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第2話
「ただいま、ノア」
「おかえりなさい」
いつものように、セイちゃんは夜遅く帰ってきた。普段よりも少し疲れた顔をしているように見える。
玄関先でおかえりのキスを交わしてから、僕たちは手を繋いで廊下を歩く。触れる掌は僕の方が温かい。
「ノアは?」
「もう寝てると思う」
猫のノアのことをそう答えながら、僕はセイちゃんの様子に只ならぬものを感じていた。
セイちゃんは家に仕事を持ち込まない。だから、僕からも仕事のことを訊かないようにしている。
僕は法医学者という職業を崇高なものだと思っているけれど、同時に干渉してはいけないとも考えているから。
「セイちゃん、大丈夫?」
そうそっと問いかけると、セイちゃんは僕を振り返って少し目を細めた。
「……ああ。ありがとう」
その反応で、僕は確信する。やっぱりあの女の子はセイちゃんが視るんだ。
セイちゃんが子どもの解剖を苦手とすることに、僕は薄々気づいていた。
もちろんそれが技術の問題ではなく、気持ちの問題であるということも。
最近セイちゃんが買ってくれた優しい肌触りのガーゼケットに包まれながら、僕たちは肩を並べて横たわっていた。
真っ暗な部屋の中はエアコンが程よく効いていて快適だ。けれど、胸がざわざわとして落ち着かない。
──セイちゃん、セックスしよ。
いつもの僕なら気分の沈んでいるセイちゃんにそう言ってしまっているかもしれない。けれど、今はセックスでごまかしてはいけない気がしていた。
「セイちゃん」
そっと声を掛けると、触れる肩が小さく反応する。
「抱きついてもいい?」
クスリと笑う気配がした。優しく抱き寄せられて、温もりに包まれる。互いの鼓動がトクトクと鳴っているのがわかった。
何かを確かめるように、セイちゃんが僕を抱きしめて背中をさする。
大丈夫だよ、僕は生きているから。
心の中でそう返せば、セイちゃんは僕の額に口づけてゆっくりと全身の力を抜いていく。
明日、セイちゃんはあの子を視るのだろう。
その夜、僕たちはなかなか寝つくことができなかった。
大学はもうすぐ試験期間に入り、それが終われば長い夏休みが始まる。
まだ、セイちゃんは解剖室にいるだろうか。
刑法のゼミを受け終わって教室を出る頃には、午後5時を回っていた。同じゼミ生と別れを告げて、構内を歩き出す。
このキャンパスを出るとき、僕はいつも法学部の原田乃空からセイちゃんの恋人へと気持ちを切り替える。セイちゃんと僕との関係はもちろん大学の誰も知らない。だから、僕たちは構内ですれ違うことがあっても話をしないようにしているし、目を合わることもない。
あの女の子の解剖は、どうなっているだろう。
とても気になるけど、僕が法医学部の様子を探ることはできない。
何の役にも立たない僕にできることは、ただあの家で帰りを待つことだけだ。
帰路につこうとして、その前にふと思い立つ。
あの女の子が亡くなった現場に行こう。
手をこまねいているよりも、少しでもセイちゃんと何かで繋がっていたかった。
たとえそれが死者を通じてであったとしても。
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