指を常に彩る物ならば、この世で最高の物でなければならない。ただ、国にエヌダイトの在庫がないと言うから、俺が直々に採りに行っただけだ」
左手を取られて薬指のリングにキスを落とされる。柔らかな唇の感触を指で受けながら、この指輪にそんな苦労があったのかと驚いていた。
「すごい大変な思いをして作ってくれてありがとう。でも、俺のせいでアレクが危険な目に遭うのは心配になっちゃうから、あんまり無茶はしないでな?」
「この程度、無茶にも何にもならない。むしろ、俺たちだけのこの世に2つしかないリングができて良かった」
アレクはどうということはないと語るが、ユルゲンの怒りが全く収まっていない状況から、本来であれば絶対に行かせられないような危険地帯なのだろう。それを単身で乗り込んでしまうのだから、圭のことがかかっている時のアレクは危ういような気がしてならない。
「じゃあ、あの日遅かったのって……」
「エヌダイトの採掘とリングへの加工だな。マリーに頼んで、国一番の技師を用意させて、その後加工させていたら、随分遅くなってしまった」
「頼む……? ほぼ強制でしたけどね」
嫌悪を隠しもしないマリーにも驚いた。もっと感情を表に出さない人だと思っていたから。
「陛下、シルヴァリアへ戻りましたら、少々お話し合いが必要なようですね」
「俺には話すことなどないぞ?」
「いえ、私にはたんまりございますので」
圭の背後で始まってしまった言い争いを放って、アレクの腕の中から抜け出した。クリストフの前で一つ咳ばらいをして、改めて深々と頭を下げる。
「俺のこと、好きだって言ってくれてありがとうございます。でも、俺にはアレクがいるので、その気持ちには応えられません。ただ、気持ちは本当に嬉しかったです」
「その誠実なお気持ち、やはり私の目に狂いはなかったようですね。いつまででもここでお待ちしております。後ろの暴君に嫌気がさしたら、いつでもヴァラーラへお越しください」
「そんな時は未来永劫来ない。俺とケイはベミェの神殿にて誓い合った仲だからな。俺たちを分かつ物は何一つない。死すら共にある」
「「「え……?」」」
その場にいる圭以外の3人が同時に驚愕する。慌てたユルゲンに問いただされ、アレクは得意げに神殿内での誓いを語る。
「あの神殿で、そんなことを……」
「ケイ様、アレクサンダー陛下と仲違いしても、ヴァラーラには絶対に来ないでくださいね。痴話喧嘩で私たちの国を滅ぼされては迷惑ですので」
悲嘆に暮れるクリストフと、笑みを浮かべながらも目は一切笑っていないマリーを交互に眺める。ここまで言われるとは思ってもいなかった。どうやら、仮に喧嘩して家出をしようとも、ヴァラーラは頼れないようだ。
「本当に心の底からアレクサンダー陛下が嫌になった時には、私を頼ってください。ヴァラーラにはいられませんが、世界の果てまででも必ずやお守り致しますので」
クリストフが優しい言葉をかけてはくれるものの、口元はヒクついている。やはり、相当な覚悟を持っていないとできないことなのだろう。マリーの言葉が全てを語り尽くしているような気がする。
「安心しろ。ケイにそんな思いはさせないし、万が一あったとしても、俺がケイをシルヴァリアから逃がすようなミスなんか絶対にしない。仮に逃げられたとしても、地の底まで追うに決まってるだろう?」
またしてもいつの間にかアレクからバックハグされる格好になっていた。もう抜け出すのも面倒なので、そのままにすることにした。アレクも満足すれば離してくれるだろう。
「あの、一昨日はちゃんと言えなかったんですけど、俺、アレクといられてちゃんと幸せです。アレクとこんな風になるまで、本当にいろんなことがあったけど、それが全部あったからこうなれたと思ってるし、多分、一つでも何か欠けちゃってたら、ここまでアレクのことをちゃんと好きになれなかったと思う。俺はアレクじゃなきゃダメだし、アレクにとっても俺じゃなきゃダメだって思ってもらい続けられるような人になっていきたい。だから、アレクの傍で、俺のやるべきことをしながらいっぱい勉強とか、公務とか、何でも頑張っていきたいって思ってます」
ペコリとクリストフに一礼する。
昨日からずっと考えていたことだった。自分にとってのアレクがなんなのか、今後、どうしていきたいのか。
そして、行きついた先は〝やっぱり一緒にいたい〟ということだった。
頭を上げた先、クリストフの目はとても穏やかで優しく圭を見下ろしていた。
「そんなにはっきりと言われてしまっては出る幕などありませんね。ただ、シルヴァリアから遠く離れたヴァラーラで貴方を想うことだけはお許し下さいませ」
クリストフが圭の右手をやんわりと取る。膝をついたかと思うと、甲に唇を寄せてきた。
まるで映画の中のワンシーンを彷彿とさせる美しさに赤面する。美丈夫の行うことはこんなにも様になるのかと見入ってしまった。
しかし、クリストフが唇を離した瞬間、背後にいたアレクがユルゲンからハンカチを奪い取り、クリストフに口づけられた場所をゴシゴシと擦ってくる。
「アレク、痛い! そんなに強く擦られたら痛いよ!」
圭の抗議も空しく、ハンカチ攻撃から解放された時には摩擦で甲は真っ赤に染まっていた。
「ケイ様、本当にこんな心の狭くて粗暴な方で良いんですか? 私には少し……いえ、大分理解に苦しみますわね」
「あはは、でも、自分だけに懐いてる猛獣みたいで結構可愛いですよ」
「アレクサンダー陛下を猛獣だの可愛いだのと本人の前で言える人なんて、いくら世界が広くとも、ケイ様しかいらっしゃいませんね」
「わりと悪趣味かとは思いますわ」
「アレクは俺に怒らないって分かってるから」
怪訝そうな顔で見てくるマリーと苦笑するクリストフを前にしながら相変わらずバックハグしてくるアレクの頭を撫でた。
確かに、こんな風にアレクのことを扱えるのは自分だけだろうという自覚はある。
そして、それに対する優越感も。
「悪趣味だのなんだのと、お前にだけは言われたくないぞ、マリー」
「あら、生憎と私は趣味が良いと評判でしてよ?」
圭の頭上で軽口のやり取りが続く。2人共に気兼ねなく何でも言える関係性なのだろう。アレクがこんな風に女性と言いたい放題言い合っている光景を見たことがなかったため、胸の中のモヤモヤが再燃する。
「あ、あの、マリーさん」
「何でしょう?」
「えっと、……あ、アレクのこと、盗らないでください!!」
「…………………………は?」
随分とした間の後、キョトンとしていたマリーの表情が一気に怪訝な顔になる。
「あ、いや、あの、マリーさんがすっっっごく素敵な女性だっていうのは分かってるし、全然足元にも及んでなんかないんですけど、でも、アレクが好きな気持ちだけは世界中で誰にも負けない自信はあるし、これからもっともっとアレクに相応しくなれるように頑張るんで、お願いですからアレクのこと、盗らないでください」
マリーに向かって深々と頭を下げた後、しばしの沈黙が走った。誰も何も言わないのを不思議に思って頭を上げると、その場にいる全員が驚きとも困惑ともどちらにもとれる複雑な表情をしていた。
「あの、ケイ様……それ、シルヴァリア式の御冗談か何かですわよね……?」
「冗談? えっ、ほ、本気です!!」
少しばかり焦れば、目の前のマリーは心底嫌そうに顔を顰めた。
「せめて御冗談とおっしゃってくださいまし。そんな恐ろしいこと言われたの、初めてですわ」
両手で二の腕を擦っているマリーの腕には鳥肌が立っていた。戸惑いながら背後を振り返れば、苦虫を噛み潰したような顔をしているアレクと、片手で顔を覆ったまま俯いているユルゲンの姿を見て更に困惑してしまう。
「ケイ……どこをどう見たらそんな風に考えられるんだ……?」
「だって、2人並んでるのすごい……お、お似合いだったし、マリーさんとっても素敵な人だし、俺と違って頭も良いし、失敗とか全然しなさそうだし……」
自分で言っていて段々と落ち込んでくる。この旅の途中でも、本当にやらかしてばかりだった。普段は前向きに考えようと努力はするが、次から次へと失敗ばかりが続き、自分の醜態の数々に気が滅入る。
「ケイ、冗談だとしてもそんなこと言わないでくれ」
「そうですわよ? そんな恐ろしいこと、口にするものではありませんわ」
「ケイ様、さすがにそれはマリー殿に失礼というものです」
「おい、ユルゲン」
至極申し訳なさそうに話すユルゲンに対し、アレクはジト目で睨みつける。周囲の反応が圭の思っていたものとは違っている。ある意味、ライバル宣言に近かったため、もっとバチバチとした対決のような空気になることは少しばかり覚悟していたが、そんな雰囲気とは真逆の空気感だ。
「あのですね、ケイ様、そもそも私、既婚者ですので」
「ええええっ!?!?!?!?」
今日一番の大声が出てしまった。思わず口元を押さえる。周囲を見渡せば、全員が呆れたような顔をしてはいるが、誰一人として驚いている者はいない。
「し、知ってたの!?」
「ヴァラーラでは鉱石の付いたネックレスを付けている者は既婚の証だ。それに、マリーが近衛隊隊長の伴侶であることは有名な話だからな。知らない者の方が余程少ないだろう」
「言ってよぉ!!」
「聞かれてもいなかったし、そもそも興味がない。それに、マリーごときにケイが関心を持っても困る」
ユルゲンに聞けば、ミシェル国王の傍で警護をしている大柄の男性がマリーの夫らしい。髭面で体格が良く、歴戦の猛者感を醸し出している。まるで熊のような屈強さだ。
「ケイ様、男はあれくらい逞しくないと格好良くありませんわよ?」
「う、うん、そうかもね……」
「厚い胸板、太い腕、その筋肉に抱き留められている時の高揚感は常人の比ではなく……」
熱く筋肉談義を語り始めたマリーは止まらない。クリストフはそんなマリーに慣れているようで、小さく頷きながらも圭たちの方へと目配せをして僅かに頭を下げていた。
「さ、帰るか」
「帰るって……マリーさんの話まだ終わってないよ?」
「これはもうしばらく止まらん。一昨日の夜、腐るほど聞いた。もうウンザリだ」
確かに、アレクの言葉通り自分の世界に入り込んでいるマリーは止まる様相を見せない。アレクに手を引かれ、ユルゲンを引き連れて謁見の間から出た。会議に出席していた各国の要人らとすれ違っては頭を下げられる。皆、ミシェル国王夫妻に挨拶をしてから自分たちの国へと戻るようだ。
「帰りもまた船で帰るの?」
「本当ならいろいろと寄り道をして戻りたいところだが、生憎とシルヴァリアでの仕事が溜まってしまっていてな。帰路は転移で一気に飛ぶ」
「そっか。でも、俺も早くシルヴァリアに帰りたいから、ちょっと嬉しいかも」
ギュッとアレクの手を握り締める。
旅の道中もとても楽しかったし、行く所全てが魅力溢れる素敵な場所ばかりだった。
しかし、そろそろシルヴァリアが恋しくなってきていたのも事実だ。
慣れ親しんだということもあるだろうが、今の圭にとってシルヴァリアこそが自分の居場所だと思っている。
「帰ろう? アレク。俺たちの国へ」
ニッコリと笑いかければ、アレクも蕩けそうな笑みで返してくれた。
ともだちにシェアしよう!

