36 / 100
第36話
* *
僕の中には二人分の意識があって、想いも身体も二つに切り裂かれそうで――酷く哀しくて辛くて、そして痛いんだ……。
* *
六月に入り雨の日が多くなった。
今日もしとしと雨が降っていて、うつうつとした今の僕の気持ちと一緒だった。
「ありがとうございます」
C棟――絵画学科棟の前で僕はその傘の中から出た。
「じゃまた」
傘の下で男の声がしてそのまま真っすぐに歩いて行く。それを何の感慨もなく眺めてC棟に入ると、目の前に自分と同じくらいの背丈の男が立っていた。
「歩」
少し怒ったような声で名前を呼ばれた。
それに反応して僕の意識は少し浮上した。
(祈……)
「なに?」
つっけんどんで答えるのは僕――ではなく、僕の中の兄。
もう仮ではなく、兄だと確信している。
「ちょっとこっち来て」
祈は入口付近から離れ余り人が来ない隅のほうに僕を連れて行った。
「ねぇ、知ってる? 噂になってるって」
なんの前置きもなくいきなり突きつけてくる。
「なんのこと?」
ふっと少し小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。自分ではわからないけどたぶんそんな感じ。
「歩と鳥飼さんだよ!」
僕の表情と声音にイラッとしたのだろう、祈は声を荒げたがすぐに自分の口を塞いだ。余り大きな声を出しては隅に来た意味がない。
「歩よく鳥飼さんの使っている部屋に行ってるだろ? それに学内でも一緒にいるの見かけるって噂になってるんだ。知らない筈ないだろ?」
「そうなの? 知らなかったよ。でも別に問題ないでしょ? 講師と受講生なんだし」
「いや、あるよ」
声は抑えているけど怒りは感じる。
「他の受講生は当たり障りなく遠ざけてるって感じなのに。歩だけ違うって思われてるんだよ。Bird Entertainmentに入る為に取り入ってるんじゃないかって」
(そこまで……噂されてるんだ)
僕は水底に沈んでいるような気持ちで祈の言葉を聞いていた。
「でも、オレは、そうじゃないと思ってる。そう言う意味で近づいてるんじゃない、もっとなんて言うか……危険な……」
『恋愛関係的なもの』
祈はそう言いたいのかも知れない。でもさすがにはっきり言えないのか言葉に詰まった。
「歩、いや今は歩のお兄さんのほうか。歩言ってた、最近前よりずっと記憶のない時が増えたって」
『兄』は何も答えない。
「何をしようとしてるのかわからないけど、もうやめてほしい。歩を返してくれ」
祈は両肩を掴んでがんがん揺さぶった。しかし僕の手は勝手に動き、その手を強く掴んで引き離した。
その反動で祈は二、三歩後ろに蹌踉めいた。
「邪魔しないでくれるかな」
氷のような冷たい言葉が零れる。
確かに僕の中にいる人は兄だろう。でも兄はこんな冷たい物言いも態度も取ったことがない人だった。
鳥飼に会う度に兄は変わっていく。ドス黒くどろどろとした何者かに。
ともだちにシェアしよう!

