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第89話
「歩……」
蒼矢の手に力が籠もる。
「それは子どもの頃とは違った欲も孕んでいきました。だって蒼矢さん、ずっと風緑でだけで会っていたのに、今年の誕生日くらいからいろいろ僕を誘ってくれてご実家にも連れて行ってくれて、今まで知らなかった蒼矢さんを知って、こんなのもっと好きにならないわけがないじゃないですかっ」
だんだん気持ちが昂ってきて声にもそれが現れる。はっとして一旦落ち着きを取り戻すように小さく息を吐いた。
「……でも僕はそれを貴方に言うつもりはなかったんです。ただ心の中で想ってるだけでいい。だって貴方は兄ちゃんの恋人だったから」
実家の蒼矢の部屋に行った時、結構もやもやした、ということは黙っておこう。
「うん……」
蒼矢は少し哀しそうに微笑む。何故そんな笑みを浮かべるのだろう。僕が自分の想いを伝えるつもりがなかったと言ったからだろうか。
「俺も……本当は言うつもりはなかった。あゆが俺のことを恋愛的な意味で『好き』だとは想像できなかった。自分の『想い』をぶつけて引かれたり困らせたりしたくはなかったから。ただずっと見守っていようと思ってたよ。だから桜の森に引っ越して来たんだ」
「えっ?!」
僕は蒼矢の言葉にめちゃめちゃ驚いた。
「蒼矢さん前から桜の森にいたんじゃないんですかっ?!」
僕の驚きに少しばつの悪そうな表情を見せた。
「いつまでも実家暮らしというのも何なんで自分の家を持とうと、漠然とは考えていたんだ。マンションでも一戸建てでもいい。そんな時にきみが芸術学部を受けるって決めて、陽翔が自分の家に住まないかと誘ったろ? それを聞いて桜の森に決めたんだ」
「僕がいるから……?」
思わずそう漏らしてから。
(わ、なんか図々しいこと言っちゃった)
恥ずかしくて顔が熱くなる。
「その時は勿論恋愛的な気持ちを持っていたわけじゃないけど。行帆が亡くなった時、自分の哀しみや辛さに捕らわれてきみらから逃げたんだ。あゆやご両親のほうがずっと辛いのに……だから、今更だけどきみの手助けがしたかった……何もできなくても、見守りたかったんだ」
「そんな……蒼矢さんが気にすることないのに」
「まあ、ただの自己満足だし。ちょっとストーカーじみてて自分でも引くけど」
はははと何処か自嘲気味に笑う。
「……僕、嬉しいです。そこまで僕のことを気にかけて貰えて。でも、僕が合格しなかったらどうするんですかっ」
「そうだよね。全然そこまで考えてはいなかったけど」
僕らは顔を見合わせて笑った。
「あー、全部言っちゃったな。なんかかっこ悪い」
蒼矢が照れたように頭をぽりぽりと掻くのすら僕には愛おしくて。
(全然かっこ悪くなんかない。蒼矢さんはいつもかっこいいよ)
しかし、それは本人には言えない。
それから暫くどちらも口を開かず、ただ蒼矢の手はまだ僕の手をぎゅっと握ったままだった。
「ねぇ、あゆ……俺と……」
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