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第11話
(ねえ……。しぃちゃん。労りあって暮らしていたおじいちゃんと紫仙先生が、本当は恋敵だったって、本当なの? おじいちゃんはおばあちゃんを亡くしていたけど……。紫仙先生には今でもご存命な奥様がいらっしゃるはずだよね? なのにまだ年若い母さんに手を付けたの?)
家の中を二人で歩けば、在りし日の祖父と紫仙の穏やかな営みが今でも脳裏に浮かんでくる。
だが二人と紫央に愛情を注いでもらわなければ、薔太はここまで真っすぐに大きくなれなかった。薔太を捨てて出て行った母や顔すら知らぬ『父』を恨んだまま生きてきたかもしれない。
だからこそ恩人である二人が、そんなインモラルな不実を働いていたなどと思いたくはなかった。
かつての離れはふすまを開けば二十畳になる畳敷きの部屋と風呂に台所があるだけで、どこかの公民館を思わせる作りだった。そこで薔太は祖父と寝起きしていた。半分をふすまで仕切ってちゃぶ台で食事を取ったり、学校の宿題をしたりしていた。
この離れに来たばかりの頃、天井の節が睨みつけてくるお化けの目のようにもみえて本当に恐ろしかった。夜中に風でガタガタとなる網戸も布団を被っておびえるほどに怖かった。毎日泣いて暮らして、ごく幼い頃母と過ごしたマンションに戻りたくて仕方がなかった。
だが暮らしているうちに慣れてくるもので、沢山の思い出の詰まった離れだったが、雨漏りが始まったり押し入れを開けたら風が吹いてきたりと老朽化が進んでしまった。そのため二年前に紫央が全面的にリフォームをかけて広い洋間の一室に作り替えていてくれた。その頃には前の畳の部屋が懐かしくなっていたが、今ではそこが薔太の部屋になっている。
紫央が全て選んだ趣味の良いインテリアでしつらえられた、ささやかな自慢の部屋だ。件の絵も掲げられている。ここで紫央とソファーに座りのんびり読書を愉しんだり、音楽を聴いたりするのが薔太は大好きだ。金蘭亭の名前そのままの麗しい時間を過ごすことができる場所だった。
興味を持った友人たちが薔太のこの部屋に尋ねてきたいといわれ、紫央にお願いしたことがあった。しかし屋敷自体文化財的価値のある紫仙の作品が多く置かれているということもあり、それは遠慮してもらうことになったのだ。
『お前、まるでその後見人って人の言いなりなんだな。付き合いも制限されて、部屋に友達も呼べないなんて』
そんな風に友人の一部からは不満がでた。しかし実際薔太が紫央の世話になっていることは事実だ。先日成人するまでそれが当たり前だと思っていたし、それを不服に思ったことはなかったが、しかし今日の教授たちの反応をみると、いよいよ自立しなくてはおかしいと思われてしまいそうだ。
薔太は珍しく鬱陶し気に吐き捨てるようなため息をついた。
(しぃちゃんはここに居なさいというけれど。俺はこのままここに居てもいいのだろうか……。俺のせいでしぃちゃんを悪く言う人や変な目でみる人がいる以上、これまでと同じように、甘えてばかりはいられない)
ずっと紫央の傍に居たいという薔太のたった一つの真っすぐな願いなのに、今日の教授の態度に歪み貶められたような気持ちになった。
(就職したら、やっぱりここを出てよう。きちんと従業員と雇い主という距離感にならなければいけない。じゃないと俺は……)
ここは薔太の大切な居場所だ。ずっとこの場所に居たい。でもここを出て、紫央との関係も見直さなければ、結果的に居場所も、紫央も、未来の仕事も、全てを失ってしまう。
それは考えただけでも恐ろしいことだった。
唯一の家族を失うような寂しさで考えただけでもしくしくと胸が苦しい。薔太は屋敷の中を切なげな顔つきのまま歩き続けた。
風呂や煮炊きはこちらの離れを使うが、紫央が泊まりに来る時は金蘭亭の小さな和室で共に寝起きをすることが二人の間で定例になっている。
ロフトのような使われ方をしている二階から布団を下ろしてきて、並べて敷き終わった。
洋室との境の小さな廊下を越えて襖戸を開けると小さな隠れ家のような和室が現れる。温かみがあるがどこか艶めかしくもある、ベンガラ壁に小さな鏡台。
薔太は紫仙と背格好が似ている。彼のお古の浴衣を着て布団の上に寝転ぶと、文庫本を開いてはまたぱたりと閉じる。それを繰り返していた。
(甘い束縛……。ついに読んだ)
小説の登場人物たちの一挙手一投足に、身もだえするような興奮を覚えた。薔太は誰の目もないのをいいことに、二つ並べた布団の上をごろごろと転がる。
一番仄暗い興奮を覚えたのは、この部屋がモデルと思わしき場所で、主人公が密かに思い続けていた亡き友人の妻に絵のモデルになるよう懇願する場面だ。
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