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第3話

 陽翔たちが四年の時K大芸術学部は桜の森に移転してきた。もともと自宅近くだというのもそこを選んだ理由に挙げていたので、移転することになった時には不平を漏らしていた。それなのにこの土地で、陶芸科を卒業した妻と一緒に店を構えたのは、ここが彼らにとって魅力ある土地だからだろう。  陽翔が海近くの実家から通って来たように僕も自宅から通えるのだが、僕がK大芸術学部を志望した時に陽翔が下宿の件を持ちかけてくれたのだ。僕も両親もそれに甘え、その代わりに『風緑』でアルバイトをすることを半ば無理矢理承知させた。 「もうすぐ誕生日だな、あゆ」  蒼矢が僕の顔をじっと見て言った。酷く甘い表情をしている。 「二十歳だな」  ーー二十歳(はたち)。僕がこの歳を迎えるのに常とは違う意味を持つ。  僕にとっても、蒼矢にとっても。  彼はその甘い表情の下で何を感じているのだろう。  顔に翳りを帯びそうになるのを堪え、 「蒼矢さん、最近会う度それ言ってますよね」  少し嫌味を混ぜた声音で言った。 「そうか?」 「そうですよ」  自分でも気がつかないくらいに心奥深くに、その『意味』を隠しているのかも知れない。 「歩の誕生日はまたここでお祝いだな! 去年より盛大にやるっ」  陽翔がガッツポーズをする。 「いいよ〜、陽ちゃんそんなに張り切らなくて」  その時「お会計お願いします」とテーブル席の主婦のグループがぞろぞろとレジのほうに向かって行く。 「はい!」と返事をして僕はその場を離れた。   離れて行く僕の耳に聞こえたのはさっきの明るい声とは違う。翳りを帯びた密やかな声。 「だんだん……行帆(ゆきほ)に似てきたな……」  それは蒼矢に囁いた声だろう。しかし蒼矢の返事は聞こえなかった。彼はいったいどんな表情をしているのか。  『行帆に似てきた』   それは僕が高校生になったくらいから、両親や陽翔の口から時折聞くようになった言葉。蒼矢の口からは聞いたことはないが、そんな眼差しで見られているように感じることがある。僕の姿に重ねて別な誰かを。 (ーー僕と兄さんは似てなんかいないーー)  兄・花邑(はなむら)行帆はとても綺麗な(ひと)だった。ふんわりとした真っ白い雪のような(ひと)。  思い出すのは。  珍しく雪の降る夜。連なる屋根や道路がだんだんと白くなっていく。  小学生だった僕はもうパジャマに着替えていたけれど、こっそり庭に出た。雪が積もっていくのを余り見たことがなくて酷くわくわくしていたのを覚えている。  家の前で密やかな話し声がして、僕は少し門に近づいて覗き込んだ。積もった雪が足音を消していて声の主は僕の存在には気づかない。

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