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第18話 お腹が空いた

 桃源に来てから一週間程が過ぎた。  有言実行というのか、あの日から毎晩、蜜梨は秘果と共に寝ている。  そのせいかどうかはわからないが、あの日以来、饕餮改め心惟は姿を現さない。  最近の蜜梨は、昼間は導仙としての修行を秘果と行いつつ、慶寿の元で神力を増やす瞑想を行っている。  その成果で、多少は蜜梨の神力も増えつつあるから、饕餮にとっては出てきづらいかもしれない。 「神力って、使い慣れないとめっちゃ疲れる。半日でヘロヘロ」  おやつの時間を終えて、蜜梨は自室のベッドにフラフラと倒れ込んだ。  ふわり、と黒い影が舞う。  隣に心惟が姿を現した。 「あれ? 久々じゃん。どうしたの?」  声をかけたら、心惟がコロンと隣に転がった。 「腹が減ったぞ、蜜梨。何でもいいから食わせろ。でないとまた、お前の記憶を喰らうぞ」  声に覇気がない。  本当にお腹が減っているらしい。 「え? 食べるって、凶? 俺と同じものとかでも、いいの?」 「何でもいい。食い物でも、そこらの小石でもいい」  流石に小石というわけにはいかないので、蜜梨は部屋の中をキョロキョロした。  そういえば、部屋の掃除の後に従者が置いていってくれた果物があった。 「果物、あるけど、食べる?」  大きな皿を持ってくる。  起き上がった心惟から長い舌が伸びて、載っていた果物を皿ごと一気に掴み、頬張った。  あまりに一瞬の早業に、蜜梨は呆けた。 「全く足りぬが、一先ずは良しとしよう」  心惟が口元を親指で拭った。心なしか声に、張りが戻っている。  蜜梨は隣に腰掛けた。 「現世では、どうしていたの? 心惟の存在自体、俺は知らなかったから、餌とかあげてなかったのに」 「餌という表現は、受け入れ難いな。土に埋まっていた時は、お前の記憶を喰って凌いだがな。現世は桃源と違って、そこかしこに邪魅や凶が転がっている。お前が出歩くだけで十分、腹が膨れた」 「俺の神力に包まれていたのに、よく食えたね」  身動きが取れなかったような話をしていたのに、食事はできたのだろうか。 「出られはせんかったが、入ってくるものは喰える。お前は人の振りをした神だからな。吸い寄せられた凶は私が食っていた」  現世にいた頃は、自分が半神だなんて思ってもいなかった。  神力も感じなかったから、自分の中に凶が入り込んでいたなんて、知りもしなかった。  そもそも凶という存在自体、知らなかった。 「じゃぁ、心惟のお陰で俺は凶に侵されずに済んだんだ。ありがと」  素直にお礼を言ったら、心惟が何故か照れた顔をした。 「入れ食い状態だっただけだ」 「現世って、そんなに凶が多いんだね」  少しずつ神力が戻った今は、凶の存在も多少は感じられる。  麒麟の邸宅は結界が張られているせいもあるが、凶の気配を感じない。  そもそも桃源は神に近い生き物の国だから、人の世より清浄なんだろうか。 「人間というのは神が自分を模して作った造形物だが。形が似ているだけで、中身は中途半端な愚物だ。負の感情や行動から自然と邪魅が生まれ、怨念が発生し、凶が生まれる」  そういわれると、納得できなくはない。 「だったらさ、感情がある生き物は皆、邪魅や凶を産むんじゃないの?」  人に限らず、神様や神獣だって産むだろう。 「その通りだ。だから桃源にも凶が存在する。現世ほど多くはないがな。神やそれに連なる生き物は、人間ほど我欲が強くない」 「なるほどねぇ。そうなると俺は、かなり人間寄りな気がするけどね」  BLを読んでいる時なんか、我欲の塊だ。 「お前はお前が思っているほど人らしくない。むしろ神寄りだ。お前より秘果のほうが、余程に我欲が強い」  そうだろうか、と蜜梨は首を傾げた。  秘果から私利私欲めいた発言を聞いた記憶がない。 「秘果のお前に対する執着は、もはや異常だ」 「あぁ、そういう……」  そういわれると、何も言えない。 (三百年、諦めずに探し回ってくれる気持ちは、執着だろうけど。俺は嬉しかったけどな)  どんな気持ちも受け取り方次第だなと思った。 「それをいうなら、心惟だって秘果さんに執着しているよね?」  秘果が蜜梨を探している年月より長く、秘果に執着しているんだろう。 「私は凶の中でも四凶に数えられる大凶、饕餮だぞ。その程度の執着、あって当然だろう」  きっぱり言われると、やっぱり何も言えない。  四凶の饕餮なんて、凶の代表みたいな存在だ。 「蜜梨ちゃん、休憩できた……。なんで、お前が出てきているんだよ」  いつもの調子で部屋に入ってきた秘果が、心惟の姿を見付けてあからさまに嫌な顔をした。 「お腹、空いたんだって。ここは現世より凶が少ないから、食べるものがないんだってさ」 「腹が減り過ぎて、また蜜梨の記憶を喰うところだった。空腹が極まれば、うっかり秘果への気持ちを喰うかもな。思い出せないまでも、ようやく育ってきたところなのになぁ。芽生えたばかりの感情は新芽を摘むように柔らかで、美味いぞ」  心惟がニタリと笑んだ。  秘果が怒り顔を顕わにした。  怒っているような照れているような、ちょっと嬉しそうに見えなくもない。 「感情まで食えちゃうの? それは流石に嫌だな」 「なら、何か食わせろ」  心惟が普通に蜜梨に向き合った。 「わかった。持ってくるから、待っていろ」  不機嫌そうな声を吐き捨てて、秘果が部屋から出て行った。  その後ろ姿を、心惟が満足そうにニヤついて眺めている。  蜜梨とは普通に会話できるのに、秘果に対しては煽るような話し方がデフォだなと思う。 (楽しいんだろうけど、俺はハラハラする。そろそろ二人の関係を何とかしないと)  この先、長い付き合いになるのだろうし、心惟に秘果への態度を改めてもらわないといけない。  でないと、いつか秘果が本気でキレそうだ。

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