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第37話 営業と素性

 佐神が注文してくれた食べ物はどれも美味しかった。おかけで、食べるのもはかどったし、ビールや焼酎、ハイボールが進んだ。店主の早乙女拓海は、仕事は丁寧らしく、ハイボールなど、スナックで光希が出しているものよりも、美味しい。それだけは、少し、悔しい気持ちになった。  ある程度食べて、酔いも回ってきたところで、光希は切り出すことにした。 「佐神さんって、営業やってたんですか?」 「えっ? うん。そーだよ?」 「……営業って、大変そうだなって思うんですよ。……なんか、前あった人が、猫の死体でも売るって言ってたから」  龍臣の言葉を思い出すと、腹がもやもやもするようだった。  この、もやもやする気持ちが、一体なんなのか。光希は名前を付けることが出来なくて戸惑う。 「猫の死体、ねぇ……」  佐神が苦笑する。 「あ、済みません、なんか、変な事言って」  気を悪くしただろうかと思って、光希は慌てて取り繕おうとする。すると、佐神が「まあ、一般的に、営業って、別に欲しくもないのに売りつけるってイメージあるよね。訪問販売のセールスみたいな感じ?」と顔を歪めて笑った。 「あっ、そうです。その……売りつけるとか、押し売りとか……そういうのが近いです。イメージは」 「そうなんだね……まあ、でもね、ちょっと違うと思うよ。少なくとも、相手の為にならないモノを、売り李付けても、仕方がないからね。一回だけのお客さんより、何回も買ってくれるお客さんが欲しいわけだし。そうなったら、毎回、押し売りでごり押しは出来ないわけだよ」  たしかに、それはそうだ。押し売りで無理矢理買わせるのが成立したとして、それは一回だけだ。 「……たしかに……」 「……まあ、高価なさ、車とかを毎回買えっていうのは、ムリでしょ。だから、サービスを売ったり、他の人を紹介して貰ったりするって言うことになると思うけど……、お客さんだって、良くして貰ったから、使うんじゃない? 不愉快な店に、わざわざ足を運ぶ理由はないでしょ? たまに、ラーメン屋とかで、コレが成立しちゃうから困るんだけど」 「ラーメン屋……?」 「そうそう。独自ルールが厳しいラーメン屋。……注文は最初の一回だけ。トッピングとかサイドメニューも途中では頼めなくて、コショーを入れるのは、一口以上スープを飲んでから。必ずレンゲを使ってラーメンを食べる。水はセルフサービス。食器は自分で洗う。一つでも間違えると、店主が怒り出す」  佐神がスラスラと語っているラーメン屋が、現存していたら、とてもイヤだ。光希は顔が引きつるのを感じながら、佐神を見ていると「これ、オレ、やられたことあるからね」と笑う。 「えー……そんな横暴な店が……?」 「ファンの中では有名だからね。事前学習しないと、ファンから袋だたきに遭いそうだよ」 「ラーメンって、もっと気楽な食べ物じゃないんですか……?」  光希の言葉を聞いて「そうだね。気楽な食べ物で良かったと思うんだけどね」と佐神は笑う。「……それにしても、なんで、急に営業の話を?」 「あー……さっき印字して貰った契約書が絡む話なんですけど……、嘘を吐いてでも売るっていう感じの人だったから……、その人、桜町に、どこかの会社で、営業成績日本一になった人がいるって言ってたもんで……」  乾いた笑いを漏らした光希に対して、佐神の顔が引き締まった。 「営業成績日本一になった元営業なら、オレであってるよ。でも……そんなことを、誰が……? この話って、そんなに多くの人にしてるわけじゃないのに」 「えっ? そうなんですか?」 「そうだよ。昔取った杵柄とか、ダサいし。……そんな自慢って、オレがブックカフェやる分には全く関係ないでしょ。それよりはオレは、自分のブックカフェが今年も一年、無事に営業出来たっていうほうが。大変だし、誇らしいけど?」  たしかに―――佐神の言うとおりだ。  佐神は、過去を誇るようなタイプではない。なのに、佐神のことを知っている人がいる……ということだ。 「あのさ、その契約書の件も含めて、ちょっと、気になるからさ……あとで、お米屋さんも一緒に、話をしたいんだけどいいかな? なんなら、オレが、リーガルチェックの代金を受け持っても良い」  佐神の眼差しは真剣だった。そして、これは、佐神だけではなく―――桜町商店街青年部を、実質上統括しているような立場の、米屋の店主、二階堂和樹にも、通さなければならない話なのだと思って、一気に酔いが引いて行くのを、光希は感じていた。
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