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第86話

* * 「ねぇ……あゆ……」  蒼矢は僕の手をぎゅっと握りしめた。 「俺の気持ちはさっきゆきに話した通りだよ。きみも聞いていたんだろ?」 『俺はあゆに惹かれている。触れたいと思うくらいには』  僕は蒼矢の言葉を胸の中で反芻した。   そしてこくんと頷く。 「……い、いつからですか……そんなふうに……蒼矢さんはずっと兄ちゃんのことが忘れられなくて……それで恋人も作らないんだと思ってました……」 『いつから僕のことが好きだったのか』  それを訊くのはとてつもなく気不味い。こんなイケメンで格好良くて優しい人。どんな素敵な女性だって選り取り見取りのはず。それなのに、僕みたいな地味な大学生を『好きなんですか?』って訊くこと自体図々しい。 「そうだよ。ずっとゆきが好きだった、ゆきのこと忘れられなかった――それと同じくらい、あゆのことも気にしていたよ」 「え……」  蒼矢は兄が亡くなって、家には来なくなった。元々僕と蒼矢の繋がりは兄と陽翔だ。陽翔も就職して忙しくしていた。以前のように蒼矢が陽翔の家に来るのも見かけることはなくなった。  最後に会ったのは霊園での一周忌の時だ。  僕らの繋がりは切れたのだ。  流れていく年月の中で僕のことは蒼矢の記憶の隅にちょんといるかいないかくらいになってしまったのだろう、そう思っていた。 「きみの家の前までは何度か行ったことはあるんだ……あゆもご両親もどうしているだろうって。でもやっぱり訪ねることはできなかったよ、辛すぎて」  再会した時から何処か僕を茶化すように接していた蒼矢。そんなことは今まで一度も聞いたことがなかった。 「陽翔の家にも行かなくなった。大学に行ってた頃と違って時間が合わないってのもあったけど、ゆきと出会ったのも陽翔の家だったから……やっぱり……」  僕ら家族以外にもこんなにも兄を思う人はいたんだ。再会して蒼矢の心にはまだ兄がいるんだと気づくまで、彼はもう兄のことは過去にして幸せになっているんだろうと考えていた。哀しいけどそれは仕方のないことだと。 「陽翔とはたまに外で会って飲んだり、彼奴が店を構えてからはそちらに行くようになった。そんな時には必ずあゆのことを聞いたよ」 (ずっと……気にしていてくれた……)  そのことがじわじわと僕の心に染み込んでくる。 「陽翔も余り会わないようだったけど。家の前で見かけたり、ゆきの……法事や」  蒼矢がそこで少し言い淀んだのはやはりまだ辛いからなのだろう。 「……親戚の集まりで会ったりした時のことを俺に話してくれた。あゆはゆきが亡くなってからだいぶ雰囲気が変わってしまったって、陽翔が少し寂し気に言っていたのを覚えている。やんちゃさがなくなって大人しくて『いい子』になったって」

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