10 / 48

第10話 選択

「まーまー汚いけど、上がりなよ」  雅親に連れられたのは、良くある二階建ての木造アパートだった。玄関を開けると、すぐにキッチンと水回り。その奥に一部屋だけある。  部屋は、服でゴチャゴチャしていたが、楽器周りだけは片付いている。 「なんか、服凄いね」 「あー? ……まあなあ、俺ら、人に見られる存在じゃん。だから、格好は気を付けんと」  雅親の言うことに、思わず、確かに、と思ってしまった。そういえば、あまり、ちゃんとした服を着たことはない。なんとなくTシャツとジーンズくらいで過ごしている。 「でもさ、男の服なんて、そんなにバリエーションないんじゃない?」 「バリエーションがないって言ってもなあ……。スタイルってのがあるだろ」  スタイル。  確かに、それは、雅親がもっていそうだが、光希はもっていないものだ。 「まあ、何でもかんでも拘って生きてたら、生きづらいかもしらんけど、……少しくらいのこだわりって必要なんじゃないの?」 「たしかに」 「ま、お客さんは、おとなしく、その辺に座ってて」  雅親に言われたので、部屋の隅のほうで、ちょこんと座った。雅親といえば、キッチンで何かをしている。  何かを切る音、炒める音がしていた。 「ほーい、これな。……焼きうどん作ったったから、|食《た》べぇ?」  皿に盛り付けられたのは、キャベツの入った焼きうどんだった。 「えっ、これ……」 「とはいえ、これ、冷凍の見切り品のうどんと、同じく見切り品のキャベツとかで作ってるから、原価は、かなり安いけどな。だから、気にせんと、食べぇ?」 「う……うん、ありがとう……」  作って貰った焼きうどんは、ソース味だった。 (そういえば、前、杉山さんに頼まれて、焼きうどん作ったことがあったな……)  スナックでは、たまに、客が無茶なことを言ってくるときがある。  おにぎりが食べたいだとか、カップラーメンが食べたいだとか。  買ってくれば済むものに関しては、ホステスか光希がコンビニまでひとっ走りして買ってくる。だが、たまに、無茶振りが飛んでくる。  その時は、適当に、醤油で作ったのを思い出した。 「美味しい」 「ん? なら良かった。……光希は、痩せすぎやし」 「あんまり、食事を毎食摂る感じじゃなかったんだよ」  母親は、夜の商売だ。だから、朝が弱かった。午過ぎまで寝ているのが当たり前という人だったから、一日の中で、一番マトモに食事をするのは、給食だった。近所の人たちがたまに差し入れをしてくれるが、毎日ではない。食べ物に固執しなくなったのは、こういう生活をして居たからだろう。  そういう光希でも、今日は、空腹ではダメだと思っていた所だったから、ありがたかった。 「……今日、おにぎりもコンビニ弁当も売り切れだったんだ。……でも、今日は、しっかり食いたい気分だったから、ありがたかった」 「あらま……。確かね、今日、木花市の市民ホールで、なんか大きな催し物があるんだわ。それで、弁当売り切れてたんね」 「イベント……何でしってんの?」 「ああ、俺、設営のバイトで行ってたんよー。身体動かす系のバイト、割と楽しいで。あちこちに入れるし……前、自然公園でフェスやった時も、設営いったんよ。で、スタッフでフェス居られて、楽しかったで」  雅親は手近な服の山から、白シャツを一枚とりだした。『ファクトリー・アイアン』という会社名の下に、沢山のサインが入っている。 「えっ……すご……それ、ホンモノ!?」  思わず身を乗り出すと、雅親がにやりと笑う。 「……これな、いろんなバンドのギターさんからもらったサインなんだよ」 「すっげー……良いな、フェス」 「そうね。俺もそう思ったわ。……音楽で、食ってくっていうの、こういう、裏方の設営とかでも、関われるんだなとか、思っちゃったよね」  ドキッとした。  夢見ているところは、燦然と輝くスポットライトの中。スタッフが設営してくれた舞台の上だ。けれど、そうでない道も……確かに、存在はして居るのだ……。 「雅親……」 「あーすまん、ちょっと、最近、色々考えててな……」  雅親は、ごろん、と後ろに倒れた。服の山に、埋もれる形になって、頭を打つようなことはなかった。 「お前も、結構いい年になったやろ。幾つになった?」 「えっ? ……二十五だけど……」 「そっか、若いな。俺は、二コ上。二十七だ……」  はあっとため息をついた雅親は、目を腕で覆った。 「なにか、あったんスか、雅親さん」 「……俺な、バンド、抜けるかも」 「えっ……?」 「……実家、埼玉なんだけどな……連絡があったんだ」 「どう、したんですか?」 「オヤジが倒れたって」 「ちょっと、駆け付けなくて良いんですか?」 「まあ……それで、母親と妹から、家に戻るように言われた」 「埼玉に……」 「ああ。それに、……舞台の上だけが、音楽活動じゃないって言うのも、なんとなく解っちゃったんだよ」  確かに、それは、そうだ。  引き留めたかった光希だったが、安易な言葉を投げることは出来なかった。これは、雅親の人生に関わることだからだ。 「まだ、迷ってるけど――さすがに、何もかも放り出す訳にはいかないし」  雅親の言葉が、重くのし掛かってきた。  こうして、自分が望もうが望むまいが……勝手に、『選択』を突きつけられるときがあるのだ。  現実の、その残酷さに、光希は歯がみした。
ロード中
コメント

ともだちにシェアしよう!