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第17話

 夜の八時を過ぎた頃になり、ようやく落ち着いてきた。今夜は夜番を任されているのでこのままホテルで一晩過ごす。仮眠を取れるようにベッド付きの個室があてがわれた。  岡はあがり、今夜は郡司と潤、元々のフロントスタッフ二人の四人で一晩を回す。  「佐久間さん、郡司さん、仮眠とってきてください」  「ありがとうございます」  若いスタッフに休憩を勧められ、郡司と仮眠室へと向かった。  「さっきはありがとう。助けてくれたんでしょ?」  「別に早く列を捌きたかったんで」  「さすが郡司くんは女性の扱いに慣れてるね」  「……嫌味ですか?」  黒い瞳がぎろりと睨みつけてくる。  「そういうわけじゃないけど」  確かに女性問題で部署を転々としてきた郡司にとって皮肉だったのかもしれない。  (それに一度振った相手とあんなに打ち解けられているし)  もし潤が振られたらもう二度と相手と話せない自信がある。  全身から気まずいオーラを出して、相手を嫌な想いにさせて「振っといてよかったな」と思われるだろう。  でも岡は笑顔で郡司と話していた。もしかして告白されて岡の良さに気づき、付き合うことにしたのだろうか。  だったらなおのことこの関係は辞めなくてはならない。それに潤はもう十分に痩せた。これ以上郡司に迷惑をかける必要もない。  そう思うとぽんと外に投げ出されたような孤独の寂しさがあった。  郡司が作った料理を一緒に食べ、週末はセックスをして過ごすーーそんな恋人のような甘い時間を潤は上司だからという面目で過ごさせてもらった。  (もうそこは岡さんに譲らないと)  郡司が仮眠室に入った背中を追う。  「佐久間さんは隣の部屋ですよ?」  「あ、そうか。一人一部屋だよね。ごめん、ぼぅとしてて」  「疲れましたか?」  「そうだね。フロントなんて新入社員以来だ」  慣れない仕事でいつもより疲労が溜まっているから余計ネガティブになるのかもしれない。  「ごめん。じゃあまたあとでね」  「ちょっと待ってください」  郡司に腕を引かれ、部屋に入った。  「弁当作ってきたんです。一緒に食べませんか?」  「忙しいのにありがとう」  「いえ、別に」  机もないので行儀は悪いがベッドに座って食べる。それを想定していたのか五穀米のごま塩おにぎりとおかずに分かれていて食べやすい。  いつも通り野菜から食べ、三十回噛む。  なにも話さなくても気まずくならない郡司といる時間が好きだった。元々お喋りな方ではないし、面白い話題を持っているわけでもない。無理に話題を提供しなくてもいいというのはこんなにも安らげる。  この時間がずっと続いて欲しい。  少しでも引き延ばそうと噛む回数をいつもより多くする。  「ずいぶん痩せましたよね」  「そうだね。二十キロ痩せた」  「ここからが本番ですよ。その体重をキープすることが大事です」  再びダイエットの極意を語りだす郡司に笑いが込みあげる。  そうやっていつも潤のために尽くしてくれていた。もうダイエットの知識は充分にある。セックスダイエットがなくてもやっていける自信もある。  潤は郡司に向き直った。  「やっぱりこれっきりにしよう。これ以上迷惑かけたくないし」  「迷惑だなんて思ってないです」  縋るような顔をされて溢れそうになる気持ちをぐっと喉に押し込んだ。  「ちゃんと食事や運動は続けるよ。もうここで充分だ。普通の上司と部下に戻ろう」  「……佐久間さんはそれでいいんですか?」  「そうしたい」  以前のように私生活のことは話さず仕事上の付き合いだけに戻るだけだ。  年相応に可愛い仕草や表情、高い体温、セックスのとき少し意地悪になるところや挙げたらキリがないほど郡司との思い出がある。  それらを大切に持ちながら生きていたい。  ただの上司と部下が一線を超えてしまったのは昇進のためだったのだと自分に無理やり納得させた。  そして線引きをきちんとするのが上司としての務めだ。  「いままで本当にありがとう。郡司くんのおかげでここまで変われたよ」  「……別人みたいですね」  「これで来年の健康診断はバッチリだ」  繕って笑顔を向けるとぎゅっと抱き締められ、柑橘系の匂いに胸が騒ぎだす。いままで何回この腕に包まれてきただろう。  郡司の背中に腕を回した。  (もうこれに触れちゃいけないんだね)  涙がこみ上げそうになり、奥歯を噛んで耐えた。
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