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第8話
来る前にきちんと説明をしていたが母親と葵は郡司と対面するなり言葉を失っている。
(そりゃこれだけのイケメンが築三十年のおんぼろデブ一家に来るとは思わないもんな)
二人は顔を赤らめて小鳥の囀りのような声でそれぞれ挨拶をしている。やめてくれ、二人の女の部分を見せられて気恥ずかしいったらありゃしない。
「どうぞあがってください」
「お邪魔します」
靴を丁寧に揃えてから上がり框にのぼる郡司からは育ちの良さが窺えた。
皺一つないスーツや汚れのないビジネスバック、靴底がすり減ってない革靴からも几帳面だろうと思っていたが、所作もしっかりしている。
そういえば仕事をしているときもいつも背筋はしゃんと伸びていた。
自分はと言えばヨレヨレのスーツ、チャックが壊れているビジネスバック、先端が削れた革靴と真逆をいく。表に出る仕事ではない分、見た目に関して気にしないでいた。
(だから太っても行動に移さなかったのかも)
根本から違うとジャブを喰らった気分だ。
「郡司くんはきちんと靴を揃えられる人なんだね」
「小学生に言う台詞みたいですね」
「萩原なんていつも脱ぎ散らかすから」
「……あの人と一緒にしないでください」
唇を尖らせて不機嫌さを表されてしまい面食らった。
「ごめん。なんか変なこと言ったかな」
「なんでもないです」
そういう顔には見えなかったがこれ以上追求しても仕方がない。
「そんなところにいないでこっちに来なさい」
「急にお邪魔してすいません。佐久間さんの部下の 」
「んな堅っ苦しいことはいいから酒でも飲もうや」
上機嫌な父親に赤ら顔で手招きされてしまい、二人で目を合わせて顔を俯かせた。こんんな家族を見られて上司としての威厳がガタガタと音をたてて崩れていく気がする。
台所に行くとすでに料理は出来上がっていて美味しそうな匂いが充満していた。自然と腹が鳴る。
今夜はレバニラ炒め、餃子、炒飯、エビチリと春雨入りのスープと中華料理だ。
それに加えテーブルの中央にはホットプレートが置かれ、その周りには生肉や野菜が行儀よく並んでいる。
倒れた潤を気遣って栄養のあるものをという母親なりのやさしさだろう。
テーブルから落っこちそうなほどの料理を前に郡司は固まってしまった。
「今日は誰かの誕生日ですか?」
「いつもこんな感じだよ」
誕生日ってかわいいな。
郡司の家では誕生日のときは焼き肉が定番なのだろうか。
すでにプレートの上には何枚か肉が焼かれ、じゅうじゅうと煙が部屋にこもっている。こんがりと焼けた肉を父親が美味しそうに食べていて、咥内に涎が溜まる。
「あなたはダイエットをするんですよね」
「そ、そうだけど」
「焼き肉はいいと思います。赤身肉には良質なたんぱく質が多く含まれていますし、野菜も同時に摂取できますし」
「よかった!」
「でも食べ過ぎはダメです。一日にたんぱく質は体重一キロ当たりに一グラムが目安です。ちなみに佐久間さんのいまの体重は?」
「……八十キロくらい」
「なら赤身肉八十グラムですね。そうなるとお肉十枚が限度です。ちなみに一日の量なので三食分で計算すると二十五グラムなので三、四枚です」
「そんなぁ~」
「まあ、今日は普段の食事を偵察しに来ただけなのでいいですよ。くれぐれもタレのかけ過ぎや白米の食べ過ぎには気をつけてください」
そう言われた手前、ドカ食いなんてできるわけがない。腹はこれ以上ないほど食べたいと訴えているが、食べないダイエットよりはマシだ。
「あ、もうお父さん始めてるの!? お客さん来てるんだから自重してよ」
「すまん。我慢できなくてな」
葵が父親に文句を言っているが暖簾に腕通しだ。
「はいはい。じゃあ始めますよ」
母親の号令にそれぞれ自分の席に座る。郡司はいつも萩原が座っている誕生日席だ。
「郡司さんと言ったかしら。潤の面倒を見てくれてありがとう。遠慮しないでたくさん食べてね」
「いただきます」
「温かいうちに食べましょう」
空腹で殺気立っている葵が我先にと餃子にかぶりつき、空いた手で肉を焼いている。それに負けじと両親も食べ進んでいる。
その様子を呆気にとられている郡司に恥ずかしいと思いながらも空腹には勝てず、ちびちびと春雨を啜った。
食事が一段落したところで母親特製の杏仁豆腐が出てくる。それを飲み物のようにちゅるっと一気飲みし、ようやく腹が満足した。
「では本題に入りましょうか」
郡司の怒っているような低い声に家族全員の背筋が伸びる。
「このままだと死にますよ」
衝撃的な一言に言葉が出ない。死ぬ。死ぬ。死ぬ。病気になるのではなく死という言葉に頭を殴られ、柵越えのホームランのように遥か彼方に飛ばされていく。
「まず食事量が一人で三人分ほど食べてますね。これでは摂取カロリーがかなりオーバーしてします。一日で成人男性は二四〇〇から三〇〇〇カロリー、女性は二二〇〇カロリーと農林水産省が提唱しています」
食事の大切さや運動、そして栄養、睡眠、ダイエットはなんたるかと饒舌に語り、間を挟む隙もなかった。潤たちは黙って頷くしかない。
「ーーということなので、みなさんでダイエットをしましょう」
「え!?」
悲鳴のような大絶叫が家中に響く。郡司は家族全員巻き込もうとしているということにようやく気がついた。
「佐久間さんが食事を抜いて倒れたのはご存じですよね?」
「それは、訊いたけど」
朝食を食べない潤を知っていただけに母親の歯切れが悪い。
「誤った知識はとても危険です」
「だから正しい知識でダイエットをしようということなの?」
「はい。そして佐久間さんは実家暮らしなので、ご家族の協力がないとダイエットは成功しません。みなさん不健康な食事をしているようなので、この際ご家族一丸となってやり遂げましょう」
「冗談じゃない!」
意を唱えたのは父親だ。
「ダイエットをするほど太っていない!」
「でもお父さん、ずっと前から健康診断引っかかって、再検査になること増えたわよね」
「それは、調子が悪かっただけで」
「確かに私たちも年齢のわりに太ってる自覚はあったわ。栄養士として失格ね。郡司くんの提案に乗るわ」
「母さん!」
父親が縋るような声をあげたが、母親は目が覚めたらしい。家族から注意されるより、赤の他人から言われると効果が高いということはこういうことか。
「葵はどうする?」
「運動得意じゃないし、食べるの好きだからな」
「それは大丈夫です。運動といってもウォーキングや五分程度の筋トレでも十分です。食事も満腹感を得られるようなメニューも豊富にあります」
「甘いものは食べられる?」
「はい。蜂蜜や黒蜜などに置き換えれば大丈夫ですよ」
「じゃあちょっとやってみようかな」
「そうしましょう」
郡司が笑顔を向けると葵は珍しく頬を赤くした。萩原のアピールにはビクともしないくせに。萩原に同情した。
「で、佐久間さんは?」
いつの間にか外堀を固められている。家族の視線が潤に向けられ、ここで断るという選択肢はない。
「おれもやるよ」
「じゃあこれがレシピ本です。明日からこちらを参考にして作ってもらえますか?」
郡司はバッグからレシピ本を母に渡した。そこにはカラフルな付箋がたくさん貼られている。
ぱらぱらとページめくった母親はうんと大きく頷いた。
「難しそうなことはないね。ようはいつもの食材ではなく、素材を変えてカロリーを抑えるってことかしら」
「できれば醤油や塩、味噌も減塩のものに変えるといいです」
「わかった。やってみるわ」
母親がやる気になっているので父親はなにも言えないようだ。食事に関しては全部母親が担っているので、反論の一つでもしたらなにも食べさせてもらえないと思ったのだろう。
家族の意見がまとまった。
ダイエットをして健康的なボディになるぞ佐久間家は一致団結した。
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