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第2話
何故だか桜の下の男性に気づかれちゃいけないような気がして、そっと自転車を押して北門を出る。出た途端に足を振り上げサドルに座り、全力でその場を去った。
桜の森は円形をしている。そこを一周するようにバスの通る広い道路がぐるりと円を描き、その道路を挟んで内側外側と住民には呼ばれている。僕はそのバス通りを突っきって『内側』の住宅地に入って行った。
この住宅地には商店街らしきものはなく、スーパーが一軒『外側』にある。ただ住宅に紛れて個人経営の店舗は点在している。僕がアルバイトをしているのはその中の一つだ。
オレンジ色の瓦屋根に白い壁。尖った屋根の上には風見鶏がある。
カフェ『風緑 』だ。
僕は敷地に入ると建物の裏側に回り自転車を止めめて裏のドアから中に入った。裏のドアは二階の自宅スペースに繋がっている。実は僕はここに下宿させて貰っている。自分に宛てがわれている部屋に入り荷物を置くとまた階段をパタパタと下りる。店舗スペースの更衣室で準備を整えた。
白いワイシャツに黒のスラックス。カフェエプロン。
ホールへの入口から覗き込むとテーブル席に数組、大学生、主婦らしいグループ、それから一人で本を読んでいる年配の男性。カウンター席には常連の男が座っている。
僕はその男に声をかけた。
「いらっしゃいませ。蒼矢 さん、また来てたんですね〜」
「酷いな、歩 。せっかくきみに会いに来たのに」
僕の軽い嫌味にも甘い声で答える。
ワイシャツにカーディガンとラフな格好だが、上質で大人な雰囲気を醸だしている。きりっとした眉、通った鼻筋、どのパーツも男らしく美しい。目はやや切れ長で冷たい感じもするが、笑うと思いの外優しげだ。
たぶん誰が見てもイケメンなのだろう。
そんな風に言われれば男でさえどきんっとしてしまうくらいには。
「そういうのは、いいですよ。蒼矢さん」
「俺は本気だけど?」
いつもそうやって揶揄ってくる、この男――月城 蒼矢は、かつての兄の恋人だった。
僕は彼のその言葉をスルーして、
「陽 ちゃん、遅くなってごめん」
風緑のマスター風見 陽翔 に謝った。
「いいって、学校のほうが大事〜」
蒼矢ほどイケメンではないにしろ、好感の持てる顔立ちに陽気な性格の彼は僕の従兄だ。そして、蒼矢と陽翔は高校からの同級生で二人ともK大学芸術学部の卒業生だ。
海の近くにある僕の家と陽翔の家は近所で、蒼矢とも僕が小学生の頃から知り合いだった。
陽翔はK大学卒業後大手広告代理店で五年働き、三年前にこの風緑を構えた。大学時代に通ったこの桜の森に。
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