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第48話
鳥飼は尻をついたまま後退り、空中に向かって指を差している。
「えっ」
鳥飼が見ているもの、僕の目にも見えた。
黒い薄靄のようなものが人の形を象っていた。それは初め向こう側が透けているような感じだったが、だんだんと人としての質感や肉感を持ってくる。
(まさか……これって……)
自分の中からいなくなった兄。この部屋に入った時から感じられていた重苦しい空気。
(兄ちゃんは先にここに?)
どうやら兄はとうとう僕の中から出ていき、本当に霊として姿を現したのかも知れない。
しかも『それ』は怨みを持った悪霊の可能性が高い。
僕は『それ』をもっと良く見ようと不自由な手足でなんとか起き上がりベッド横の壁に寄り掛かる。
(それにしても)
僕は自分の手にかかっている黒いファーの手錠を見た。
(この緊迫した雰囲気にこれはないな)
自分が情けなくなる。
が、今はそれどころではなかった。
「おまえ……ゆき……ほ、か?」
『それ』は鳥飼のほうに顔を向けている。『それ』は兄の顔をしているらしい。
『おれの弟に触れるなっ』
僕の口を通してではない声が響いた。
これは兄の声だろうか。確かに似ているかも知れない。でも十年前のことだ。自分が覚えている声が本当にそのまま通りなのかはっきりわからない。
だけど言えることは、兄はこんなに声を荒らげたりこんな物言いをする人ではなかった。
『二度と歩や……蒼くんと関わらせない!』
『蒼くん』と名を呼ぼうとした時少し間があった。それにはどんな思いが込められているのだろうか。
『それ』はもうすっかり人の形を取り滑るように床を進んでいく。
(幽霊にも足……あるんだよねぇ)
人ならざるものが見えていた時期、霊も妖も見た。霊は人と変わらぬ姿をしていることもあり、僕は最初それが普通の人間であるとさえ思っていたのだ。
「来るなっ来るなっ来るなっ」
鳥飼に躙り寄る『それ』とは逆に尻で少しずつ下がりながら追い払うように腕を動かしている鳥飼。腰でも抜けたのか立ち上がることができないらしい。
「おまえはっ行帆じゃないっ行帆は俺がっ」
『そうだよ、おれは死んだんだ……あんたに殺されたんだ……ここで』
やっぱり……と思った。
『歩や蒼くんにもあんたのしたことを全部バラす、そしてあんたも道連れにする。二度と二人に手を出せないように』
先程までの荒らげた声ではなく、どちらかと言えば淡々としている。それが逆に彼の想いを露わにする。
恨み。怒り。憤り。決意。
「やめろっやめろぉぉぉ」
彼の手が鳥飼の首に伸びて行く。人と同じ肉感のある霊は現実に首を絞めることができるのだろうか。
「だめだっ! 兄ちゃん!」
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