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第10話 選択
「まーまー汚いけど、上がりなよ」
雅親に連れられたのは、良くある二階建ての木造アパートだった。玄関を開けると、すぐにキッチンと水回り。その奥に一部屋だけある。
部屋は、服でゴチャゴチャしていたが、楽器周りだけは片付いている。
「なんか、服凄いね」
「あー? ……まあなあ、俺ら、人に見られる存在じゃん。だから、格好は気を付けんと」
雅親の言うことに、思わず、確かに、と思ってしまった。そういえば、あまり、ちゃんとした服を着たことはない。なんとなくTシャツとジーンズくらいで過ごしている。
「でもさ、男の服なんて、そんなにバリエーションないんじゃない?」
「バリエーションがないって言ってもなあ……。スタイルってのがあるだろ」
スタイル。
確かに、それは、雅親がもっていそうだが、光希はもっていないものだ。
「まあ、何でもかんでも拘って生きてたら、生きづらいかもしらんけど、……少しくらいのこだわりって必要なんじゃないの?」
「たしかに」
「ま、お客さんは、おとなしく、その辺に座ってて」
雅親に言われたので、部屋の隅のほうで、ちょこんと座った。雅親といえば、キッチンで何かをしている。
何かを切る音、炒める音がしていた。
「ほーい、これな。……焼きうどん作ったったから、|食《た》べぇ?」
皿に盛り付けられたのは、キャベツの入った焼きうどんだった。
「えっ、これ……」
「とはいえ、これ、冷凍の見切り品のうどんと、同じく見切り品のキャベツとかで作ってるから、原価は、かなり安いけどな。だから、気にせんと、食べぇ?」
「う……うん、ありがとう……」
作って貰った焼きうどんは、ソース味だった。
(そういえば、前、杉山さんに頼まれて、焼きうどん作ったことがあったな……)
スナックでは、たまに、客が無茶なことを言ってくるときがある。
おにぎりが食べたいだとか、カップラーメンが食べたいだとか。
買ってくれば済むものに関しては、ホステスか光希がコンビニまでひとっ走りして買ってくる。だが、たまに、無茶振りが飛んでくる。
その時は、適当に、醤油で作ったのを思い出した。
「美味しい」
「ん? なら良かった。……光希は、痩せすぎやし」
「あんまり、食事を毎食摂る感じじゃなかったんだよ」
母親は、夜の商売だ。だから、朝が弱かった。午過ぎまで寝ているのが当たり前という人だったから、一日の中で、一番マトモに食事をするのは、給食だった。近所の人たちがたまに差し入れをしてくれるが、毎日ではない。食べ物に固執しなくなったのは、こういう生活をして居たからだろう。
そういう光希でも、今日は、空腹ではダメだと思っていた所だったから、ありがたかった。
「……今日、おにぎりもコンビニ弁当も売り切れだったんだ。……でも、今日は、しっかり食いたい気分だったから、ありがたかった」
「あらま……。確かね、今日、木花市の市民ホールで、なんか大きな催し物があるんだわ。それで、弁当売り切れてたんね」
「イベント……何でしってんの?」
「ああ、俺、設営のバイトで行ってたんよー。身体動かす系のバイト、割と楽しいで。あちこちに入れるし……前、自然公園でフェスやった時も、設営いったんよ。で、スタッフでフェス居られて、楽しかったで」
雅親は手近な服の山から、白シャツを一枚とりだした。『ファクトリー・アイアン』という会社名の下に、沢山のサインが入っている。
「えっ……すご……それ、ホンモノ!?」
思わず身を乗り出すと、雅親がにやりと笑う。
「……これな、いろんなバンドのギターさんからもらったサインなんだよ」
「すっげー……良いな、フェス」
「そうね。俺もそう思ったわ。……音楽で、食ってくっていうの、こういう、裏方の設営とかでも、関われるんだなとか、思っちゃったよね」
ドキッとした。
夢見ているところは、燦然と輝くスポットライトの中。スタッフが設営してくれた舞台の上だ。けれど、そうでない道も……確かに、存在はして居るのだ……。
「雅親……」
「あーすまん、ちょっと、最近、色々考えててな……」
雅親は、ごろん、と後ろに倒れた。服の山に、埋もれる形になって、頭を打つようなことはなかった。
「お前も、結構いい年になったやろ。幾つになった?」
「えっ? ……二十五だけど……」
「そっか、若いな。俺は、二コ上。二十七だ……」
はあっとため息をついた雅親は、目を腕で覆った。
「なにか、あったんスか、雅親さん」
「……俺な、バンド、抜けるかも」
「えっ……?」
「……実家、埼玉なんだけどな……連絡があったんだ」
「どう、したんですか?」
「オヤジが倒れたって」
「ちょっと、駆け付けなくて良いんですか?」
「まあ……それで、母親と妹から、家に戻るように言われた」
「埼玉に……」
「ああ。それに、……舞台の上だけが、音楽活動じゃないって言うのも、なんとなく解っちゃったんだよ」
確かに、それは、そうだ。
引き留めたかった光希だったが、安易な言葉を投げることは出来なかった。これは、雅親の人生に関わることだからだ。
「まだ、迷ってるけど――さすがに、何もかも放り出す訳にはいかないし」
雅親の言葉が、重くのし掛かってきた。
こうして、自分が望もうが望むまいが……勝手に、『選択』を突きつけられるときがあるのだ。
現実の、その残酷さに、光希は歯がみした。
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