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第82話
「仕方ないよ、十年も経ってるんだもの。ずっとおれを愛していてくれたら嬉しいけど、でもそれじゃあ、蒼くんが可哀想。蒼くんには幸せになって貰いたいから。おれの時は止まってしまったけど、蒼くんも歩も違う。二人の時は流れていくし、自然と気持ちも変わっていくものだよ」
優しく歌うように言葉を紡ぐ。
「歩」
兄は僕のほうに顔を向けた。
「兄ちゃん」
「ごめんな……歩の誕生日におれが死んだから、この十年間自分の誕生日を心から祝えてなかったよな。おれの死をずっと悼んでくれていてありがとう」
今まで語られた兄は僕の覚えている兄と少しイメージが違っていた。だけどこうして僕に話しかけている兄は、僕の知っている綺麗で優しい兄だ。兄はあの頃も僕に優しくしてくれて慈しんでくれていた。
「でももういいんだよ。蒼くんにも言ったけど時は流れていくものだよ。父さん、母さんたちも最初は『その日』がくるのを哀しんでいたかも知れないけど、今は違うと思うよ。心から歩の生まれた日を祝っていると思う。だから歩ももう自分の誕生日を祝っていいし、祝って貰っていいんだ。そのほうがおれも嬉しい」
「兄ちゃん……」
兄の言葉が僕の心の中に染み込んできて、それが涙になって滲んできた。
僕は胸がいっぱいで何も言えなくなる。
「さて……そろそろ時間かな」
見るとさっきよりもずっと兄の姿が薄くなっているような気がした。
「兄ちゃん!」
「……おれが一緒に入れなかった分、歩が蒼くんの傍にずっといてくれるといいな。……蒼くん……」
蒼矢の顔に自分の顔を近づけた兄の身体はもう胸元辺りまでしか見えていなかった。そうっと唇を近づけても、それはもうけして触れ合うことはない。
「歩のこと頼んだよ」
「ああ――大事にする」
消えていく兄にそう約束する。僕の心は震えた。
そして――兄は光の粒子になり、やがて消えた。
「兄ちゃん! 兄ちゃん大好きだったよ!」
もう誰もいない空間に向って僕は叫んだ。
「あゆむ……おれも……」
そんな声が耳を掠めたのはもしかしたら気のせいだったのかも知れない。
ずいぶんと長い時間が経ったような気がした。
兄が僕の身体を使って過去を語り、そして光になって消えても、僕らは暫く黙ったまま座っていた。
やっと隣にいる蒼矢の腕の温もりに気づくことができた頃、彼は僕の手の上に自分の手を乗せ、そしてぎゅっと握り締める。
「ねえ……あゆ……」
* *
「えっそれでそれでっ」
ラグの上に座って食い気味に顔を近づけてくる祈の声は、めちゃめちゃ弾んでいる。後ろにハートマークがついてるんじゃないかと思うくらいに。
いろいろあり過ぎて、夏休み前に提出しなければならない課題を巻きで仕上げた僕にも、やっと夏休みが訪れた。
祈にはいろいろ世話になり、命すら助けて貰ったということになるのだから、事の顛末をきちんと話さなければと思っていた。
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