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第36話 居酒屋
契約書を読んでいるうちに閉店時間になり、佐神と一緒に居酒屋へ向かうことになった。
「随分、真剣に読んでたね」
佐神に言われて、少し恥ずかしくなりつつ「お店に来てたオジサンに教えて貰って……、なんとか、読むのに抵抗感がなくなったって言う感じです」と光希は正直に打ち明ける。
「いいんじゃない? 誰だって、最初っから何でも出来るわけじゃないんだからさ。苦手なことがあったって良いし、それで。全部一人でやらなければならないって訳でもないんだし」
とはいいつつ、光希から見れば、佐神や、他の人たちは、自分のことは全て自分でこなしているようにも見える。
何でも出来るようになれば一番良いのだろうが……。
実際は、何も出来ない。
ベースは、練習した分くらいは弾けるが、本当にプロの世界でやっていくことが出来るのかと聞かれて、『はい』と即答するのは難しい。
(オーディションだって、受かるかどうか……)
リアルバラエティと言うからには、人気を集めることが出来れば、それでいいのだろう。勿論、それ以外の要素というのもはいるのだろうが、光希には、到底、何がどう作用するのか解らない。
居酒屋へ向かう、わずかな道中は、すぐに終わった。
暖簾の掛かった居酒屋からは、賑やかな声が漏れ聞こえてくる。スナックとは、まるで違った雰囲気だった。
「じゃ、いこう。拓海には言ってあるから」
店内に入ると、小上がりとカウンターがあった。小上がりにはテーブル席が二つほど在って、常連らしき町のオジサンたちがビールを傾けつつ、大声で話をしている。楽しく酔うと、人は、声が大きくなるらしい。
(スナックは、お酒を楽しみに来るところじゃないんだな……)
それだけは、認識することが出来た。スナックは、会話を楽しむ所なのだ。自分の話を、誰か関係ない他人に聞いて貰う場所。対して居酒屋は仲間達で楽しむ所だ。大分、酒の質が違う。
カウンターを見た光希は「あっ」と思わず声を上げてしまった。
カウンターに、健太郎の姿があったからだった。
「健太郎……」
「ああ、拓海が原さんを飲みに誘うことがあるんだよね。結構、仲いいみたいだよ。小森さんは、同い年くらいでしょ?」
「ええ、同級生です……」
あまり、会いたくない相手だ。なのに、こんな所で顔を合わせるとは思わなかった。
健太郎に挨拶もしない光希を見て、佐神は何かを悟ったらしい。
「小森さん、こっち!」
と健太郎から離れた、空いている小上がりの席へ、佐神は手招きした。
(近くじゃなくて、良かった……)
ホッとしながら、「今行きますよ」と光希は、小上がりへ向かう。
小上がりは、座敷になっていて、畳が敷いてある。そこに座って、健太郎に背を向けるように座った。これならば、健太郎を気にすることもなくて良い。
「拓海ー、今日のお通しって何?」
佐神が、居酒屋の店主、早乙女拓海に声を掛ける。
「あー、今日は枝豆!」
「オッケー!」
と言ってから、佐神は笑う。「拓海って、手が回らないとき、結構枝豆なんだよね」
「でも、枝豆も美味しいじゃないですか」
「この時期は、冷凍だけどね……じゃ、お通しがさっぱり系だから、ガッツリ系、頼んでおく?」
「あっ、はい……」
「小森さんって、なんか、食が細いイメージだけど……どう? 結構食べる?」
「食べる……と思います」
他の人と、食事をすることなど、あまりない。だから、他人に比べて、自分が大食漢かどうか、光希には解らなかった。こう言うところも、あまり良くないところなのだとは、理解はしている。
「……よしっ。じゃ、肉食べよう。オレ、なんか、原さん見てると、肉が食べたくなるんだよ」
「肉屋ですからね……」
佐神は、クールで、綺麗系な見た目をしている。なのに、随分、気さくだし、肉を食べたりするようなので意外な感じだ、と光希は少し、驚いていた。
なんとなく、首の後ろのあたりが、チクチクするような感じがする。それは健太郎の視線だろうが―――光希は、振り返らないことにした。
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