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世間話 1

抑制剤の要らない生活は久々だった。 こんなにも心も身体も満たされていて軽やかで、気分は晴れ渡っているのかと驚くと共に ダイナミクスの厄介さと単純さには呆れてしまうものである。 橋名と想いの通じ合った沙凪は、 大変に充実した生活を送れていると言えるのかもしれない。 とはいえ、彼とは果たして恋人なのかそれともただのパートナーなのか、 或いはセフレなのか名前がよく分からない関係ではある。 好きとか、独占したいとか、そういう気持ちはお互いにあるのは充分わかっているけど 少なからずともそういう恋愛っぽい気持ちがなければダイナミクスの関係性は成り立たないし 仮にニュートラルだったとしても、そういう気持ちがないとセフレにも普通の友達にもなり得ないのではないかと思っている。 生まれてこの方ニュートラルになった事がないので感覚が少し違うかもしれないけど、 友達関係であっても多少の独占欲とか好意はあるわけで。 橋名は間違いなく特別、ではあるのだけれど 長らく人と密接に関わることを避けていた沙凪にとっては、よく分からないなぁと思う他ない。 …と、上司の代理で堅苦しい会議に出席させられていた沙凪は、 真面目な顔を作りながらも頭の中では全然関係ない事を考えていた。 売上のこととか本部の方針のこととか全然興味は持てないが、 前に出て喋っている市原常務こと由紀の姿はなかなかに見応えがある。 綺麗な黒髪を撫で付けて、足は長いし声は通るし、堂々としてるし、別にSubじゃなくても羨望の眼差しを向けられている彼は人間としての大成功者に見える。 そんな奴が昔は、篠田くん待ってぇと自分を尾け回していた事など誰も信じないだろう。 立派になったものだとまるで親のような気持ちを抱きながらも、 篠田は彼の事を見つめているのだった。 ぼんやりしていると会議が終わって、社員達は会議室を去っていく。 忙しい社員はバタバタと走り去っていくし、 そうでなくてもテキパキと机の上を片付ける優秀な社会人達だ。 沙凪だけだらだらと広げていた資料やノートを重ねて、 ほとんど誰もいなくなった頃に立ち上がった。

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