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第4話

 萩原が我が物顔で玄関の扉を開け、靴を脱ぎ散らかして鞄を放り投げて上がり框にのぼってしまうので潤は片付けに追われた。  「ただいま!」  「萩原の家じゃないだろ」  「細かいことは気にするなよ」  「いや、細かくないだろ」  潤のツッコミに気にも留めず、萩原はずかずかと奥へと進でいく。勝手知ったる他人の家とはいえ少し図々しいところはあるが、なぜか家族は萩原の言動は受け入れられている。  ふくよかな家族四人で住むには十分な広さと最寄り駅から徒歩で十分もかからないアクセスの良さもあり、二十七歳になったいまでも一人暮らしをする気になれずにいる。  それに母親の作る料理はどれも絶品なのだ。ファミレスで食べるよりも美味しいので萩原のように虜になってしまうのも頷ける。  家事全般も得意で仕事を引退したいまは時間があるのでより力が入っている。  埃一つない部屋にアイロンがぴしっとかかったシャツがあり、三食美味しいご飯を作ってくれる生活でいると、一人暮らしをして全部自分がやらなければならないのかと思うだけで気が滅入る。  ただでさえ仕事で疲れている上にに家事まで加わったらさらにストレスがかかり、食べる量が増えて体重が新記録を叩き続けるに決まっている。  仕事はきっちりこなすが、それ以外は惰性的な潤にとって実家で過ごすことは自分の好きな温度で温められたぬるま湯に浸かったような心地よさでいまさら手放せるはずもない。  玄関からまっすぐ伸びている廊下の突き当たりに台所がある。そのせいか玄関にいても香ばしい匂いが漂ってきて、口のなかに涎が溢れてくる。  台所を覗くと額に大粒の汗を流しながら仕上げ作業をしている母親の姿があった。安産型にしては大きすぎる尻が動くたびに戸棚や冷蔵庫にぶつけているが、いつものことだ。  「ただいま」  「おかえり。もうすぐできるから先に食べてて」  「わかった」  首に巻いたフェイスタオルで汗を拭った母親は顎でリビングをさした。  「早く食べようよ」  リビングで待っていた姉の葵が目をギラギラとさせて潤を睨みつけた。どうやらかなりの空腹状態らしい。  普段は温厚でお淑やかな葵だが、腹が減ると途端に機嫌が悪くなる。  すでに六人掛けのテーブルの上には乗り切らないほどの料理が並べられていた。中央には宅配ピザのLサイズが三枚、フライドポテト、から揚げ、キッシュ、パスタ、シチューと油っこいメニューだ。  湯気が立ちのぼり、美味しそうな匂いが充満している。どの料理も熟した果実のように魅力的だ。  「相変わらずおまえんちすごいな」  「そう?」  「普通こんなに食べないだろ」  そう言いながらも萩原は席に着くなりピザを一枚頬張った。それを皮切りにみんな食べ始め、最後の料理を運んできた母親も加わる。  「こんなに食べないのか……」  小さい頃から食卓にたくさんの料理が並び、腹がはちきれるほど食べていた。食後のデザートや夜食も毎日のようにある。  凛と背筋を伸ばした郡司が浮かぶ。潤のように大食らいな姿が想像できないどころか、食べている姿を見たことがない。もしかして植物のように水だけで足りる体質なのだろうか。  から揚げを一口噛むと肉汁がじゅわっと広がり、あとからニンニクと生姜の香りが追いかけてきて食欲を刺激される。  「佐久間って本当にうまそうに食うよな」  「そうかな」  「そうやってニコニコされちまうと痩せろって言えなくなるな。葵ちゃんも」  萩原はやさしい眼差しを葵に向けたが、そうかな、と軽く返されただけだ。腹が満たされてきた葵の機嫌は戻ってきて、嬉しそうにピザを頬張っている。  「でも太ってるから彼女できないんだろうな」  「萩原って一言余計だよね」  「まあ俺はこのくらいの方が好きだけど」  ちらりと葵に熱い視線を送った萩原だが気づかれていない。薄々思っていたが萩原は葵が好きなのだろう。だから我が家によく来てアプローチをしているようだが、いつも空振りに終わっている。  女性はぽっちゃりでも需要はあるのに、なぜ男性になったら嫌われるのだろうか。  髪が薄いわけでもないし、風呂には毎日入っていて清潔感もある。洗ったシャツを着ているし、食べ方が汚いのというわけでもない。年収もそれなりにある。  ただぽっちゃりというだけで揶揄われる対象になるし、下に見られることは多い。  痩せたらもっと世界は変わるのだろうか。  だがそんな気概もやる気もない潤は目の前にある食事を平らげた。
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